3週間の入院から、もう半年が過ぎようとしている。
あと半年で今年も終わるのか。
恐ろしい速さで時がたつ。
生き続けている限り、この速度は増していくのだな。
人生は淡々と加速し続けて、ひょいと終わるものだと、ようやく気づいた。
人は、やっぱり、いつも途中なのだ。
その始まりと終わりは、本人のものではない。覚えてないし、知らない。
誰も見てないとこで終わるかもしれないけど。
1月の入院は、思い出しても3週間、本当に楽しかった。
「何をしていたんですか?」
とよく言われるが、ほぼ、なんにもしてなかった。
本もほとんど読まなかったし、音楽はまるっきり聞かなかった。
テレビがあったから、見たけど、それだってそんなに長い時間見ていられない。
あ、でもテニスの錦織選手の試合を最初から最後まで、全部見た。長かった。3時間ぐらい?
でも勝ったし、いい試合だったから、ずっと手に汗を握って、つまり楽しんだ。
でも、正直、もうよく覚えていない。
ボクは普段、ほとんどテレビを見ない。仕事場にはテレビは無い。
しかし、こういう機会だったので、最初、わりと見た。
わかったのは、今のテレビは、1日に何度も何度も同じ映像を流すということだ。それで、よけい嫌気がさした。
ニュース映像、スポーツ映像、番組予告。朝の番組で流れたものが、夜中まで何度となく流れるんですね。ものすごい水増し。呆れた。若者がテレビ離れするのも、当たり前だ。
だから、やっぱりテレビはあまり見なくなった。
朝6時に廊下の電気がつく。ドアにはすりガラスがはまっているから、わかる。
なんとなくそれで目がさめる。起きて、部屋を出て、自分で血圧と体重を測ってくる。1月なんでまだ薄暗かった。
特別室ではないけど、個室で、トイレも洗面台も部屋にある。十分広い。3階で、明るい。
朝食は8時と、遅めなので、顔を洗ったり歯を磨いたりしてから、もう一度寝たりした。
病院食を味わいながら、生きていることの“波”に思いを馳せた
ご飯がおいしい病院だった。
おいしいというか、よかった。
おいしい、ということをあらためて考えさせられた。
よく、病院食はまずい、味がない、薄い、と聞く。とくに味噌汁とか。
ボクと同時期に入院していた知り合いは、SNSで、病院食の悪口ばかりつぶやいていた。
でもボクの入院先では、味噌汁は、毎食は出ない。
というか、ごはんと汁と主菜と副菜、というような定型がない。
ある朝は、ごはんとふりかけと、あとおひたし。それとヨーグルトだった。
「ほぼ、ふりかけ、だけ?」と、正直、思った。
超、地味めし。
でもお腹が空いてるし、ふりかけなんて久しぶりだったので、おいしく食べた。
そしたらその日の昼は、なんと、天ぷらうどんだった。
びっくりした。
病院で、天ぷらうどんを食べるとは思わなかった。
ベッドに座って、やわらかい麺の温かいうどん食べた。
なんだか嬉しくて、ゆっくり丁寧においしく食べた。
その夜は、ごく小さな焼き魚とごはんと味噌汁で、民宿の朝ごはんみたいだった。
でも味噌汁は、ちゃんとおいしい。
翌日の朝は二種類のパンで、学校に行く前のような質素な朝ごはんだった。
昼も地味だったけど、夜はハヤシライスとサラダで驚いた。
翌朝は、おかゆと野菜ふりかけ。
その晩は、ごはんと、八宝菜と、シュウマイと、ブロッコリーのサラダに、じゃがいもの中華スープ、デザートもライチふた粒。どれも少なめだけど、品数が多い!
