
長崎街道の木屋瀬に小さなお堂を発見しました。
「愛宕山(あたごやま)護国院(ごこくいん)」です。
(愛宕山護国院)
「愛宕山(あたごやま)護国院(ごこくいん)」は、長崎街道の宿場町として栄えた
福岡県八幡西区に木屋瀬(こやのせ)地区の一画にある小さなお堂です。

このお堂は、室町時代の1493年に僧の源水が、当時流行していた火災や病気をおさめるために八幡西区香月の聖福寺の末寺として創建したそうです。
そして源水の祈願で火災疫病が収まったため、火災病難に効果があると参詣者が多かったそうです。

このお堂は中には不動明王がおさめられています。

護国院の境内には、建立年不明の庚申天尊、文久2年(1862年)建立の常夜燈、五輪塔の空輪が2基分石仏などが祀られています。

(西洋文明のルート・長崎街道)
この愛宕山護国院がある長崎街道はどんな街道だったのでしょうか?
江戸時代、長崎街道は、鎖国時代の日本で、西洋のオランダとの窓口だった長崎出島と江戸とを結ぶ街道で、ここは西洋の文化や新しい技術などを国内に伝える文明の道でした。
この街道を通って、オランダを中心とした欧州の文化や芸術、さらに将軍吉宗に献上された象などが江戸に向けて運ばれました。
また参勤交代の大名一行もこの道を通りました。
長崎街道は全長57里(約240㎞)で25ヶ所の宿場があり、このうち福岡藩内の黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田の各宿は筑前六宿と呼ばれ栄えました。

(木屋瀬)
木屋瀬(こやのせ)は、その長崎街道にある宿場町で、宿場の門である東構口(黒崎口)と西構口(飯塚口)が設けられました。
搆口(かまえぐち)は、宿口とも記されます。
道と直角に石垣を築き、その上に土塀や瓦を置いたものです。
方角にかかわらず、江戸に近い側が 「東構口」、反対側を「西構口」と呼ぶようです。木屋瀬の場合、両構口に囲まれた宿場には本陣、脇本陣、さらに1旅籠が14、5軒ありました。

木屋瀬宿の宿場は東構口から西構口までの街道は一本道で本陣付近で「く」の字に曲がり、家並みはのこぎり歯状に建てられていました。これは、「矢止め」と呼ばれるもので、敵が攻めてきたときにそのくぼみに隠れ攻撃するためにこのような配置になりました。
すぐ近くには遠賀川が流れていて、水運も盛んでした。

水運と街道で木屋瀬は発展していきました。

この木屋瀬の地名は、かつて近隣の寺社再建のための材木が川辺に「小屋がけ」で集められたこと由来します。
長崎街道沿いにある愛宕山護国院は小さいながらも道行く人、あるいは付近住民の守り神として長年親しまれてきたのでしょう。
<<愛宕山護国院への行き方>>
JR筑前植木駅徒歩15分程度
住所:北九州市八幡西区木屋瀬四丁目7番
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長崎街道沿いにあるこの愛宕山護国院は
多くの旅人や付近住民の平和を見守って来たようです。
