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今、朝日新聞記者の中で一番読むに値する記事を書いてくれる一人、編集委員の高橋純子氏にとっては、2025年10月28日にトランプ大統領を迎えて横須賀基地に同行し、空母の上で飛び跳ねた高市早苗首相の姿が大変なインパクトだったようです。
12人の記者が連載する記者コラム「多事奏論」で11月8日に
『跳ねる高市首相によみがえるわが黒歴史 入れ子状態の抑圧はいまも』
を書き、
「消音にしているはずのテレビから、キャピッ、キャピキャピッと音がする。画面の中で高市早苗首相が、トランプ米大統領の隣ではしゃいでいた。米海軍横須賀基地、原子力空母の上らしい。ながめているうち、身の内の深い深いところに沈めていた記憶がせりあがってきて、口の中が苦くなる。ああ、かつての私も、たぶん、こんな風に、「権力者」の隣でキャピキャピ音をたてていたのだろう。」
と吐露した高橋氏が、軍事組織とジェンダー研究の第一人者である佐藤文香・一橋大学教授を訪ねたインタビュー記事
『跳ねる高市首相とトランプ氏 見えた被支配構造と「ジェンダーの囮」』
が12月24日に掲載されたので、両方ともご紹介したいと思います。


この記事の冒頭、高橋氏は佐藤教授に
「トランプ米大統領が来日した際、米艦船の演台でぴょんぴょん跳びはね、きゃぴきゃぴしていた高市早苗首相を見た時に口の中に広がった苦みが、いまだに消えず困っています。」
と問うのですが、これに対して佐藤教授は
「苦みには、大きく2系統ありそうです。ひとつは、高市さんの姿にかつての自分を重ね合わせて感じる羞恥(しゅうち)心。圧倒的な男性社会を生き抜いてきた者として身に覚えがあるから、首相の振る舞いとしておかしいと感じても一刀両断にはできない。だから見ていてつらくなる」
「ただ、この感覚には世代差もありそうです。年長世代が自らの経験を踏まえて『媚(こ)び』を感じ取る一方で、若い世代は『ノリのよさ』として好意的に受け止めている節がある。女性としての社会的抑圧をまだあまり感じていないからかもしれません。初の女性首相誕生を純粋に喜んでいるように見えます」
と答えます。
私も昨日
「まともな大人が見たら情けないとか気色悪いと思うはず、のシーンが、人口の3分の2から4分の3には好ましく見えているという現実も直視しなければ。」
というキャプションとともに、下の写真をシェアしたのですが、佐藤教授の
「年長世代が自らの経験を踏まえて『媚(こ)び』を感じ取る一方で、若い世代は『ノリのよさ』として好意的に受け止めている節がある。」
という分析、大変よくわかります。

ネットで作られる高市人気。『台湾有事巡る高市首相答弁、「質問した方が悪い」はSNSでどのように広がったのか 外交問題の裏で盛り上がる「事実の2次創作」』(共同通信)
さらに、私はトランプ大統領が高市早苗首相の肩を抱くシーンに非常に違和感があり、
「実は、みっともなく飛び跳ねている高市首相の姿よりも、その前に、トランプ大統領に肩を抱かれている高市首相の姿に、より大きな違和感を感じました。
これは米日の力の差や上下関係を示すと同時に、男尊女卑の象徴的なシーンなのではないかと。
トランプ氏には性差別や性加害疑惑が付きまとうだけに余計に危険性をも感じます。」
と書いて、以下の写真をご紹介したことがあります。


トランプ大統領が「この女性は勝者だ」と言いながら高市早苗首相の肩を抱くシーンに対する強烈な違和感。これは男尊女卑の象徴だ。
佐藤教授は
「国際関係はよく男女関係になぞらえられます。日米関係も、憲法の足かせをはめられた〝女々しい〟日本は、たくましく男性的な強国たる米国に頼るほかないのだと。歴代首相はもちろん、対等であるかのように必死に振る舞ってきたわけですが、今回、女性首相がよりによって米軍基地ではしゃいでみせたことは、図らずも、支配/被支配の構造をストレートに可視化してしまった。苦々しさの正体はこれかもしれません」
とおっしゃられているのですが、トランプ大統領が当たり前のように高市首相の肩を抱き寄せる姿に、男尊女卑と日米不平等の両方を私も感じたのだと思います。

ハードカバー – 佐藤文香 (著) 2004/12/20
私が冒頭の「ネットで作られる高市人気。。。」の記事で書いた
「高市氏にあって、その前の菅・岸田・石破各総理になかったものがあるんですよ。
もちろんその第一は、日本初の女性首相だという金看板。
初めての女性の首相だから応援したいという素朴な有権者は思いのほか多いです。」
という部分を佐藤教授は
「男性が占めることが当たり前だったポジションに女性が就くことで、民主主義や平等が実現したかのような幻想を人びとに与えることがあります。『ジェンダーの囮(おとり)』と呼ばれる幻惑効果です。高市さんは初の女性首相だから、『囮』効果がより強くあるのかもしれません」
と論理的に解説されています。
高橋純子記事の快刀乱麻のエッセイも含めて、是非お読みください。

佐藤 文香 (著)単行本 – 2022/7/12
編集後記
これから高市早苗という総理大臣と対峙していくうえで、『ジェンダーの囮(おとり)』という言葉はキーワードになるかもしれませんね。
クリスマスイブからクリスマスにかけて、おかげさまで久しぶりに両方1位になりました!
