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イギリスという国の力の源泉は④

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回も、イギリスという国の力の源泉について

勝手に分析して、

適当な結論にたどりついてみたいと思います

(この記事の字数 約6100字)

 

 

このイギリスの力分析シリーズは

とりあえず今回で最終回となります。

 

 

前回の記事はこちら↓

 

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

 

前回までの記事に書いたことを振り返ってみますと、

 

①イギリスというのは女性君主のときに大発展しているので、

 女性原理で動く国なのではないか

 

②イギリス国旗は対称性があるかのように見えて

 じつはわずかに対称性がないので、

 対称性とか理の原理とかいったものを

 敵対視する国なのではないか

 

③イギリスにはビッグベンという有名なモニュメントがあり、

 時間を対象化していることから、

 天機理論によれば、時間や時の原理を

 敵視する国なのではないか

 

④イギリスの国の紋章である国章には

 獅子が数多くモチーフとして描かれており、

 イギリスは獅子に象徴されるような力を

 みずからの力としているのではないか、

 ということは、つまりは

 時の原理をやっぱり敵視しているのではないか

 

などといったことを検討いたしました。

 

 

今回考えてみたいのは、

ガーター勲章、とよばれるものなんですね。

 

 

こちらはいらすとやからお借りした

ただの勲章のイラスト↓

 

 

 

 

ガーター勲章というのは

イングランドにおける最高勲章であり、

イギリス全体のなかでもかなりの

上位に位置する勲章だとか。

 

 

別名をブルーリボンとも呼ばれており、

そのモットー(標語)は、

「悪意を抱く者に災いあれ」

という言葉らしいです((((;゚Д゚))))

 

 

悪意を抱く者に災いあれ。

 

 

なんともおそろしげでもあり、

なんだかかっこよくもある言葉ですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

この言葉は、じつは

以下のような出来事をもとにして

生まれた言葉だと言われています。

 

 

あるとき、イギリスの王様が

家臣とかを集めてパーティーをしていた

らしいんですね。

 

 

そこにどこかの奥方も出席していたのですが、

不幸なことに

パーティーの最中にその奥方の

ガーターが外れてしまい

それが露出したらしいです。

 

 

それは当時の礼儀作法としては

無作法なことであったらしく、

出席者たちはその女性を嘲笑したらしいのですね( ノД`)

 

 

そのときに、王様が

出席者たちをたしなめて

その女性を擁護するために発した言葉が

「悪意を抱く者に災いあれ」

という言葉だったらしいんですよ。

 

 

おまえたち、その女性に対して悪意を抱くな、

ということなんでしょうね。

 

 

騎士道精神のようなものを感じます٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

さて。

 

 

ひねくれ者の天機が今回、

このガーター勲章で注目したいのは、

ずばり、

この「悪意を抱く者に災いあれ」という

言葉なんですね。

 

 

ひねくれ者ですから、

ひねくれた解釈をしていきます( ´艸`)

 

 

悪意を抱く者に災いあれ。

 

 

普通に考えたら、いい言葉ですよね。

 

 

悪はよくないことだ。

 

 

悪はなさずに、正義をおこなうべし。

 

 

そういう意味の言葉なんでしょう?

と考えたくなるところです。

 

 

でも、もう少し深く考えてみましょう。

 

 

この言葉、

「悪を為す者に災いあれ」

では、ないんですよね。

 

 

そうではなくて、

「悪意を抱く者に災いあれ」

なんですよ。

 

 

何を言ってるんだ天機さん、

悪を為すのも、悪意を抱くのも

おんなじことじゃないか、

悪意を抱くから悪を為すんだろ?

