
厳しい1年だった。全ての業界に言えることだが、「みんなのごはん」に携わる者としては、やはり飲食業界のことが気がかりだ。いつか取材させてもらったあの店はいま、どうなっているのだろうか?
そこで、美味しかったあの店、感動したあの店を再び訪ねてみることにした。
応援といったらおこがましいが、取材というより普通にご飯を食べよう。マスターの話を聞いて、辛い状況、やるせない思いがあるのなら吐き出してもらおう。
そう思い、2軒のお店を訪れた。
“最高のホッピー”が飲めるバー「嘉茂」の現在は?

11月26日。国内の1日の感染者数が2,500人を超え、重症者が初めて400人台になったこの日に夜の銀座を訪れた。去る日の栄華が見る影もないほど人けのない街の、さらに静かな路地裏にあるのが、バー「嘉茂」だ。2017年に「みんなのごはん」で取材をした、“日本一のホッピー”が飲めるお店である。
「お久しぶりです。取材してもらったの、もう3年前になるんですね。あの記事をきっかけに、新規のお客さんがけっこう来てくれたんですよ。特に土曜日が盛況でね。あの記事を読まれた方はみなさん、ホッピーとチリビーンズを頼まれるんです。しばらくの間は、“みんなのごはん祭り”でしたよ」

その笑顔は3年前と変わらないが、状況は激変した。悪いほうに。
緊急事態宣言下で休業を余儀なくされた4月5月の売り上げはゼロ。夏の第2波を耐え、客足が戻りつつあったタイミングで第3波がやってきた。
「4月と5月はある意味、開き直ってましたね。3月の時点で客足は減ってヒマになっていたし、緊急事態宣言ともなれば、どうせ店は開けていられない。だから、うちは宣言が出る4日前から休業に入ったんですよ。6月に再開してからも、しばらくは時短営業を続けていました。8月の第2波はさすがにきつかったけど、それでも9月頃から徐々にお客さんも戻り始めて、10月の売り上げは7割程度まで回復していたんです。でも、寒くなってイヤな数字が増えてきましたよね。この冬は、また厳しそうです」
同じ銀座でも、会社員相手の飲食店は比較的まだ堅調に見えるという。一方、嘉茂のような「夜」を主戦場にしているバーは苦しい。繁華街の火が消えてしまったからだ。
「銀座、赤坂あたりの繁華街の飲み屋は、いま一番苦しいんじゃないかな。なんせ、クラブがどこも厳しいでしょ。ホステスさんのアフターがほぼなくなったんで、うちも深夜は寂しいですよ」

「でもね」マスターは言う。
「今は世界中の飲食店がそうだから。頑張るしかないですよ」
淡々とした口調だった。開き直るふうでも、決意を込める!という気負った感じでもない。
4月に休業期間に入った時も「店は畳まない」と決めていたという。だからこそ冷静に現状を受け止め、それでも店を続けるにはどうすればいいかを考えた。そして、やるべきことをやってきた。
「4月の時点で、これは長引くだろうなと予測していました。でも、店をやめる選択肢は僕の中にはなかったんですよ。だから、すぐにお金を借りました。2年は厳しい状況が続くと予測し、2,000万円あれば月100万円のマイナスを2年は補填できるだろうと。あとは店を続けながら、少しずつお金を返済すればいい」
緊急事態宣言前に休業し早めに動いたことで、融資はすぐに下りた。運転資金の見通しが立ち、2ヶ月の休業中も心穏やかに過ごすことができたという。
「休むなら、完全に休もうと。テイクアウトもやりませんでした。ちょうど妻が妊娠していましたし、上のチビもまだ小さい。こういう商売なので、普段なかなか過ごせる時間が少ない家族と、ずっと一緒にいることができました。チビと毎日公園に行って、家でご飯を作って。それはそれで、とてもいい時間でしたよ」


大変だけど、お店を始めた頃の気持ちに戻れたのはよかった
資金のメドは立ったとはいえ、再開後すぐに客足は戻らなかった。当初は気持ちがざわつくこともあったようだ。
「当初、気持ちのコントロールは難しかったですね。来ないお客さんを待ち続けるのは、やっぱり精神的に辛いですよ。でも、店側がそういうテンションでいるとお客さんも楽しくないから、割り切るようにしました。『こんな状況なんだから、しょうがない』って。
お店も意地でも朝の5時まで開けるんじゃなくて、今日はもうダメだなと思ったら3時くらいで早仕舞いしたり、土曜も休みにしたり。わずかな売り上げのためにしんどい思いをするくらいなら、さっさと風呂に入って寝たほうがいいですよね。今はなるべく心身の健康を保って、平日にいいパフォーマンスができるようにしようって思っています」




お酒も料理も素晴らしい。オーセンティックなバーの雰囲気を感じさせつつ、くつろげる気楽さも遊び心もある。改めて、素敵な店だ。こんな店が、なくなっていいはずがない。
「うちは本当にお客さんに恵まれています。店がガラガラで厳しかった時期も、常連さんがいつもより多くお金を使ってくれたりしてね。客単価はむしろ、以前より上がったくらいですから。そんな人たちに報いるためにも、1日でも長く店を続けたい。今は宅飲みが増えているけど、たまに外で飲むとやっぱりいいねって思ってくれたら最高に嬉しいです」
マスターが言うように、外出が制限されたことで外飲みの良さを再確認した人は多いだろう。好きな店で自由に飲むのが、いかに楽しかったか改めて気づかされるような自粛期間だった。
店を経営する側のマスターも、同じような気持ちを抱いていたようだ。
「6月に久しぶりにお店を開けた時、お客さんが来てくれたのが本当に嬉しかったんですよ。この商売やっててよかったなって、心から思いました。ある意味、お店を始めた当初の新鮮な気持ちに戻れたんです。まだまだ大変な状況だけど、悪いことばかりじゃない気がするというか、そういうふうに考えたほうがいいかなと今は思ってますね」
紹介したお店
十条で味わうアラブ料理「ビサン」へ再訪
翌週、東京都北区十条にある「ビサン」に向かった。パレスチナ出身のマンスール・スドゥキさんが営む、アラブ料理専門店。こちらも2017年以来の訪問だ。