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女性初の自衛隊最高指揮官である高市早苗首相が、米海軍横須賀基地の原子力空母に搭乗し、トランプ米大統領の隣でぴょんぴょん跳ねてから約2カ月。あの時、心がとてもザラついたのはなぜだろう? きちんと言葉にしておきたい。軍事組織とジェンダー研究の第一人者である佐藤文香さんを訪ねた。
――トランプ米大統領が来日した際、米艦船の演台でぴょんぴょん跳びはね、きゃぴきゃぴしていた高市早苗首相を見た時に口の中に広がった苦みが、いまだに消えず困っています。
「苦みには、大きく2系統ありそうです。ひとつは、高市さんの姿にかつての自分を重ね合わせて感じる羞恥(しゅうち)心。圧倒的な男性社会を生き抜いてきた者として身に覚えがあるから、首相の振る舞いとしておかしいと感じても一刀両断にはできない。だから見ていてつらくなる」
「ただ、この感覚には世代差もありそうです。年長世代が自らの経験を踏まえて『媚(こ)び』を感じ取る一方で、若い世代は『ノリのよさ』として好意的に受け止めている節がある。女性としての社会的抑圧をまだあまり感じていないからかもしれません。初の女性首相誕生を純粋に喜んでいるように見えます」
――昔と比べて女性が生きやすい社会となった結果、『媚び』も『ノリのよさ』に翻訳されると。けっこう皮肉な話ですね。
「ジェンダーの囮」という幻惑効果
「男性が占めることが当たり前だったポジションに女性が就くことで、民主主義や平等が実現したかのような幻想を人びとに与えることがあります。『ジェンダーの囮(おとり)』と呼ばれる幻惑効果です。高市さんは初の女性首相だから、『囮』効果がより強くあるのかもしれません」
――もうひとつの系統は?
「国際関係はよく男女関係になぞらえられます。日米関係も、憲法の足かせをはめられた〝女々しい〟日本は、たくましく男性的な強国たる米国に頼るほかないのだと。歴代首相はもちろん、対等であるかのように必死に振る舞ってきたわけですが、今回、女性首相がよりによって米軍基地ではしゃいでみせたことは、図らずも、支配/被支配の構造をストレートに可視化してしまった。苦々しさの正体はこれかもしれません」
――〝女〟になぞらえられるのは屈辱なのでしょうか?
「こと軍事の世界では強くて勇敢な〝真の男〟が理想化されます。使えない男性兵士が辱められののしられたりするときには、『お嬢ちゃん』のような女性化をされてしまいます。1945年、広島と長崎に落とされた原子力爆弾のコードネームは『リトルボーイ』と『ファットマン』。どちらも〝男〟です。軍拡競争の中に『男根崇拝』を見いだすフェミニストもいます」
「ずらり居並ぶ迷彩服の米軍人、いわば『男のなかの男』たちに拍手で迎えられ、高市さんは自身の権力の大きさを実感したでしょう。高揚したのも、わからないではありません」
――言われてみれば、「憲法9条によって日本は去勢された」という、右派男性の「魂の嘆き」を何度も聞きました。
「戦力不保持だなんて去勢されたも同然。成熟した国家は自ら国を守るものだというのに、なんという屈辱!と。一方で、平和を訴える勢力は『お花畑』なる比喩で女性化されてさげすまれ、軍拡を主張する側は、リアリストである我こそは『真の男』だと胸を張る。日本に限らず、わりとよくある光景です」
「フェミニスト哲学者のボニー・マンは、女のように扱われることが男性にとって屈辱的な経験であるからこそ、彼らはそれを何とかして埋め合わせようとする。辱められた経験を否認するために、男性も、そして国家も、その恥辱を攻撃性へと転換する――と指摘しています」
女性初の自衛隊最高指揮官、変化は?
