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5月7日 南洋諸島を日本が委任統治することが決定!

南洋庁正門【出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

上記写真はパラオに置かれた南洋庁です。
1919年(大正8年)5月7日、
パリ講和会議
赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島
日本が委任統治することに決定しました。

(かつて日本が統治していた南の島々)

海外旅行で人気のサイパンパラオ・・。ここはかつて日本が統治していました。

現在の北マリアナ諸島パラオマーシャル諸島ミクロネシア連邦に相当する西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々は、かつては南洋諸島と呼ばれ、日本が統治して日本語が話されていました。

第一次大戦で日本が獲得)

この島々は、第一次世界大戦まではドイツが領有していました。
しかし、1914年(大正3年)に第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟に基づいて連合国のの一員として参戦します。
日本海軍はマーシャル諸島ヤルート島のドイツ海軍を攻略して以後、これらの島々を占領しました。そして1919年(大正8年)5月7日、日本はパリで行われた講和会議で国際連盟からこの地域の統治を委任されました。
そして1920年(大正9年)12月17日、国際連盟から、C式委任統治領として統治を認められました。

南洋庁

日本政府はパラオ諸島コロール島南洋庁を置きました。
下の写真は南洋庁の玄関、下の写真は南洋庁全景です。

【上2つの写真とも出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

下の写真はパラオのコロールの市街です。

【出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

そして、パラオ、ヤップ、トラック、ポナペ、ヤルート、サイパンの6支庁を置いて南洋諸島を統治しました。下の写真は、いかにも南の国と言う雰囲気が出ているポナペ支庁です。

南洋諸島は面積2136平方キロメートル、1932年(昭和7年)当時の総人口は7万5千人あまり。首都はコロール、公用語は日本語でした。

(学校も開設)

南洋諸島では学校教育も行われていました。日本人児童は修業年限や教科課程の面で、内地と何ら変わらない教育を受けることができました。 
下の写真はトラック島の学校での授業風景です。


一方、下はサイパン尋常小学校の写真です。

【出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

【出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)】

 

また、島民は「公学校」という3年制の学校があり修身や日本語を中心とした授業が行われました。下の写真は南洋庁クサイ公学校です。

【出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

(技術の伝授)
また1926年(大正15年)には、「木工徒弟養成所」を設立し、島民の木工技術者の養成に当たっています。
南洋群島全域から17、18歳から23歳程度の生徒が集められ、制服や小遣い程度の金を支給しながら建築技術を習得する教育を受けました。

 

上2ルの写真は【出典:「南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」(1932年1月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

(南洋神社も)

1940年(昭和15年)11月1日には皇紀2600年記念事業の1つとしてパラオコロール島
南洋神社が建てられました。


さらに1941年(昭和16年)9月には、コロールにパラオ放送局が開設されました。

 

(日米激戦の島)

南洋諸島は、第二次世界大戦中は日米両海軍で激しい戦いが繰り広げられました。サイパン島ではバンザイクリフの悲劇を生みだしました。


そしてサイパンおよびテニアンは日本本土を空襲する拠点となり、特にテニアン島は、広島及び長崎に原子爆弾を投下したB29が出撃した基地になりました。
下の写真は1945年(昭和20年)テニアンの飛行場から日本に向かうB29です。

 

第二次大戦後、南洋諸島は日本の終戦とともにアメリカの信託統治になり、1980年(昭和55年)ごろから次第に信託統治はなくなりました。

 

 

今回、当ブログに掲載した写真の多くは
1932年(昭和7年)に発行された
南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念」
という写真集です。

下からクリックして無料で見れますよ👇

 

・・・ということで5月7日は 
南洋諸島を日本が統治することが決まった日です。

(日本統治時代の中心地の1つ・コロール4丁目)




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