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内閣法制局が集団的自衛権の行使を、たった1日で合憲に解釈変更した過程を公文書に残さず隠蔽!


 

 内閣法制局は政府内部の法の番人として、政治から一定の距離を置いてある程度の中立性を保ちながら、政府の法解釈の公式見解を出してきました。

 ところが、安倍首相は、集団的自衛権の行使を可能にするために、半世紀以上それを違憲だとしてきた内閣法制局の長官の首を挿げ替え、合憲だと言ってくれる小松一郎氏にしてしまいました。

 そもそも、合憲だと言ってくれる人に長官を変えて合憲だと言わせるという恣意的なやり方では、内閣法制局を今後信用できなくなるわけですし、権威も重みもへったくれもありません。

 だから、その後、歴代長官が何人も安倍内閣の解釈変更を痛烈に批判することになったのです。

 

 

 その内閣法制局が、この歴史的な解釈変更の内部検討の経緯を示した資料を公文書として残していないことを法制局関係者が明らかにし、2015年9月28日、毎日新聞が大きくスクープしました。

 これでは集団的自衛権行使を可能とする憲法9条の解釈変更をめぐり、歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使がどのような検討を経て認められたかを歴史的に検証することが極めて困難です。

 そして文書が一切ないとなると、「法的安定性」(憲法や法律解釈が安定的に運用され、国民に予測が可能となること)もますます損なわれます。

 しかもなんと、法制局によると、2014年6月30日に閣議決定案文の審査を依頼され、翌日の7月1日に「意見なし」と回答し、その7月1日にすぐに集団的自衛権の行使が可能であるという安倍内閣の閣議決定がされたというのです。

 まさに、結論ありき!こういうのを「めくら判」って言うんですよ。

 憲法と法令や閣議決定の整合性を審査する役所であるはずの法制局の、こんな任務放棄の姿勢は厳しく追及されるべきでしょう。

阪田 雅裕 (著), 川口 創  (著)
大月書店

戦後60余年積み重ねられた憲法解釈の重みをもっとも知る元長官が語る、立憲主義の要としての法制局の責務とその危機。全国民必読の書!

 

 

 ところが、この問題を追及された菅義偉官房長官は28日の記者会見で

「法制局は閣議決定について公文書管理法に基づき、適正に文書を保有している」

と述べました。

 何も文書を残していないのに適正に文書を保有しているとは言語道断です。

 公文書管理法は将来にわたる国民への政府の説明責任を基本理念としており、公文書を

「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」

と規定しているのですから、法制局が今回やったことや菅官房長官の考え方は明らかにこの法律の精神に反します。

 

 そして、菅氏が毎日新聞のスクープを受けて質問されたらすぐさま答えたということは、公文書に解釈変更の過程を一切残さなかったのは、法制局だけの判断ではなく、安倍内閣の指示だということです。

 安倍首相も安倍内閣も、そもそも憲法を守る気がなく、その解釈をろくに検討もせずに勝手に変えてしまった証拠も隠滅しようとしているわけで、こんな立憲主義破壊の政権は戦後最悪であると断言せざるを得ません。

 

 

憲法と言う国の最高法規を守る気がないんだったら、砂川事件最高裁判決がどうのとか屁理屈を言わないで、俺たちは「ルールを守る気なんてない!」とはっきり言ったらいいのに。

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阪田 雅裕 (著)
有斐閣

本書の主な内容である憲法第9条の解釈問題は、現実的には政府の解釈が最終的なものとなっている。憲法第9条の文言の現実の姿は、本書に紹介された政府の解釈によって描かれる。


長谷川恭男、杉田敦 著
朝日新聞出版

国の安全に関わる重要な問題を、内閣法制局や憲法学者だけに任せていていいのか?圧政に苦しむ人々を、助けに行かなくてよいのか?憲法で縛るより、国会でその都度議論すべきではないのか?日本国憲法をめぐる最重要論点を、いま最も注目の憲法学者と政治学者が徹底討論。憲法学の現状への痛烈な批判も飛び出す、スリリングで最先端の憲法対論。


水島朝穂 著
集英社

憲法は本来、国家権力の暴走を縛るためのものである。だから、改憲には厳格な「作法」、ルールが存在する。
憲法学者・水島朝穂が、立憲主義の本質から解き明かす"憲法論"の決定版!
 