かなり嬉しくて、思わず写メを撮った。
そんな風に、すごく波があるのだ。
でも「あ、家のごはんて、こうだよな」と、ふと気づいた。
母親のご飯は、手抜きがあったり、同じものが続いたり、でも時々「ごちそう」的な日がある。
波があるのが、自然だ。
生きているということは、波があるということだ。
心電図にもそれは現れているじゃないか。
あの波がなくなって、ピーとまっすぐになったら、すなわち死亡だ。
波はつまり、途中ということだ。波は、今生きている、というサインだ。
波が消えると、生物時間は停止する。
テレビなどのグルメ番組は、ご馳走に次ぐご馳走、おいしいに次ぐおいしい、だ。
あそこにこんなうまいものがあった、あそこには知られざるおいしいものがある、あの人が食べている秘密のご馳走、旅先で出会った絶品。
全部おいしくないと許されないような考え方だ。
ピークに次ぐピークをしようとしている。つまり、波をなくそうとしている。
でも、結局できるはずもなく、同じ動画を1日に何度も繰り返し流して、その場しのぎをしている。時間稼ぎをしている。おいしい、おいしい、おいしい、という退屈。
地味なごはん、しかたない一食、貧しい夕食、最低限の朝飯、大急ぎでかっこむ昼飯。
そういうものがあってこそ、「ご馳走」は輝く。
「いただきます」「おいしい」「ごちそうさま」が、命への感謝、生産者、運搬者、販売者、調理人への感謝の言葉となって、深い意味を持つ。
この病院のご飯には、ずっと忘れていた大事なことを、思い出させてくれた。
あれから半年か。
少ーしだけ、前より自分の健康状態のことを考えるようになった。
血圧とか、体重とか、多少気になる。中性脂肪とか。
肝臓のγ-GTPは正常だったが、それと脂肪肝は、関係ないらしい。
3年ぶりに、仕事場を大きく片付けた。いろんなものを捨てた。
引越しでもないのに、大量の本とCDを売った。
60歳になって、心臓の手術をして、3週間休んで、旅やライヴは退院後一ヶ月目から少しづつ始めた。もともと自覚症状がないので「よくなった」という実感は全然ないのだが。
なんとなく、少しだけ転機の気もする。
いつも出足の遅いボクだ。1月の休暇の効果が、やっと出てきた。
さて、上野に行った。
上野、来る機会がなくなった。
高校生の時初めて「アメ横」に来て、ビックリした。
見たことのないタイプの商店街だった。
その物量。衣服から貴金属から靴から乾物、なま物、鮮魚、果物……。
混沌とした活気。なんだか気持ちがふわふわした。
ボクは友人から聞いた、米軍の放出品の店に行って、鉄製の弾薬ケースを買った。それを普段のカバンがわりに持ち歩いていた。19歳ぐらいまで。
今、ちょっと調べたら出てきた。まさに、これだ。

上野。西東京育ちにはちょっと遠いけれど、なぜか懐かしさの雰囲気に浸る
あの頃は、作業服専門店に行って、帽子やジジくさいジャンパーを買って、着たりしていた。
若いなぁ。かわいいもんだ。目立つのが嫌いなのに、人と違う格好がしたかった。矛盾。
上野は東東京だった。西東京の者にはちょっと遠かった。
今は変わったけど、当時はまだ、東北の玄関口の雰囲気が残っていて、なんとなく重くて暗い空気が漂っているように感じた。「出稼ぎ」という言葉が、まだわずかに残存していた。
そうだ、小学校の1年生くらいの時、祖父に連れられて上野動物園に行った。
動物のことで覚えているのは、コビトカバがこちらにお尻を向け、フンをしながら、そのフンを短い尻尾でバチバチバチとあたりに撒き散らしたこと。衝撃的だった。
動物園に行ったのに、動物のことはコビトカバのフン撒きしか覚えていない。
あとは、長い時間並んで、生まれて初めてモノレールに乗ったこと。
ようやく乗ったそれは、これまた驚くべき短い距離であっという間に終点に着いた。
