
日本海に面した京都府舞鶴港。舞鶴港は、太平洋戦争が終結した1945年(昭和20年)
10月7日に、引き揚げの第一船となる「雲仙丸」が入港してから、以後、13年間で66万人の引揚者を迎えました。

舞鶴引揚記念館はその舞鶴市に、引き揚げやシベリア抑留に関した情報を伝え残そうと1988年(昭和63年)4月に開館しました。
2015年(平成27年)10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
(終戦で海外にいた日本人が日本へ引き揚げてくる)
1945年(昭和20年)8月15日の太平洋戦終結後、中国東北部の旧満洲や朝鮮半島、
さらに南太平洋など多くの国や地域に残されていた約660万人もの日本人を日本へ帰国させるための“引き揚げ”が始まりました。
この引き揚げ者を運ぶ船=引き揚げ船を受け入れる港として、舞鶴をはじめ日本全部で18港の港が設置されました。
そして、ここ舞鶴港は、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となりました。
1945年(昭和20年)10月7日に舞鶴港に最初の引揚船“雲仙丸”が入港します。以後1955年(昭和33年9月7日の最終引揚船“白山丸”の入港まで国内で唯一13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れてきました。
(舞鶴引き揚げ記念館)
舞鶴引揚記念館は、1988年(昭和63年)4月に舞鶴市民や引き揚げて来られた方々、さらに全国からの支援や協力で作られ開館しました。
入場料金は大人400円です。

(ラーゲリ)
記念館には極寒のシベリアでの収容所を再現した物があります。
ロシア語で収容所を意味するラーゲリです。

私達の先輩は、敗戦と言う理由で日本に帰ることを許されず、極寒のシベリアへと連れていかれ森林伐採や建設工事などの労働を強制されました。
収容された人たちは、1日にわずかな黒パン一つと塩が入ったスープという食事。
1日十時間以上の過酷な労働のあとは、外はマイナス30度というのに粗末な部屋の中で、穴のあいた一枚のぼろ毛布にくるまって寝るといった過酷な生活です。
栄養失調やケガで倒れても満足な治療を受けることなく異国の地で命を落とした方々もいます。


この行為は、捕虜の虐待という国際法に違反しますが、戦勝国のソ連は問われませんでした。
またシベリアで使用したコートなどの防寒着、「引揚證明書」などの文書類、シベリア抑留者が実際に着用していた洋服や靴、食べていた物も再現されていました。
約1万6千点の貴重な資料が全国から寄贈され、常設展示では1000点以上が展示されています。
これらの作品のうち570店が2015年(平成27年)10月10日にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
館内には、ボランティアガイドさんがいて、話を聞くことができます。
ただし、この方々は引き揚げされた方ではありません。

(シベリア抑留者のお話)
おっさんの父親、1921年(大正10年)生まれ陸軍獣医(故人)は、自宅に友人を呼んで宴会をするのが好きでしたが、そこによく顔を出す赤司さんという方がいました。
この方がシベリアからの引き揚げを体験された方でした。
その赤司さんから子供のころに聞いたシベリアでの生活は子供心にも「これはひどいなあ」と感じました。
私たちの先輩方がわずか80年ほど前にこのような過酷な生活の中、歯を食いしばって
生きていたことを忘れてはいけません。
<<舞鶴引き揚げ記念館>>
舞鶴引揚記念館の観光情報
営業期間:公開:9:00~17:00
※入館は16:30まで、

(入場料)
大人 400円 学生(小学生-大学生) 150円
※ただし、市内在住か在学の学生は無料
団体大人【20名以上】 300円 団体学生(小学生-大学生)【20名以上】 100円
※ただし、市内在住か在学の学生は無料
【舞鶴引き揚げ記念館公式HP】
<<舞鶴引き揚げ記念館への行き方>>
・JR舞鶴線「東舞鶴」駅から京都交通バスで15分「引揚記念館前」下車
住所:京都府舞鶴市字平1584番地 引揚記念公園内 TEL:0773-68-0836
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。】
舞鶴引き揚げ記念館、私は広島や長崎の原爆資料館同様に重要な戦争証言遺産だと思います。
是非足を運んで下さい。