布川玲子 (著, 編集), 新原昭治 (著, 編集)
日本評論社

60年安保改定交渉の山場に出された砂川事件伊達判決は、米国にとって途方もない脅威だった。極秘だった新資料によって裏舞台を暴く。伊達判決をつぶし60年安保改定を強行した裏舞台の全て。

1959年安保改定交渉大詰め時の米解禁文書群から執念で発掘した極秘文書等22の新資料を網羅、整序する。日米政府にとって駐留米軍を違憲とした伊達判決がいかに脅威であったか、それを葬るためにいかなる作戦が秘密裏に謀られたか、その中で、田中耕太郎最高裁長官が大法廷で覆すことをどんなふうに米国と裏約束したのか…、基地問題、集団的自衛権など、日米同盟の深化に向かう今日の日本の国のかたちを決定づけた時期に司法の果たした役割がいま明らかにされる。


吉田 敏浩 (著), 新原 昭治 (著), 末浪 靖司  (著)
創元社

1959年12月16日、在日米軍と憲法九条をめぐって下されたひとつの最高裁判決(「砂川事件最高裁判決」)。アメリカ政府の違法な政治工作のもと出されたこの判決によって、在日米軍は事実上の治外法権を獲得し、日本国憲法もまた、その機能を停止することになった…。大宅賞作家の吉田敏浩が、機密文書を発掘した新原昭治、末浪靖司の全面協力を得て、最高裁大法廷で起きたこの「戦後最大の事件」を徹底検証する!!

 

 

毎日新聞 2015年09月28日 東京朝刊

 

 政府の憲法解釈を一手に担う内閣法制局が、40年以上維持してきた「集団的自衛権の行使は違憲」という判断を昨年夏、180度転換した。その過程を記す公文書は何も残されていない。背景を取材すると、「法の番人」として威厳を保ってきた法制局が、政治の介入によって無力化されつつある現状が浮かんだ。この国の「法の支配」が揺らいでいる。【日下部聡、樋岡徹也、林田七恵】

 ◇検討経緯、水面下に

 「安全保障法制の議論はこの30年間、従来の憲法解釈の範囲内で一歩ずつ進めてきたのに、今回はボコーンと行ってしまった」

 小泉内閣で法制局長官を務めた阪田雅裕氏は、今回の憲法9条解釈変更をそう表現する。「十分に議論する時間があったのか疑問だ」

 国のかたちを根底から変える9条の解釈変更について、法制局はたった1日の審査で「意見なし」とし、結果は憲法解釈を担当する第1部の参事官が電話で内閣の担当者に伝えた。

 「そんな審査はあり得ない」と、元総務官僚の小西洋之参院議員(民主)は批判する。小西氏は総務省時代、法解釈の審査を受けるために何度も法制局に通った。「法制局とは必ず文書でやり取りした。今回の閣議決定を審査するなら、天井まで積み上がるくらいの文書と、少なくとも1年近くの時間が必要だろう。つまり、法制局は今回、何もしなかったということだ」

 横畠裕介長官の国会答弁によると、安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)や自民・公明両党による安保法制の与党協議会で使われた資料を継続的に受け取り、必要に応じて内閣官房から説明を受けつつ「部内で検討を加えていた」という。

 安倍首相は2013年8月、集団的自衛権行使容認派の外務官僚、小松一郎氏を法制局長官に任命(長官退任直後の昨年6月に病死)。その下でナンバー2の法制次長を務めたのが現長官の横畠氏だ。今回の集団的自衛権の行使容認は「限定的で合憲」との見解を国会答弁で示してきた。

 複数の与党関係者によると、高村正彦・自民党副総裁や北側一雄・公明党副代表らは、与党協議会とは別に、横畠氏と非公式に会っていた。「彼らは閣議決定前に『限定的容認は従来の9条解釈の枠内』ということで合意していた」と関係者の一人は打ち明けた。