と、

そのようにおっしゃるかたも

おられるかもしれませんね。

 

 

でも、ひねくれ者の天機は

少々異なったふうに考えているのです。

 

 

悪を為す、ということと、悪意を抱くということは、

厳密には同じとは言えないんじゃないだろうか。

 

 

悪を為す、ということと、悪意を抱くということの間には、

「すき間」のようなものが存在するのではないだろうか。

 

 

そんなふうに、天機なんかは考えるんですよ。

 

 

人間の、心の構造をすこし考えてみましょう。

 

 

たとえば、ある人が誰かを突然殴ったとします。

 

 

その人が相手を殴るという行為に至るまでには、

 

①イライラしたとか、なんとか、

 相手をやっつけてやろうという害意が生じる

 

②でも、それって本当にやっていいことなのかな?

 そんなことしたら相手にも迷惑かけるし、

 非難されるだろうし、

 場合によっては警察につかまったりとか?

 という判断が生じる

 

③最初に害意が生じて、なおかつ、

 次の段階の判断も通過した場合に、

 よし、やっちゃえ!という方針決定となって、

 実際の加害行動に移る

 

と、このようなプロセスを通常は

踏んでいるような気がするんですね。

 

 

人間の心の中には、

感情の部分と、理性の部分の

両方が存在していると思うんです。

 

 

感情だけ、とか、理性だけ、とか

ではないんですよね。

 

 

そして、人間の心には、

最初に生じる気持ちのような部分、

これを天機は第1の心、

などというふうに呼んでいるのですが、

その第1の心、気持ち、感情の部分がまずあって、

そのつぎに

それに関連して理性的な判断を加える

第2の心というのがある。

 

 

その2層構造で

基本的には人間の心というのはできている、

なんてことを思っているわけなんです٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

もし、人間の心に感情の部分だけしか

存在しないのであれば、

感情においてなんらかの害意が生じたならば、

それは理性による「ふるい」を経ることなしに

そのまま外界にあらわれることになります。

 

 

あいつを殴ろう、と思ったならば

すぐに「殴る」という行為になって

現実化してしまうんですね。

 

 

そういうような、感情だけしか存在しない

心であるならば、

悪意を抱く、ということと、悪を為す、ということは

ほぼイコールでつながってしまいます。

 

 

なのでその場合には、

悪意を抱くべからず、というのは

悪を為すべからず、というのと同じということになり、

悪意を抱くことを禁止するガーター勲章の文言は

悪を為すことを戒める意味ももつものとして、

解釈可能だということになります。

 

 

でも、実際には

人間の心は感情だけでできているのでは

ないですよね。

 

 

人間の心には

感情以外に理性の部分が存在します。

 

 

ということは、

人間の第1の心の部分で

他者に対するなんらかの害意が生じたとしても、

第2の心である理性の部分で

それが外界に現実化するのを

遮断する可能性がある、ということになるんですよ。

 

 

面白いことを考えてみましょう。

 

 

ここに2人の人間がいるとします。

 

 

Aさんは、第1の心に悪を持っていますが、

第2の心には善をもっています。

 

 

Bさんは、第1の心に善を持っていますが、

第2の心には悪をもっています。

 

 

AさんとBさんは、

はたして、どちらのほうがより善で、

どちらのほうがより悪だと言えるでしょうか。。。?

 

 

とても変な説例で、

すぐには理解できないかもしれません。

 

 

Aさんについて考えてみましょう。

 

 

Aさんが、第1の心に悪を持っているというのは、

感情の面で乱暴なこと、邪悪なことが

すぐ思い浮かび、

そういう気持ちになってしまう、ということです。

 

 

でもAさんは、第2の心に善を持っているので、

その自分の乱暴で邪悪な心のままに行動したら

どういう結果を世の中に対してもたらすか、

ということを判断でき、

結果的に、自分の内にあるその乱暴で邪悪な衝動が

外界に発露してしまうのを遮断しています。

 

 

Bさんは、それとは対照的です。

 

 

Bさんは、とてもあたたかい、愛情にみちた思いが

自分の内にあります。

 

 

Bさんは、第1の心に善を持っているからです。

 

 

Bさんは善人じゃないか、自分の心のうちにあたたかいものを

持っているなら、善人以外の何者でもないだろ!

