
東日本大震災と福島原発事故から3年を迎えました。
亡くなった方々、今なお行方不明の方々、そのご家族ご友人の皆様、仮設住宅などで避難生活を送っておられる方々など、すべての被災者の方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。
さて、安倍首相が東日本大震災から3年を迎えようという2014年3月10日に記者会見し、
復興を実感できる1年にしたい
心の復興に一層力を入れていく
と述べました。
もし、復興の実感や心の復興を言うなら、今なお原因解明もままならず、収束もできない福島原発事故を真摯に反省して、原発ゼロ社会に歩みを進めるべきです。
ところが、安倍政権は原発をベース電源と位置付けるエネルギー基本計画案を閣議決定し、原発ゼロどころか原発の再稼働を狙っています。まるで、原発事故などなかったかのような振る舞いです。
これでは、原発事故のために、強制的に、あるいは自主的に避難している何万、何十万という原発事故被害者の心の復興が図られるはずもありません。
震災と原発事故からの真の復興のために、粘り強く原発ゼロを目指していくことこそが必要だと思います。
今も日々放射能汚染は拡大しているのですから。
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| 東京電力福島第1原発と周辺のタンク群=2月17日、共同通信社ヘリから |
タンクの設置が始まったのは原発事故後の2011年夏ごろ。1日400トンにも及ぶ地下水が1~4号機の建屋地下に流れ込んで汚染されていることが明らかになり、汚染水処理は廃炉工程を左右する重要な課題となった。
短期間でより多くのタンクを設置しなければならず、東電は鋼材をボルトで締めてつなぐ「フランジ型」を採用した。1基の容量が千トンあり、数日で設置できることが採用の理由だった。
しかし昨年8月、300トンもの漏えいが判明して欠点が顕在化した。樹脂製のつなぎ目が劣化して汚染水が漏れ出し、一部が排水溝を通じて海洋に流出した。その後も破損や劣化による漏えいが相次ぎ、東電はつなぎ目を補修したり、タンクを囲むせきを高くしたりする作業に追われている。
漏えいの恐れが少ない「溶接型」のタンク建設も並行して進むが、完成までに1カ月以上かかるのが難点だ。東電は来年末までに80万トンの容量確保を目指している。
万が一、汚染水が漏れた場合のリスクを減らすため、汚染水からトリチウム以外の放射性物質を取り除く多核種除去設備(ALPS)の試験運転も続く。これまでに約5万6千トンの汚染水を処理した。東電は将来的に、処理後の水を海へ放出したい考えだが、地元の同意は得られていない。
一方、東電は地下水が建屋地下に流れ込んで汚染される前に井戸からくみ上げて海に放出する「地下水バイパス」を、地元の理解を得た上で近く、開始する方針。
(共同通信)
震災3年 安倍首相「心の復興に力入れる」
- 2014/3/10 18:24 日本経済新聞
安倍晋三首相は10日夕、11日に東日本大震災の発生から丸3年を迎えるにあたって首相官邸で記者会見し「これからはハード面の復興だけでなく、心の復興に一層力を入れていく」と述べた。「この1年は大きく遅れていた復興が動き始めた1年となった」と振り返ったうえで「被災地が復興を実感できる1年にしていく」と決意を語った。
「これからの1年を、復興を実感できる1年に」ー東日本大震災から3年、安倍総理が会見
あすで東日本大震災の発災から3年を迎えるにあたり、安倍晋三内閣総理大臣が会見を行った。安倍総理の冒頭の発言は以下のとおり。
あすで、あの東日本大震災から3年、私が総理に就任して、二度目の3月11日を迎えます。
まず冒頭、あらためて、大震災によって亡くなられた方々に、心から哀悼の意を表しますとともに、愛する家族を失った皆様に、心からお悔やみを申し上げます。
また、いまなお行方のわからない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
この1年間、ほぼ毎月、被災地を訪問してきました。「用地確保が難しい」。昨年春、耳にしたのはこうした声ばかり。手付かずの土地もたくさんありました。
復興を加速するため実行したことは二つ。現場主義を徹底し、役所の縦割りを打破することでありました。
現場の課題を一つ一つ解決し、今や高台移転や災害公営住宅の建設は、その7割で事業をスタートしています。冬には岩手や宮城で、完成した災害公営住宅に足を運ぶことができました。
釜石では、入居したご家族、お子さんたちが溢れる笑顔で私を出迎えてくれました。この1年は、大きく遅れていた復興が動き始めた1年となったと考えています。
今もなお、たくさんの方々が避難生活を送る現実があります。次の3月11日こそは、もっと多くの方に、新たな住まいで迎えていただきたい、来年の3月末までに、200地区に及ぶ高台移転と1万戸を超える住宅工事を完了してまいります。
田老魚市場のわかめ、相馬原釜で水揚げされたしらす、石巻で養殖された牡蠣、地場で頂く海産物は格別です。福島・広野町では3年ぶりに作付けできた水田を前に、農家のみなさんが農業を再開できる喜びを語ってくれました。
