本日はその他枠です。
昨年カナダで開催されたSIGGRAPH2025に参加をしました。
その中で基調講演としてAdobeのArron Hertzmann博士による基調講演を受けました。
内容は完全に英語であり、筆者が捉えられた範囲でですが、備忘録も兼ねて筆者の考えを中心に置き記事に残していきます。
前回から半年開いてしまいましたが続きをまとめていきます。
〇アートとは何か?
Artは日本において現代では美術を指す言葉として広く使用されています。しかしながら元々は技法・技術・知識という意味を持っていました。(ラテン語のArsおよびギリシア語のTechne)
Hertzmann博士曰く、人類史におけるアートは技術と密接にかかわっています。
具体例として芸術史をさかのぼってみると、人類の最古の絵はフランスのラスコー洞窟の壁画とされています。 この時代は紙はまだ発明されておらず、顔料も赤土に血などを混ぜ込んだ原始的なものであったとされています。
また、立体物を見てみると最古の彫刻は3~4万年前ごろの象牙で作られた『ライオンマン(Löwenmensch)』であり、現代彫刻のような彫刻刀や石膏ではなく、石器を使って彫られたと考えられています。
今日人類がアートと呼ぶものをいくつか挙げてみると、絵画・書籍などは紙、建築物は鉄やガラス、彫刻は金属やアクリル、ゲームや映画は電気等人類史における技術を使って作られていることがわかります。
また、これらは人間の文化的な生活にも密接にかかわっています。具体例として文字を上げてみると、文字が生まれたのは3大文明(メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明)ですが、いずれも統治(政治)という人々の生活に密接にかかわっています。日本を例にとってみると日本に文字が入ってきたのは百済からとされていますが、漢文は古代から近代に至るまで、公的な文書や学術書の記述に広く用いられてきています。これらから文学や詩学、今日まで残る哲学などに発展しています。
つまりアートは人間と人間のコミュニケーション活度であり、社会的な行動であり、歴史的に定義が変わるものであります。
これらからHertzmann博士は社会的エージェントによって構成されたもの、すなわち『アートは人間による社会活動である』と定義しています。
〇現代のAIアートの論争
現代においてAIアートと呼ばれるものが増えてきました。ここではAIによる生成物=AIアートと定義します。またコンピューターによって想像される制作物全体をコンピューターアートと定義します。
AIアートの普及には2022年に登場したStable Diffusionおよびその前年のDALL·Eの存在が大きいです。プロンプト=自然言語による文字情報から画像を生成させることができる技術であり、あたかも絵師に対して「○○の絵を書いて」とお願いをすれば作ってくれるようなものでした。これはChatGPTなど現代で一般的にAIと呼ばれるLLM=大規模言語モデルを画像生成分野に発展させたことにより可能となっています。
〇画像生成AIの歴史
コンピュータに画像を作らせようという取り組み自体は1970年ごろより行われていました。 SIGGRAPHの過去の論文類を見ると取り組みや当時の先端事例を見ることができます。
しかしながらこれはAI=人工知能というよりはアルゴリズム(パターン)による画像生成に近いものでした。具体例として1969年のAlgorithmic DrawingsやHarold Cohenの AARONがあげられます。
https://dam.org/museum/artists_ui/artists/nees-georg/
https://whitney.org/exhibitions/harold-cohen-aaron
2014年には敵対性生成AI(Generative Adversarial Networks:GAN)と呼ばれる画像生成技術が登場。
AdobePhotoshop等を代表に一般向けの画像編集ツールでもAIによる画像編集機能が搭載され始めました。
〇AIアートの問題
今日ではGoogle GeminiのNanoBananaを筆頭に誰でも簡単にAI相手に画像を生成することができます。これによって様々な問題が表面化しています。最新の具体例としてXに搭載されているGrokによってX上の写真を他者によって水着等性的なものも含めて勝手に編集されてしまう問題が生じました。
2025年に登場したOpenAI社のSora2ではリリース当初ピカチュウや悟空といった版権キャラクターを生成できてしまい、それがSNSで発信されていました。具体例として進撃の巨人のエレンと悟空が戦闘するシーンや万引きするピカチュウの動画が流れました。
また、ディープフェイクによる政治的扇動なども問題視されています。具体的には震災発生時などに、「ライオンが逃げ出した」「水没した」などの情報が流布されています。
これ自体は2011年の東日本大震災以降に爆発的に普及したスマートフォンとSNSによって2016年の熊本震災発生時以降、2024年の能登半島震災まで毎回問題になっていますが、それまで専門的知識を持った人材が時間をかけて作っていた合成写真などを、素人が数秒でリアルに作れてしまうことにより文字情報だけでなく視覚情報として発信され、拡散されてしまうという点が問題です。
これらは単純に著作権侵害という法律的なものだけではなく、コンシュマーの心理的な問題も抱えています。
〇AIアートによる心理的な問題
AIアートは専門知識のない人でも、時間をかけず単純操作で、ブラックボックス化されているトレーニングデータに著作物を含んだ可能性があるにもかかわらず作れてしまう。そしてそれを人によっては「自分の作品」として公開をする。という構図に対して反感を抱く人が多いです。
アートとは先のHertzmann博士の言葉を借りると「人間による社会活動」であるにもかかわらず、これらの非属人的な生産物を生む活動はアートであるのか? これが現代議論されているものです。
そのため企業などが正規のライセンスで作った作品に対してもAI利用が疑われた場合激しくネット上で議論=炎上が発生しています。「指が6本描かれている」「構図がおかしい」といったAI生成物の特徴に当て余る正規ライセンス作品に対してこのような疑念が持たれることがあります。
また、Youtube等ではAIによって作られた所謂非属人化コンテンツ配信者への収益化停止を行いました。 (信頼できないコンテンツ)
まとめるとAIによる生成物(最初の定義から外しあえてAIアートとは呼びません)に対して社会的に疑義を持たれているというのが今日になります。
本日は以上です。コンピュータがアートを作れるか?というテーマを語るうえで、アートの定義や今日の問題を定義していきました。
〇コンピューターアートはアートか?
コンピューターアートはHertzmann博士の定義に当てはめると、社会的エージェントによって構成された主体ではありません。それらはデータであり、機械的な信号であり、自発的な「意図」や「表現したい感情」を持たない非コミュニケーションであり、人間の社会ネットワークの主体となりえません。よってコンピュータアートはアートではないと定義できます。(本基調講演の内容としてこの表現のままでは語弊が生まれますのでその③以降で補足していきます。あくまで定義にのっとるとコンピュータアートはアートではないと言えます。)