――高市氏が女性初の自衛隊最高指揮官となったことで、何か変化が起きるでしょうか?
「女性の参画によって、外交・安全保障政策にどういう影響があるのかについては、政治学の分野で研究が積み重ねられてきました。まず、国会議員の女性比率が高くなると、平和的な政策が推進される。国防予算も抑えられる。これは確かです」
「ところが行政府の長、つまり首相や大統領に女性が就いたり、国防系の大臣に女性がなったりすると効果は全く逆で、タカ派的な政策が採用されるようになる。なぜか? 『女だから弱腰だ』という批判を避けるためです。それで、タカ派的な政策を『男性よりも男性らしく』打ち出すようになる。これらの研究に照らせば、高市さんの動き方にも注意が必要でしょう」
――同感です。ただ私自身、男性首相の時と比べて、ちょっと気を抜くとペンの筆圧が下がるような……。甘く見ているわけでは決してないのですが。
「安倍晋三内閣が『積極的平和主義』のスローガンの下に進めた『女性活躍』が参考になるかもしれません。2014年に発出された政府広報を見ると、『積極的平和主義 日本の安全保障の基本理念です。』のタイトルと、女性自衛官が派遣先で女の子に折り紙を教えている画像がピンクのフレームに収まっている。利他的かつ平和的という女性のイメージをうまく利用し、日本が献身的なリーダーとして他国のお手本になるのだという明るいイメージが全面的に展開されています。タカ派で鳴らした安倍さんですが、侵略戦争の過去を巧妙に塗り替え、国連女性機関から女性活躍に熱心な男性リーダーに数えられる面も持ち合わせていたのです」
「殺し、傷つけ、破壊するという軍隊の暴力的なイメージを、救い、ケアし、建設するというソフトなイメージに塗り替えていく際に、どの国もこうした女性表象を利用します。軍事組織の女性『活躍』が前景化されるとき、それをジェンダー平等の進展だと捉えることには注意深くある必要があるでしょう」
軍事的に都合よく作られる「らしさ」
――集団的自衛権の行使容認に先立つ記者会見で安倍首相が用いた、赤ちゃんを抱いた母親のイラストが思い出されます。母子を救うために集団的自衛権の行使が必要なのだと。
「米国の輸送艦に日本人の母子が乗っているという前提自体が荒唐無稽でしたよね。安倍さんはイラストをフリップの中央に大きく配置するよう指示したと言われています。女性と子どもは『保護すべきもの』のシンボルとして利用価値があるとよくわかっていたのでしょう。ところで、軍事は何によって支えられていると思いますか?」
――兵器……ですか?
「違います。国民を特定のジェンダー役割の中に上手に配置することです。まず、国を守るために我が身を犠牲にすることもいとわない〝男らしさ〟が社会の中で価値づけられる。勇敢でタフで強い戦士の男らしさを称揚しつつ、武力行使に従事しない(できない)者を、男らしくない弱き者として劣位におく。戦争は闘う男らしさによってこそ支えられるので、国家は男らしさの軍事的な結びつきを維持すべく励むのです」
「ですが、それが単体で機能することはありません。女性は、母として少年を〝男〟に変える重要な役割を果たします。恋人や妻として、あるいは性的サービスを提供するセックスワーカーとして、異性愛の女性たちは男らしさを支えます。また、女性兵士が『男性資源』の不足を補ったり、軍隊の正当性の強化に貢献したりすることもあるでしょう」
「戦争を首尾よく遂行するために、男らしさと女らしさがどう配置されているのかをきちんと見る必要があります。若い男性に女性や子どもを保護するために戦うのだと呼びかけ、招集する。その際、外国に侵される女性身体として祖国をイメージさせる。『他者』である『敵』を侮辱することで作られる軍隊の男たちのホモソーシャルな絆、それと表裏一体の女性嫌悪と同性愛嫌悪に由来するハラスメントや暴力。こうした事象の根幹には、男らしさと女らしさの観念が横たわっているのです」
――高市さんを応援する人たちが、男らしさや女らしさにこだわる理由の一端をつかんだような。選択的夫婦別姓に反対する理由も、意外とその辺にあるのかもしれませんね。