 他界した小松氏や横畠氏が解釈変更に深く関与していることは間違いない。だが、非公式の折衝や協議は記録に残らず、プロセスは水面下に沈んでいる。

 一方、集団的自衛権の行使を認めないとする1972年の政府見解については、小西氏の情報公開請求に今年、法制局が「集団的自衛権と憲法との関係について」と題する文書を開示した。第1部の参事官が「(政府見解の案文を)別紙の通りまとめたので、これを(参院の)委員会に提出してよろしいか」と決裁を求め、手書きの訂正が加えられ、部長、次長、長官の決裁印が押されている。組織全体で認識が共有されていたことがうかがえる。

 今回の解釈変更では、この種の文書が残っている可能性は低く、法制局が何をどう判断したのかを後世に検証するのは難しい。公文書管理制度に詳しい瀬畑源(せばたはじめ)・長野県短大助教は「公文書管理法は将来にわたる国民への説明責任を理念とし、公文書を『民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源』とする。意思決定の過程は必ず記録し、歴史的検証に耐え得る文書として残す必要がある。今回のような大きな政策転換にかかわる時にはなおさらだ」と指摘する。

 ◇長官人事に政治介入

 内閣法制局は長い歴史を持つ。1885(明治18)年、伊藤博文が初代首相となり内閣制度が発足した翌日に設置された「法制局」が、その原形だ。「西欧列強に肩を並べるため、明治政府は法治国家であることを示そうとした」と法制局に詳しい西川伸一・明治大教授(政治学)は解説する。以後、あらゆる法令に矛盾がないよう厳格に審査する伝統が生まれた。軍部に唯一物申せたのが法制局だったとも。戦後、政府提案の法律に対し最高裁の違憲判決は一度もない。法案段階での審査がいかに精密かを物語るエピソードだ。

 とはいえ内閣の一機関であり、内閣の要求に応えなければならない。海外での国連平和維持活動(PKO)やイラクでの人道復興支援活動など自衛隊の海外派遣を巡る立法では、「ガラス細工」と皮肉られる憲法解釈を積み重ねた。「法の番人」か。それとも「政府の法律顧問」か。矛盾する役割を担う中で「集団的自衛権行使は違憲」は守ってきた最後の一線だった。

 法制局は海外での武器使用にも一貫して慎重だった。民主党政権は、PKOに際して自衛隊が民間人らを救助する「駆けつけ警護」の容認を検討したが、野田佳彦政権で防衛政務官を務めた大野元裕参院議員は「法制局が認めなかったから、できなかった」と証言する。

 法律の案文や憲法解釈の審査などの実務は、法律に詳しいと目され各省庁から抜てきされた参事官たちが担う。一つの案件を原則1人で担当する激務だ。「法律の専門家としてのプライドを持つ参事官が『法の番人』としての役割を支えてきた」(西川教授)

 この参事官から部長や次長を経て長官に上り詰めるのが、戦後の人事の慣例だった。安倍首相は外部から小松氏を長官として送り込み、その不文律を覆した。「これで法制局の中立的な立場が、完全に奪われた」と西川教授は見る。小松氏の前任、山本庸幸元長官は最高裁判事となった際の記者会見で、集団的自衛権の行使について違憲だとの自説を述べた。

 元長官の阪田氏は「(内閣に対し)『だめ』と言って務まる時とそうでない時がある。それは相手の強さによる。横畠君の苦労も分かる」と法制局の微妙な立場を代弁する。「法制局みたいなちっぽけな役所が、憲法9条のような重い荷物を背負いきれるわけがない。どうしても外国の戦争を手伝うようにしたいなら、憲法を改正するしかないでしょう」

 

毎日新聞 2015年09月28日 09時30分(最終更新 09月28日 10時44分)

横畠裕介内閣法制局長官=藤井太郎撮影
横畠裕介内閣法制局長官=藤井太郎撮影
 

 政府が昨年7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認に必要な憲法9条の解釈変更について、内閣法制局が内部での検討過程を公文書として残していないことが分かった。法制局によると、同6月30日に閣議決定案文の審査を依頼され、翌日「意見なし」と回答した。意思決定過程の記録を行政機関に義務づける公文書管理法の趣旨に反するとの指摘が専門家から出ている。