おじいちゃんが、
「あーんだ、あんだけ並んで、へぇ到着か!」
と笑いながら、ちょっと怒ったように山梨弁で言ったのを覚えている。
上野の美術館は、ご婦人で大混雑するようになってから行ってない。
20代の後半、モネの大きな展覧会があって、見に行った。
それまでぼんやりした筆のタッチがあまり好きではなかったが、原画の美しさに驚き、全てのモネの絵の見え方が全く変わった。
「印象派」という絵のジャンルも、好きじゃなかった。でもモネを好きになり、そういうレッテルを貼るのは、見え方を不自由にしてよくない、とあらためて思った。
人は何かと、名前をつけて、ものをジャンル分けして安心したがる。
そうすると、なんとなくわかったような気になるのだ。
人の好みというのは、年齢によって変わる。
一番わかりやすいのが食べ物と酒で、年齢によって、好きなものは変わる。
子供は、豆腐だのゴボウだのコハダだの塩辛のうまさはわからない。
年取るとそういうものが好きになる。
最近は、長いこと興味が失せていた「かんぴょう巻き」のおいしさに目覚めた。
酒も、思い返してみると、20代から30代、実によく飲んでいたのがバーボン。今、ほとんど飲まない。そういえば、当時、好きなバーボンも移り変わっていった。
毎晩、麦焼酎のお湯割りを飲んでいた時期もあった。
安いグラスワインばかり飲んでた頃もある。でも、ワインの銘柄は、全然覚えないで終わりそうだ。
いつの間にか、飲む酒も変わっている。いや、なんでも飲むのだが、好みの順位が変わる。
話を絵に戻そう。絵の好みは、年齢で変わる。
若い頃は、モネもゴッホもあまり好きじゃなかった。
モネが好きになって、ゴッホも好きになった。
「モナリザ」の微笑も、子供の頃は見えなかった。モナリザの絵の魅力は、30歳ぐらいになってからじわじわと響いてきた。あれは、偶然と奇跡が生んだ、天才の描きかけだ。
と、僕は解釈している。モナリザは完成していない。まさに、途中で止まった(止めた)傑作だ。
マティスのかっこよさも、高校生まではわからなかった。
小学校の時「面白い」という理由で、マグリットが好きになった。中学くらいになると、その仕掛けがあざとい感じがして、遠のいた。
ところが大人になると、マグリットの色彩感覚、冷静なおとぼけが、また魅力的に見えてきた。
グレコは、ある時突然好きになって、ある時「でも全部同じだな」と、魅力が薄れた。
ピカソは、ニューヨークで見て「やっぱりこの人はオモシロイ!」と思い、スペインで見てその美しさ、しなやかさ、輝き度に「やっぱり人類史上、類例のない画家だ」と思った。
子供の頃どこがいいかさっぱりわからなかった、広重の東海道五十三次は、東海道をこの足で歩いた50歳の時、あらためて感動した。目で見た風景を切り取って、絵の上に再構築する卓越したセンスが、大好きになった。あの絵には「実感」が、軽々と凝縮されている。
面白さでは、やっぱりルソーが好きだ。ピカソが一目おく、というのも今はすごくわかる。あれは達者な絵描きには描こうとして描ける絵ではない。だけど、下手な絵描きには死んでも描けない絵画だ。
音楽にも、自分の中の流行り廃りはもちろんある。
ある時期、必死で集めて聴いていた音楽を、気がつくと全然聴いていない。頭では今も大好きで、またいつか聴く、と思って持っていたアルバムだが、もう10年以上聴いていない。耳があまり聴きたがっていない。そんなアルバムがたくさんあって、先日大量処分した。
音楽は「なんのために聴くか」というのでも、聴くものが変わるのだな。
歳とると「ため」が煩わしくなってくる。「ためになる」がしんどくなってくる。