「あるような気がします。前線で戦う父や夫や息子と、銃後の守りをかためる母や妻や娘。そのような日本の『秩序』を破壊する大きな一手が夫婦別姓であると、反対派はイメージしているのかもしれません」
「男らしさを軍事的なものに結びつけることには国家の利益があり、そのために様々な女らしさを構築し割り当てる。首相が女性であれ男性であれ、国家に都合よくつくられた男らしさ・女らしさを温存したままでは、進行中の軍事化にブレーキをかけるのは難しいでしょう」
佐藤文香さん
さとう・ふみか 1972年生まれ。一橋大学教授。専門はジェンダーの社会学、軍隊・戦争の社会学。著書に「軍事組織とジェンダー」「女性兵士という難問」など。
跳ねる高市首相によみがえるわが黒歴史 入れ子状態の抑圧はいまも
記者コラム「多事奏論」 編集委員・高橋純子
消音にしているはずのテレビから、キャピッ、キャピキャピッと音がする。画面の中で高市早苗首相が、トランプ米大統領の隣ではしゃいでいた。米海軍横須賀基地、原子力空母の上らしい。ながめているうち、身の内の深い深いところに沈めていた記憶がせりあがってきて、口の中が苦くなる。ああ、かつての私も、たぶん、こんな風に、「権力者」の隣でキャピキャピ音をたてていたのだろう。
笑顔を絶やさず、ぴょんぴょん跳ねてかわいらしさ=従順さをアピールし、おべんちゃらをちゃらちゃら、腕を組まれても肩に手を置かれてもはねのけることはしない。程度の差こそあれ、この日本で女としてつつがなく生きるということは「そういうこと」だと思い込んでいた。思い込まされていた。恥じ入るしかないマイ黒歴史。
今回、首相の振る舞いを目の当たりにし、自らの古傷をうずかせている私と同世代かちょっと上くらいの女性は少なくなく、首相を支持する/しないを超えて、ニュースを見られない、精神的につらいと一様にげんなりしている。「そういうこと」はおかしいと気づき、あらがい、闘い、必死に克服してきたはずなのに、なんでまたこんなことに――。
首相たるもの、外交の場でへつらうな。毅然(きぜん)としてくれ。これらは首相の性別とはまったく関係のない一般的な要望だ。ところが、へつらいをへつらいと指摘すると「女性首相の仕事をおとしめるな」「『毅然』は『男らしい』ふるまいで、その強要が女性の社会進出を遅らせてきたのだ」などという批判が飛んでくる。は? 首相として当然されるべき批判や論評を、女性に対しては控えろと? それこそ女性差別では? トランプ氏をノーベル平和賞に推薦だなんて鳥肌もののへつらいである。だいたい、説明も議論も一切ないまま勝手に決めて、答弁すら拒否するなんておかしいだろう。
米国と日本。戦勝国と敗戦国。男と女。入れ子状態の抑圧を一日でもろに可視化させた首相。ツイてるねノッてるね仕事が早いねYeah! セカイノマンナカデサキホコルニッポンガイコウ‼
入れ子状態の抑圧ということでは、沖縄のことを考えずにいられない。日本の米軍専用施設の7割が集中し、日米地位協定によって「守られている」米兵らによる性暴力被害が絶えない沖縄の女性は、首相の振る舞いをどう見ただろう。
「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代さんに電話すると、開口一番「もうニュース見たくないですよ。怒ってますよ」。石破茂前首相は、結局何もできなかったけれど、沖縄を「見ていた」。しかし、米軍基地ではじける笑顔を見せる高市氏の視野に沖縄が入っているとは思えない。「沖縄に冷酷だった安倍・菅政権がよみがえってきた。そんな感じがします」
今年は、米兵3人が小学生をレイプした沖縄少女暴行事件から30年。米国―日本―沖縄、そして女性。社会の矛盾やゆがみのしわ寄せは、最も弱いところにいく。そのしわの上で踏ん張って闘ってきた1940年生まれの高里さんは「このあいだ骨折しちゃって、言葉もすっと出てこなくなった」と言いつつ、毎週水曜日、米軍普天間飛行場の辺野古移設に抗議するため辺野古へ通い続ける。
世界の真ん中がどこにあるかは知らないが、自国の最南端の県に負担を押しつけ、住民の犠牲を養分にして咲く花は、よほどグロテスクに違いない。