カメラを手に入店すると、「なになに? 撮影禁止だよ! ウソウソ、冗談」。
そう言って、ニカっと笑うマンスールさん。もともと楽しい人だったが、さらに冗談のキレが増しているように思えた。

マンスールさんは久しぶりの再会をとても喜んでくれた。ユーモラスで朗らかで、包み込むような空気感は相変わらずだ。こちらがいろいろ聞く前に、3年間の変化を話してくれた。
「2年前に帰化して、日本人になりました。日本名? 鈴木誠かな。スドゥキは日本語で『正直』、マンスールは『正義』って意味だから、そのまんまだね」
「毎日ジムに通ってたら、3ヶ月ですごくムキムキになっちゃった。友達から『飲食店にその体つきは合わない、最悪だ』って言われてやめました」

ただ、なんといっても最大の変化はこの半年だろう。
ここ最近はどうですか? と水を向けてみる。
「やっぱりお客さんは少なかったです。3時間だけの時短営業の頃は、テイクアウトと常連のお客さんだけ。売り上げはいつもの半分……よりは少し多いくらいかな。最近はけっこう戻ってきてたけど、先週くらいから感染者数が増えてるってニュースが流れ始めて、ほとんどキャンセルになっちゃった」
それでも全くお客さんが入らず頭を抱えるような状況ではないようだ。この日も開店直後から、数名の来店があった。こんな時、地元の常連客を掴んでいるお店は強い。
「あと、大変だったことといえば仕入れくらいかな。スパイスの材料を現地(パレスチナ)から仕入れているけど、それがストップしちゃったから。ただ、スパイスは1年前から熟成させているものが大量にあるから、しばらくはなんとかなるかな」

ちなみに、ふるさとのパレスチナには今も両親や兄弟が暮らしている。じつは今年の春、5年ぶりに帰る計画を立てていた。だが、海外への渡航は困難になり、現在もそれは叶っていない。
「子供も大きくなったから、家族でパレスチナに行こうと思ってたんですけどね。来年からは忙しくなりそうだから、しばらくは無理かなあ」
山梨でキャンプ場を始めます
そう、マンスールさんは来年に向け、新しいことを始めようとしていた。山梨県にキャンプ場を作るというのだ。
「8月に山梨県の身延町に土地と家を買ったんです。そこでキャンプ場をやろうと思って、いま作っているところ。こっちの店が休みの毎週水曜日にそこへ行って、自分でリフォームしてます。一生懸命作ってるから、来年の6月か7月にはオープンできるかな」

そこではマンスールさんお手製の、アラブ流バーベキューが楽しめるそうだ。
身延の自然に囲まれて味わう、未体験のバーベキュー。楽しそうだ。きっと人気が出るだろう。
しかし、なぜそんな話になったのだろうか?
「山梨のバーベキュー場に頼まれて50人分の材料を持って行った時に、『いい売り物件があるよ』って言われて見に行ったら、すごくいい場所だなと思って。もともと田舎が好きで、秩父や奥多摩にもよく行くんですよ。きれいだし、落ち着くよね。身延も同じくらい最高の場所だったから。それに、これからは都内より、人が少ない場所でゆっくりしたい人が増えるんじゃないかと思う。だから、ここでキャンプ場をやろう!って。すぐ決めちゃった」
それだけではない。キャンプ場以外にも、同じ山梨で新しい店を始めるという。
「甲府で『ファラフェル』と『ホンモス』の専門店をやろうと思ってます。どっちもパレスチナではすごい人気で、その2つだけを出す専門店がいっぱいあるんですよ」


ファラフェルはマンスールさんにとっても、思い入れが強い料理のようだ。学生の時は登校中によく買っていたという。「ヨーロッパやアメリカでも有名なのに、日本ではあまり知られていないのが不思議。ぜひ、広めたいですね」
それにしても、この状況下でなんというバイタリティだろうか。だが、それくらいのガッツと才覚がなければ、遠い異国の地で長くお店を続けることなど不可能なのだろう。
励ますような気持ちでやってきたが、逆に活を入れられた思いだ。

紹介したお店
じつは当初、再訪する店の候補は3つあった。だが、そのうちの1店は夏にシャッターを下ろしたまま再開することはなかった。致し方ないこととはいえ、思い入れのある店がなくなってしまうのは辛い。この半年間、多くの人がそんな経験をしたことだろう。
一方で、続けることを決めたオーナーたちもいる。今回、嘉茂やビサンのマスターの覚悟と前を向く姿勢には、素直に感動した。いろいろ飲み込んで腹をくくった2人は、以前よりも人としての魅力が増しているような印象も受けた。
そして、改めて飲食店って素晴らしいなと気づかせてくれた。
どんどん外食しよう!とは、うかつに言えないご時世だけど、月に数回は馴染みの店に行き、いつもよりちょっとだけ多くお金を使おうと思った。
著者プロフィール

榎並紀行(やじろべえ)
1980年生まれ。ライター、編集者。編集プロダクション「やじろべえ」代表。アメリカで生まれたりしましたが英語は話せません。ぽっちゃりしています。
ツイッター:@noriyukienami
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