 ◇審査依頼の翌日回答

 他国を攻撃した敵への武力行使を認める集団的自衛権の行使容認は、今月成立した安全保障関連法の土台だが、法制局はこれまで40年以上もこれを違憲と判断し、政府の憲法解釈として定着してきた。

 法制局によると、解釈変更を巡り閣議前日の昨年6月30日、内閣官房の国家安全保障局から審査のために閣議決定案文を受領。閣議当日の翌7月1日には憲法解釈を担当する第1部の担当参事官が「意見はない」と国家安全保障局の担当者に電話で伝えた。

 横畠裕介長官は今年6月の参院外交防衛委員会で、解釈変更を「法制局内で議論した」と答弁。衆院平和安全法制特別委では「局内に反対意見はなかったか」と問われ「ありません」と答弁した。法制局によると今回の件で文書として保存しているのは、安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の資料▽安保法制に関する与党協議会の資料▽閣議決定の案文−−の3種類のみで、横畠氏の答弁を裏付ける記録はない。

 「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とする1972年の政府見解では、少なくとも長官以下幹部の決裁を経て決定されたことを示す文書が局内に残る。法制局が審査を行う場合、原則としてまず法制局参事官が内閣や省庁の担当者と直接協議し、文書を残すという。しかし、今回の場合、72年政府見解のケースのように参事官レベルから時間をかけて審査したことを示す文書はない。

 公文書管理法(2011年4月施行)は「(行政機関は)意思決定に至る過程や実績を検証できるよう、文書を作成しなければならない」(第4条)とする。

 解釈変更を巡る経緯について、富岡秀男総務課長は取材に「必要に応じて記録を残す場合もあれば、ない場合もある。今回は必要なかったということ。意図的に記録しなかったわけではない」と説明。公文書管理法の趣旨に反するとの指摘には「法にのっとって文書は適正に作成・管理し、不十分との指摘は当たらない」と答えた。横畠氏にも取材を申し込んだが、総務課を通じて「その内容の取材には応じない」と回答した。【日下部聡、樋岡徹也】

 ◇「民主主義の原点」…記録なし、識者批判

 内閣法制局に関する本や論文を多数執筆している明治大の西川伸一教授(政治学)は「戦後の安全保障政策の大転換であるにもかかわらず、たった一晩で通すなど、あまりにも早すぎる。白紙委任に近い。従来の法制局ならあり得ないことだ」と指摘する。さらに、検討の過程を公文書として残していないことについても、「記録を残さないのは疑問。国民によるチェックや後世の人々の参考のため、記録を残すのは民主主義の原点だ。政府は閣議の議事録を公開するようになり、公文書管理法も制定された。その趣旨にのっとって、きちんと記録を残すべきだ」と話す。

 ◇内閣法制局◇

 内閣直属の機関で、審査事務(政府が作る法令案の審査)と意見事務(内閣に対する法的な助言)を主な役割とし、今回のような憲法解釈は後者に当たる。積み重ねられてきた法解釈との整合性を重視した厳格な審査をすることから、「法の番人」と呼ばれてきた。職員数(定員)は77人。

 

 

 内閣法制局が昨年7月1日に閣議決定した集団的自衛権行使を可能とする憲法9条の解釈変更をめぐり、内部検討の経緯を示した資料を公文書として残していないことが28日、分かった。法制局関係者が明らかにした。歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使がどのような検討を経て認められたかを歴史的に検証することが困難となり、憲法と、法令や閣議決定の整合性を審査する法制局の姿勢が問われそうだ。

 菅義偉官房長官は28日の記者会見で「法制局は閣議決定について公文書管理法に基づき、適正に文書を保有している」と述べた。

 

 

安保法案 正当性さらに揺らぐ 歴代法制局長官4氏「違憲」

2015年6月20日 07時10分 東京新聞


 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について、内閣法制局の歴代長官で故人を除く十氏のうち五人が本紙の取材にコメントし、四氏が「違憲」もしくは「運用上は違憲」との考えを示した。合憲はいなかった。安倍政権は安保法案について「従来の憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない」として、合憲と主張している。しかし、歴代内閣で憲法解釈の中心的役割を担った元長官が合憲性を否定したことで、法案の合法性はさらに揺らいだ。 (金杉貴雄)