と、皆さんは思われるかもしれません。

 

 

でも、注意してください。

 

 

Bさんは、第1の心に善を持っているかわりに、

第2の心に悪をもっているんです。

 

 

ここがわかりにくいところだと思うんです。

 

 

第1の心に善を持っているのに、

なんで第2の心に悪を持てるんだ?

 

それって、いったいどういうことなんだ。。。?

と。

 

 

こういうことです。

 

 

Bさんは、第1の心に善を持っているので、

親しい関係、身近な関係にある人に対して

非常に親切で、思いやりのある気持ちを持っているのですが、

第2の心には悪を持っているので、

「自分の身近で親しい間柄にある人に対して親切にし、

 愛情をかけるためであるならば、

 広く社会にとっては害になるようなことをしてもかまわない」

と、このように思う可能性があるんですね((((;゚Д゚))))

 

 

そんなのこじつけだ!

 

 

そんなことあるわけない!

 

 

と思う方も、少なくないかもしれません。

 

 

仏教に、こんなお話があります。

 

 

鬼子母神(きしもじん、きしぼじん)という

仏教を守護する仏様の1人がいるんですね。

 

 

でも、もともとは彼女は、

仏教を守護するような仏様ではありませんでした。

 

 

彼女には、500人からの

愛する自分の子供たちがいました。

 

 

でも、その自分の子供たちを育てる栄養をつけるため、

人間の子供を襲って食べていたので

人間からはひどく恐れられていたんですよ。

 

 

それを見かねたお釈迦様は、

彼女がいちばん愛している末子のピンガラを

隠しました。

 

 

彼女は半狂乱になって

世界中を7日間駆け抜けて探し回りましたが

見つけることができず、

お釈迦様に助けを求めました。

 

 

お釈迦様は、

「おまえには500人からの子供がいるのに

 そのうちのたった1人を失っただけでも

 そのように嘆き悲しむ。それならば、

 おまえに子供を奪われた人間の嘆き悲しみは

 いかほどのものであろうか」と、

彼女を諭しました。

 

 

そこで彼女は自分の非に気づき、お釈迦様にしたがい

仏の道に帰依することにし、

施食によって飢えを満たすことなども

お釈迦様から教えられて、

のちに仏法を守護する鬼子母神となったのです。

 

 

この鬼子母神のお話、

皆様はどのように感じられるでしょうか。

 

 

鬼子母神は、自分の私利私欲のために

人間の子供を襲っていたわけではないのです。

 

 

自分の子供を愛する、という、

身近なもの、親しいものへの

やさしい思いやりの気持ちは持っていたんですね。

 

 

でも、その親しいものへの優しさを実現するためであれば、

広く世間一般のひとは犠牲にしてもかまわない、

と思ったので、

関係のない人間の子供は襲って食べたのです。

 

 

つまり、鬼子母神もまた、

第1の心には善を持っていたのですが、

第2の心には悪を持っていたがゆえに、

そのような行動にでたんですね。

 

 

このように、

第1の心、自分の周辺に対して抱く素朴な気持ちが

善であるならば、

そのひとは善人だろう、と普通は

考えてしまうのですが、

実際には、

第1の善の心と、第2の悪の心が

並立している状況というのは、ありうるわけなんです。

 

 

天機はよく、天機理論のなかで

理の原理と、生の原理、

というお話をします。

 

 

自分以外に他者が存在することを認めて

その他者のことも尊重しよう、というのが理の原理。

 

 

そして、

自分が生きるためであれば

他者を犠牲にしてしまったってかまわない、

というのが生の原理です。

 

 

先ほどから、

人間の第1の心、第2の心について説明するなかで

善と悪ということを言ってきましたが、

善というのは、つまりは理の原理のことで、

悪というのは、つまりは生の原理のことである、

というふうに考えてもらっても

かまわないかと思います。

 

 

第1の心に生の原理を持ち、第2の心に理の原理を持つ、

という心の構造を持った人間は、

自分の心の奥底から湧いてくる邪悪な欲望を満たすために

頭脳を使ってその実現を図るかもしれません。

 

 