草を引き、畦を守り、水を保つ。古来こうした営みを、五穀が生るように努める業として、"生業"と読んできました。今年は被災した農地の7割で営農が再開できる見通しです。農・水産業をはじめ、地域に根づいた産業を興すことで、暮らしを支える生業の復興にも力を入れていきます。
これからの1年を、被災地のみなさんが、復興を実感できる1年にしていく、その決意であります。
インフラや住宅の復興がいくら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒やされるわけではありません。
震災から3年、長期にわたる避難生活が、大きな精神的負担ともなっています。人と人のつながりを守り、被災者が孤立することがないよう、地域の見守り体制をつくります。保健師の仮設住宅への定期巡回など、心に寄り添った支援に重点を置いてまいりたいと思います。
特に仮設住宅の子どもたちへのケアは欠かせません。従来からカウンセラーの学校への派遣を行ってきましたが、仮設住宅への巡回も実施することとし、子育て世帯も含めてバックアップも行います。さらに仮設住宅の空き部屋を遊び場や学習スペースにすることで、安心して過ごせる場所をつくります。これからはハード面の復興のみならず、心の復興にも一層力を入れて参ります。
本日、福島県、田村市への避難指示を4月に解除することを決定いたしました。
いよいよ避難されていた方々の帰還が始まります。これはゴールではありません。ふるさとを取り戻すスタートに過ぎません。
おととい、都路地区で帰還を待つ皆様にお話を伺った際に、ある女性が、「様々な不安はあるが、とにかく前身あるのみだ」と語ってくれました。健康、仕事などの不安をひとつひとつ解消し、帰還したみなさんがふるさとで安心できる暮らしを取り戻すまで、私たちの取り組みは終わりません。
放射線による健康への不安には万全を期し、身体に受ける放射線の影響についても希望に応じてきめこまかく分析し、専門家から丁寧な説明を受けられるようにします。今後も健康診断を継続し、身近な場所で気軽に相談できる体制も整えます。
地元のみなさんによる共同の店舗が来月から営業を開始します。あらたなコンビニも誘致することで住民のみなさまの買い物への不安を解消します。さらに都路地区では避難指示解消に先立って、昨年からコメの作付けができるよう、今後も作物を放射性物質から守る取り組みなど、営農を支援します。
国会審議が連日続いていますが、私はその合間に、毎日、官邸で福島産のお米を食べて、パワーをもらっています。今年は田村のお米もいただきたいと思います。コメの全量検査を継続することに加え、私が先頭に立って風評被害の払拭に努めてまいります。
東京電力福島第一原発の廃炉・汚染水対策についても国が前面に立って取り組むことは言うまでもありません。その上で、田村市だけでなく、他の市町村についても、ふるさとに早く戻りたい、と願う方々の思いに答えられるよう、指示解除を目指し、除染、インフラ復旧を進めます。原発避難者のみなさんへの高速道路の無料措置も延長します。他方、新しい場所で生活を始めるみなさんには、賠償のお支払い手続きがスタートします。生活再建へ向け、着実な実施につとめます。
「福島の復興なくして日本の再生なし」。
私は繰り返し、こう述べてきました。
原発事故で大きな被害を受けた福島の浜通り地方、そこを南北に貫く常磐自動車道の完成は復興の起爆剤となるはずです。現在、東京から富岡までは通行できますが、その先一部が建設中、完成時期は明確には決まっておらず、再来年度以降にずれこむ見込みでありました。
しかし、福島の復興を加速させるため、私はこの予定を出来るだけ前倒しいたします。来年3月までに、浪江までのルートをつなぐ予定でしたが、これを前倒しし、今年中に開通いたします。
その上で福島をはじめ、東北の被災地にたくさんの観光客に訪れていただけるよう、来年のGWまでに全面開通することと致しました。
2020年にはオリンピック・パラリンピック開催されます。その準備が、復興の障害となってはならない。復興に必要な資材や人の確保に、国が先頭に立って万全を期すことは言うまでもありません。むしろ東北が復興を成し遂げた姿を世界に発信する機会としなければなりません。
三陸海岸から仙台湾を通り、福島の浜通りへ、津波や原子力の被害から見事に蘇った土地を聖火ランナーが走る姿は、日本のみならず、世界に勇気を与えることとなるでしょう。アスリートをはじめ、世界から訪れる多くの方に東北へ足を運んで頂きたい。そのための工夫をこらしてまいりたいと思います。
あす被災地で3歳の誕生日を迎える子どもたちがいます。3月11日のその日に生まれた子どもたちもいます。6年後には小学校4年生になる、この子たちの歩みそのものが、復興の歩みと言えるものです。2020年には復興のシンボルとなる小学校4年生を含め、できるだけ多くの子どもたちをオリンピック・パラリンピックに招待したいと考えています。そして成長した姿を日本のひとたちに、世界のひとたちに見てもらいたい。同時にその輝く瞳に、アスリートたちの姿を焼き付けてもらえたらと思っています。
小学校の4年生だった私は、東京オリンピックを目の当たりにして大いに感動しました。今も忘れることができません。それを被災地の、日本の未来を切り開く子どもたちに味わってもらいたいと思っています。
わたしからは以上です。