音楽はリラックスできるもの、ウキウキできるもの、ジンワリ心地いいものなど、理屈でないものが聴きたくなる。「ためになる」というのは結局理屈っぽい。理屈は、廃れる。
だが、5年後の自分が、どういうものを好んで飲み食いし、どんな絵をいいと思い、いかなる音楽を聴いているか、全然わからない。
瞬く間に来るであろう近い将来であっても、いったい自分がどんな自分になっているのか、わかる人はいない。
しかし時間はどんどん過ぎる。
「きっとちっとも変わってないよ」と他人には言えるが、体力が落ち、肉体が老化しているのは、自分が一番よく知っている。
でも焦ったところで、時間に抵抗することはできない。
今、好きなことをしようじゃないか。
これから何か始めたって、ちっとも遅くない。
自分勝手と言われることを怖がるなんて、馬鹿馬鹿しいことだ。
焼肉でない韓国料理に舌鼓。怪しい雰囲気が味を際立たせてくれる
そんなことを考えたりしながら歩いた上野で、いつもの二人と韓国料理店に入った。
韓国料理は好きだが、最近、焼肉屋にはずいぶん行ってない。
カルビ・ロースの牛肉を焼くより、豚肉のサムギョプサルが食べたくなってきた。
牛の心臓弁にしたから、本能的に共食いを避けているのだろうか。
そんなことはない。
この店を見つけてきたのは、編集者女だ。すでに友達と「下見」に来て、たらふく食べてきたようだ。あいかわらず、食べることと飲むことには、ぬかりない。
東京はあちこちに「韓国街」的に韓国料理店が固まっているところがあるが、上野の不忍池の南側、湯島のあたりにも韓国料理店がたくさんある。風俗店もあって、この辺はちょっと怪しいムードだ。
だが、そういう怪しいムードは、エスニックな料理をなぜか魅力的なものに感じさせる。秘密めいた隠し味が効いているように感じさせる。
前にこの辺りの韓国料理屋の2階で、めちゃくちゃおいしい鍋を食べたことがある。なんて言うんだろう、ジャガイモの入ったチゲ鍋。
夕方5時過ぎに行ったが、店はまだ営業してないのか、店名を書いた赤い入口マットが、脇の台の上に、ぞんざいにのせてある。
「やってるの?」
とボクがいうと、編集者女は「一応、24時間営業ってことになってるんですが」と言う。
編集者男が「24時間なの?」と目を丸くする。まったくだ。
編集者女が、「すいませーん」と、重い引き戸を開けると、すんなり中に入れてくれた。
「結構、こういうところ、いい加減みたいなんですよ」
と笑う。
ボクらの他には客は誰もいなかった。
板の間の座敷の卓に着く。掘りごたつ式になっているので助かる。座敷は苦手だ。
まずはビールと、キムチを頼む。
ビールと、たくさんのお通しが出てくる。これが韓国料理は嬉しい。
5皿。キュウリのキムチ、ニラのキムチ、ジャコの佃煮的なの、切り干し大根的なの、あと何か葉っぱを炒めたようなの。これだけで酒が飲める。
そしてキムチが出てくる。鮮やかな色。
「どれどれ、キムチはその店の試金石だから」
とボクはおきまりのセリフを言い、大きく切ったキムチを口に入れた。
うん。フレッシュタイプ。白くて厚い葉の部分が、歯ごたえシャクシャクとして、うまい。
去年「孤独のグルメ」のロケで行ったソウルの店は、古漬けタイプだったが、まさに絶品の古漬けで、微かな酸っぱさがボクにはたまらなかった。
今日のキムチには酸味がほとんどなく、でも白菜の甘みが、唐辛子の香りと味に実に馴染んでいる。これは市販のキムチでは味わえない。
いつから食べるようになったか覚えていないが、キムチは本当に好きだ。おいしいキムチがあったら、それだけでごはんが食べられる。オカズ殺し。
ビールがうまい。
そしてサムギョプサルを頼む。「とりあえず一人前」と言ったら、店のおばちゃんが
「一人前だと、こっちで焼いて出すんですけど、いいですか?」