そのいっぽうで、そのような心の構造をもつ別の人間は、

自分の心の奥底から湧いてくる邪悪な感情を

他者のことも考えるしっかりとした自制心で制御することで、

みずからの人格を高めていく可能性もあるんですね。

 

 

第1の心に理の原理を持ち、第2の心に生の原理を持つ、

という心の構造を持った人間は、

あるいは自分の愛する情人のために

会社のお金を横領してしまうなどの

犯罪に手を染めることがあるかもしれません。

 

 

そのいっぽうで、そのような心の構造を持つ別の人間は、

自分の大切にしている小さき弱き者を守るため、

社会の荒波のなかで自分の権利を勝ち取っていくために

戦う強さをそなえているかもしれないのです。

 

 

理の原理と生の原理というのは本当に不思議なもので、

どちらが欠けてもこの世界は成り立たないもの

なのかもしれません。

 

 

そして、

第1の心に悪を持ち、第2の心に善を持つ人間と、

第1の心に善を持ち、第2の心に悪を持つ人間の、

どちらのほうがより善で、どちらのほうがより悪なのか

という問題も、

永遠の謎なのかもしれません。

 

 

このように長々と論じてきましたが、

今回のブログ記事のテーマであった

イギリスのガーター勲章にお話を戻してみますと、

そこに書かれてあった

「悪意を抱く者に災いあれ」という文言は、じつは、

悪い感情を抱く者こそが災いを受けるに値する、

ということなので、つまりは

第1の心に悪をもつ者のほうを

狙い撃ちにした文言であることがわかります。

 

 

このガーター勲章の文言は、

最終的に悪という行為を為すかどうかではなく、

悪感情を抱くかどうかということを

非常に問題にしているのです。

 

 

なので、

悪意を抱くけれどもそれを理性によって制御して

外部には加害行為を為さない者、も、

このガーター勲章の文言にあらわれている思想では

許されないことになります。

 

 

第1の心に悪を持ち、第2の心には善を持つAさんと、

第1の心には善を持ち、第2の心には悪を持つBさんとでは、

一方的にAさんだけを断罪し、

一方的にBさんだけに肩入れするのが

ガーター勲章の文言にあらわれている思想だ、

ということになるんですね。

 

 

そして、ここからはむずかしいお話になるのですが、

東洋思想の陰と陽でいうと、

善=理の原理=陰、

悪=生の原理=陽、

であるというふうに自分は考えています。

 

 

陰陽はもともと太極という1つのものからスタートし、

それがまず最初に陰と陽という2つにわかれます(両儀)。

 

 

その分かれた陰と陽が、さらにそれぞれ2つに

わかれることで、

陰と陽の組み合わせが4つできます(四象)。

 

 

この4つが、じつは

男性の体、男性の心、女性の心、女性の体、

に該当するものだと、天機は考えているんですね。

 

 

そして、そのなかから

男性の心と女性の心をとりだしてみると、

男性の心は第1に陽があり、第2に陰がある。

 

 

反対に、

女性の心は第1に陰があり、第2に陽がある、

ということがわかります。

 

 

ということは、

陰=理の原理=善、

陽=生の原理=悪、という

天機理論にしたがって考えてみると、

第1の心に悪を持ち、第2の心に善を持つ、

という心の構造を持っているのが

じつは男性ということになり、

第1の心に善を持ち、第2の心に悪を持つ、

という心の構造を持っているのが

じつは女性ということになります。

 

 

そして、イギリスのガーター勲章の文言である

「悪意を抱く者に災いあれ」という思想は、

このうちの

第1の心に悪を持つ者を排撃し、

第1の心に善を持つ者を祝福するものであるので、

つまりはイギリスは、ここでも

男性原理を排撃し、女性原理を喜ぶ

ということが明らかになったのでした。

 

 

中盤から最後にかけてたいへん

むずかしいお話になってしまいました。。。

 

 

ここまで読んでいただき、

ありがとうございました。

 

 

今回のお話は、こんな感じです。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

 




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