 本紙は個別に十氏を取材し、五十八~六十二代(現在の横畠裕介長官は六十六代)の五氏から回答を得た。

 第一次安倍内閣(二〇〇六~〇七年)などで長官だった宮崎礼壹(れいいち)氏は、集団的自衛権の行使について「憲法をどう読んでも許されないのは、論理的な帰結。最小限なら当てはまると言うが、従来の見解と断絶した考えだ」として、違憲と断じた。

 日本周辺で有事が起きた際、米軍支援を可能にした周辺事態法の制定当時(九九年)に長官だった大森政輔(まさすけ)氏も「政府がどんな理屈でも武力行使できる法案。九条に違反している」と述べた。

 小泉政権で長官だった阪田雅裕氏は、憲法解釈の変更は全く認められないわけではないとしながら、集団的自衛権行使は「戦争がわが国に及ぶ状況でなければ従来の論理と合わない」と指摘。「(中東の)ホルムズ海峡で(行使が)あり得るとする説明は憲法論理を超え、その説明では法案は違憲だ」と語った。

 イラク戦争(〇三年)に長官として直面した秋山収氏は、新たな憲法解釈は違憲とまで断じるべきではないとしつつも「具体的運用の説明には違憲のものが含まれ、違憲の運用の恐れがある」と指摘した。

 〇一年の米中枢同時テロ当時長官だった津野修氏は「法案の内容が抽象的すぎて具体的な条文が違憲かは分からない」と述べた。

 取材に応じた五氏のほか、第二次安倍政権で長官を辞め、最高裁判事(現職)になった山本庸幸(つねゆき)氏は就任会見で「(集団的自衛権の行使容認は)解釈変更で対応するのは非常に難しい」と明言。本紙の取材には「現在は立場上差し控える」とした。安保法案の違憲訴訟が起こされた場合、合憲か違憲かを判断する立場になるが「白紙の状態で判断したい」と述べた。

 梶田信一郎、工藤敦夫、茂串俊(もぐしたかし)、角田(つのだ)礼次郎の四氏は、体調や高齢、立場上などを理由にコメントしなかった。


       

歴代法制局長官5氏の見解要旨

2015年6月20日 東京新聞

 内閣法制局の歴代長官の安保法案に関する見解の要旨は次の通り。

◆宮崎礼壹氏 歴代の政府見解と断絶

 集団的自衛権の行使に関する憲法解釈は、一九七二年の政府見解で説明されている。安倍政権はこの七二年見解の論理は維持しながら、集団的自衛権の一部が限定的に認められると主張している。

 だが、この見解はそもそも、憲法上、集団的自衛権の行使が許されないことの理由を説明したものだ。

 当時の吉国一郎内閣法制局長官は「論理的帰結としてわが国への侵略がない場合の武力行使は、憲法上許されない」「憲法をどう読んでもだめだ」と語っている。集団的自衛権の行使は、まだわが国が侵略を受けていない段階で武力行使することだから、九条でどうしても読めない。

 少しは集団的自衛権もいいじゃないかというが、七二年見解は今のところはだめとか、ごく少しであればいいとか全く何も留保していない。それを根拠にするなんて百八十度違う話だ。

 七二年以降も国会で質疑がたびたびあった。だが、集団的自衛権が限定的とか一部とか認められる余地は、全くないと示されている。

 安倍政権の新解釈は、都合のよいところだけ取り出し、最小限の集団的自衛権なら当てはまるというが、それはまったく無理。これまでの政府見解から断絶した考えだ。

 今回はあまりにおかしな、ひどい議論が行われている。七二年見解の部分部分をつぎはぎし、集団的自衛権が認められるかどうかは事実の当てはめにすぎないと強弁するのは、こじつけ以外の何物でもない。

 現在の横畠裕介長官が最近、非常に問題のある解説をしている。七二年見解で憲法が武力行使をぎりぎり容認している「外国の武力攻撃で国民の生命、権利が根底から覆される急迫、不正の事態」の「外国の武力攻撃」に、「『他国への外国の武力攻撃』も含まれる」とした。

