みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و
今回は、モンゴル軍が用いた狡猾(こうかつ)な方法、というテーマで
すこし世界の歴史を振り返ってみたいと思います。
(この記事の字数 約1800字)
2020年から風の時代という新たな時代が始まったことが
以前、西洋占星術界隈で話題になったことがありました。
現在、それから4年以上がたって
風の時代というものが話題にのぼることも
少し減ってきたような気がしますね(;´∀`)
この風の時代というのは、じつは
800年周期くらいでこの地球にやってくるんですよ。
ですから、前回この風の時代というのがやってきたのは、
いまから800年ほど前のこと、
つまり、西暦1200年くらいから西暦1400年くらいまでの
およそ200年間くらいが
風の時代にあたっていたんですね。
この13世紀ごろというのは、世界史では
「モンゴルの世紀」
と言われたりしています。
モンゴル人がユーラシア大陸の大部分を支配する
巨大な帝国をたてた時代なんですね。

その力は非常に強くて
ヨーロッパへも侵攻していて、
ポーランドのあたりでは
「ワールシュタットの戦い」というのがおこなわれました。
一説によると、このワールシュタットという言葉は
「死体の山」を意味するらしく、
モンゴル軍があまりにも強かったために
ヨーロッパ軍のほうは死体の山を築いて
負けてしまったんですね((((;゚Д゚))))
モンゴル軍の強さの秘密はいろいろとあるようですが、
まずはその機動力あふれる騎馬戦力を
擁していたことが大きいと思います。
でもそれだけじゃなくて、
戦略や戦術の面でも
すぐれた方法を採用していたようなんですね。
たとえば、こんな話があります。
モンゴル軍は戦争に勝利して
自分たちが征服した地に
駐屯軍を置いていくんですね。
でも、最初に置かれるその駐屯軍は、
とても貧弱な部隊なんだそうです。
一見したところ、
あの強大なモンゴル軍からは想像もできないような、
簡単に倒せるんじゃないか?と錯覚させるような、
そんな弱い部隊を置いておくんですよ。
それで、征服された地域の住民とかが、
こんな弱い部隊なら勝てる!と思って
その部隊を攻撃し、やっつけるとしますよね。
そうすると。。。
あとからモンゴル本軍のめちゃくちゃ強い軍隊がやってきて、
その反抗した住民を
完膚(かんぷ)なきまでに残忍に叩きのめしていくんですよ((((;゚Д゚))))
こんなことを、モンゴル軍は
征服地で何回となく
繰り返していくんですね。
そうすると、やがてその噂が広まって、
征服された地域の住民たちは、
たとえ最初に駐屯してきたモンゴル軍が非常に弱そうに見えても
もはや逆らうことはなくなったそうなんです。
非常に狡猾な方法ですよね。
でも、モンゴル軍がこの作戦をとろうと思って
最初にその地に残される部隊の将軍とか兵士とかは、
すごく勇気がいったと思いますよ。
住民が自分たちのことを弱いと思って反抗してきて、
自分たちはいったんは殺されてしまう、
いわば、死は約束済みの任務なわけですから。
もっとも、もしかしたら
そういう任務だからこそ、
モンゴル軍のなかでも普段から嫌われている将軍とか兵士とかが
この任務にあてられたという可能性もありますが(;^ω^)
なにはともあれ、
モンゴル軍はこのように
勇気を必要とし、ある意味では狡猾な作戦を採用することで
少ない兵力で征服地を監督、支配することに
成功したんですね。
モンゴル軍はこの作戦を採用することで、
被支配地域の住民たちに
「たとえ駐屯軍が弱いように見えたとしても、
それに手を出すとひどい目にあうぞ。
外からどのように見えているかというその外見は、
その実際の実力とは関係ないことがある。
外見だけにたよって相手を判断すると後悔するぞ」
ということを叩きこんだのですね。
最近は日本の警察とかが要人を警護する場合、
見せる警備、とかいって
自分たちが強いということを
外から見てもわかるようにする、それによって威嚇する、
ということがおこなわれたりもします。
でも、昔のこの地球上には
あえて自分たちを弱く見せたうえで、
つまり、外見と内実にあえて乖離(かいり)をつくったうえで、
その外見上の弱さを本当の弱さだと錯覚して
かさにかかって攻撃してきた相手を
逆に完膚なきまでに叩きのめす、という
狡猾な作戦を採用した軍隊、帝国というのが
存在した、ということなんですね。
今回はそんなお話でした。
以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