と言った。はい、いいです。その方がめんどくさくなくていいや。

エゴマも別に頼んだ。エゴマの葉、大好き。

サムギョプサルが来た。豚のバラ肉が、四角く切って焼いてある。焦げ目もいい感じ。
これをエゴマにのせ、辛子味噌をちょいとのせ、くるりと巻いて、食べる。
うまい!一口で食べるのに、ちょうどよい。冷たい葉と熱い肉が、口の中でひとつになる。
次に、サンチュの上にエゴマを重ね、そこに肉を置いて、辛子味噌多めで、巻いて、頬張る。
うん、これもいい。顔がほころぶのを感じる。
「うまいですねぇ!」
編集者男も感激している。彼もボクと同じで、飲みだすとあまり食べない。
エゴマは、シソより厚みがあり、ちょっとワイルドな葉っぱ的青臭さが、焼いた肉に負けず、でも決して邪魔にならない。
一昨年の冬、ソウルでいろいろ肉を食べ、嬉しかったのは、どこでも生野菜がいっぱいついていたことだ。焼肉を肉以上にたくさんの野菜と一緒に食べる食べ方は、ボクにはすごく合っていた。
日本のいわゆる焼肉屋は、キムチやサンチュを頼んだにしても、基本、牛肉、牛肉、牛肉だ。
野菜と食べると、いくらでも食べられて、飽きない。
今度は、サンチュに焼肉を乗せ、キムチを重ねて丸めてかぶりつく。
これまた、バツグン!
サンチュ、エゴマ、キムチ、辛子味噌の自由な組み合わせで、バリエーションができる。
肉を食べきる前に、もう一皿サムギョプサルを注文。エゴマも追加。
ビールをマッコリに変える。
この店、メニューが実に多彩で、チヂミ、トッポギ、チャプチェ、サムゲタン、チゲ、冷麺など韓国料理の他に、冷奴、蒸し餃子、にんにくバター炒め、ギンダラ煮付け、サバ焼き、ナマコ刺し、野菜炒めなんてメニューもある。
これなら24時間、どんな客でも対応できそうだ。午前7時の朝ごはんから、お昼、おやつ?、夕飯、飲み会、午前4時の夜食まで。
店員さんはいかにも韓国のお母ちゃん、オモニが何人か。たくましいイメージがある。
だんだんお客さんが増えてきた。なんだかいい店に見えてくる。

この店の店名にもなってる「ソルロンタン」を頼む。
これは牛の肉や骨を、10時間以上煮出した乳白色のスープ。
味はついていなくて、食べる時に塩やコショウを入れ、刻みネギを加える。
見た目からして、もう絶対おいしそう。
ひと匙すくってすすると、やがてジワーンと広がるおいしさ。
「滋味滋養」という文字をゆっくり溶かして飲んでいるようだ。
見た目よりコッテリしていなくて、上品な口当たり。
自分で塩コショーするので、好みの薄味にしても、全然物足りなさはない。
刻み葱と、少し入ってる春雨もうれしい。

肉も少し入っているけど、ボクは食べなくてもいい。
いや、共食いになるから、という意味ではなくて。
この中にいる肉たちの役割は、すでに終わっていると思うんだ。彼らのすばらしい仕事は、全てスープに溶けている。スープを飲めば、皆さんの思いはひとつ残らずボクに伝わる。静かに休んでください。
しかし、これはいい。
いいものを知った。
明日は粗食にしよう。
紹介したお店
営業時間:月~日曜日 0:00~24:00(無休・終日営業)
※掲載された情報は、取材時点のものであり、変更されている可能性があります。
著者プロフィール

文・写真・イラスト:久住昌之
漫画家・音楽家。
1958年東京都三鷹市出身。'81年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画誌『ガロ』デビュー。以後、旺盛な漫画執筆・原作、デザイナー、ミュージシャンとしての活動を続ける。主な作品に「かっこいいスキヤキ」(泉昌之名義)、「タキモトの世界」、「孤独のグルメ」(原作/画・谷口ジロー)「花のズボラ飯」他、著書多数。最新刊は『ニッポン線路つたい歩き』。