 ものすごく形式的な読み方をすればいいと思っているが、これは「日本に対する武力攻撃」と読まなければおかしい。何重の意味でもそんなことは読めない。

 政府解釈の根幹は変わっていないなどととても言えない。今までの論理を捨てるなら別の大きな問題となるが、法的な連続性が保たれているというなら、その主張は無理、うそだ。法案は違憲というのが正しい。

◆阪田雅裕氏 「ホルムズ海峡」憲法逸脱

 集団的自衛権の行使はこれまでおよそ認められない、必要ないと考えられてきた。法律の考え方は、理屈と事実をどう当てはめるかという問題がある。これまでは全否定だったが、自国の安全、侵略と関係あるような個別的自衛権と同じレベルのものもあり得る、としたのだろう。

 問題は、なぜそのように変える必要があるのかという十分な説明ができなければならないことだ。安全保障環境が変わったとの抽象的な説明しかしていないが、他国への攻撃に対処することが、国民を守ることとどう結び付くのか。分からない。

 憲法で武力行使が許されるのは、日本に影響があるようなことでは足りず、経済的な損失程度なら憲法の基本的論理の外になる。

 他国に対する攻撃でわが国に戦火が及ぶような状況という説明で、安倍晋三首相は「戦禍」(戦争による被害)という意味で言っているが、その程度ではだめで、「戦火」、まさに戦争が国に及ぶ状況でなければ従来の論理には合わない。政府は中東・ホルムズ海峡での機雷掃海もあり得ると言っているが、憲法論理の枠内に入らない。ホルムズ海峡での事態も法案に当てはまる可能性があるとの政府の説明なら違憲だ。

◆秋山 収氏 参戦に導く苦渋見えぬ

 集団的自衛権の行使を容認する政府の新解釈は、通常の言語感覚で理解すれば違憲とまで断ずべきものではない。ただ抽象的で多様に解しうる表現を使っているために「歯止め」が不十分だ。できるだけ自衛隊の活動の範囲を広げたい政府の具体的な運用の説明には、合憲の範囲を超えて違憲になるものを含んでおり、違憲の運用が行われる恐れがある。例えば「ホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合、一定期間エネルギー危機に陥る」とか、「自衛隊を戦闘に派遣しなければ米国世論に見放され、日米安保が瓦解する」などの理由で派兵がなされるケースだ。

 首相の対応を初めから見ていると、一国のリーダーとして国を参戦に導くことの重さや苦渋がほとんど感じられず、解釈の範囲を広げられるだけ広げようという姿勢が見える。このような人を最高責任者に持つことに強い不安を覚える。

◆津野 修氏 条文ごとに具体説明を

 憲法上、集団的自衛権は一般的には行使できないのは当然だ。個別的自衛権でさえ国際法上のものより限定的で解釈されているのに、なぜ集団的自衛権の行使が認められるのか。

 集団的自衛権は違憲だと一般論では言ってきたが、全く何も認められないかというと分からない。政府の論理は非常に抽象的。具体論として条文が本当に違憲なのかは難しい問題。具体の条文については説明を聞かないと分からない。政府は分かるように説明すべきだ。

◆大森政輔氏 政府の理屈で武力行使

 集団的自衛権行使を解釈変更で認めるのは、憲法九条に照らし認められない。

 解釈変更と今回の法案が憲法上認められないのは、議論するまでもない。国会では常に問題にされ、政府の説明は国際法上は有しているが憲法九条に照らすと行使は認められないと一貫してきた。ほとんど自民党内閣がそう言い続けてきた。それが突如、憲法解釈の変更で認められるとなった。今更解釈変更と称してできるはずがない。

 解釈変更で武力行使できる新たな要件に、従来の「国民の生命、権利が根底から覆される事態」に「明白な危険がある場合」と余分な文言がついた。国民の生命、権利が覆される状態にまだない段階で武力行使する。九条とは相いれない。

 何をやるかの説明でホルムズの機雷掃海の話が出てくる。これで集団的自衛権を行使できるのなら、どんな事例でも理屈をつけたらほとんどできるようになる。非常に限定されているような文言だが、政府がやろうと思えば理屈がいくらでもつけられる要件だ。あの文言はうそを言っていることになる。違憲ということは明らかだ。

 

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