特別なプレゼンテーション: プロデューサーの一日
朝のコーヒー
「おはようございます」
マユミがいつものように挨拶をしながらデスクに向かう。

結婚して何年か経った頃のお話。
職場での関係性もすっかり自然になった。周りの先輩夫婦たちと同じように、仕事は仕事、プライベートはプライベートという線引きが上手くできている。
「おはよう」
ボクも自然に返事をする。今日は大きなクライアント向けのプレゼンがある。ボクがデザインを担当し、マユミがプロデューサーとして進行を仕切る案件だ。
コーヒーを淹れていると、Oさんが声をかけてきた。
「今日のプレゼン、準備はどう?」

「はい、一応形になりました。後はマユミさんの腕次第です」
「彼女のプレゼンは安心して見てられるからな。でも、デザイナーとしてのフォローもしっかり頼むよ」
意外な提案
午前中、マユミから内線が入った。
「ヒロ、少し時間ある?プレゼンの件で相談があるの」
会議室に向かうと、マユミがいつもより真剣な表情で資料を見つめていた。
「実は、クライアントから少し変更要求が来たの。デザインコンセプトはそのままで、もう少し『遊び心』を入れてほしいって」

「遊び心?」
「ええ。堅い印象を与えがちなので、もう少し親しみやすさを演出したいらしいの」
ボクは少し困った。プレゼンまであと3時間。大幅な変更は難しい。
「どうしようか...時間的に厳しいかも」
すると、マユミがニッコリと笑った。
「実は、提案があるの。プレゼンでヒロにも一緒に登壇してほしいのよ?」
新しい挑戦
「え?ボクが?」
「ええ。デザイナー本人が直接説明する方が、クライアントとの距離も縮まると思うの。それに...」
マユミが少し照れたような表情を見せた。
「夫婦でタッグを組むプレゼンって、『遊び心』の演出にもなるかなって思ってね」
ボクの心が跳ねた。結婚してから仕事で正面切って夫婦であることをアピールしたことはなかった。いつも職場のルールに従って、さん付けで呼び合い、プロフェッショナルな関係を保っていた。
「でも、大丈夫かな?」
「大丈夫よ。私たちなら」
その時、マユミがそっとボクの肩に手を掛けてきた。誰も見ていない会議室で、ほんの一瞬。
「一緒に頑張りましょう、ヒロ」

呼び捨てだった。仕事中なのに。
そして、さり気なくボデイタッチでスキンシップ。女性社員で妻がやるから、問題ないけど、男性社員はセクハラになるからね!
ボクは妻マユミ以外、全く興味無いから!会社内で夫婦であってもボクからマユミにボデイタッチなんかしないけど。
プレゼン準備
急遽、プレゼンの構成を変更することになった。Hさんが「面白そうじゃない!夫婦プレゼンなんて初めて見るよ」と盛り上がり、Nさんも「素敵ね、きっと上手くいくわよ」と応援してくれた。
ボクとマユミは、短い時間で役割分担を決めた。マユミが全体の進行とコンセプト説明、ヒロが具体的なデザイン要素の解説。
リハーサルをしていると、不思議な感覚だった。いつものマユミの的確な指示や進行の上手さを、改めて客観視できる。そして同時に、ボクのデザインを心から理解して、魅力的に伝えようとしてくれているのが分かった。
「この部分、もう少し熱量を込めて話してもらえる?」
「はい、分かりました」
「あ、それから...」
マユミがボクの襟元を直した。自然な動作だったけれど、職場でそんなことをされるのは初めてで、ドキドキした。
プレゼン本番
午後3時、クライアントが到着した。重要な案件を任せてくれている大手企業の役員3名。
「本日はお忙しい中、ありがとうございます。統括プロデューサーの……マユミです」
マユミのいつものプロフェッショナルなトーン。
「そして、こちらが今回のデザインを担当しました...(ザー)...ヒロです」
マイクの調子が悪かったのか、ヒロの紹介部分で少し音が途切れた。でも、クライアントには聞こえていたようだ。
クライアントの一人が少し驚いたような表情を見せた。
「あの、失礼ですが...お名前、同じですね。もしかして...?」
マユミが自然に笑顔で答えた。
「はい。デザイナーの...…ヒロは夫です」
クライアントたちの表情が一気に明るくなった。
「それは素晴らしい!今回のコンセプトにぴったりじゃないですか」
息の合ったプレゼン
今回のプレゼンの内容を簡単に、ファミリー向け住宅展示場のキャンペーンで、クライアントは大手住宅メーカー、依頼内容は新しい住宅展示場オープンのポスター・リーフレット・Web広告。デザイン:家族のイラストと温かい色合い「遊び心」の追加して、子供の描いたような手書き風フォント、家族の笑顔の写真やイラスト等。

プレゼンが始まると、不思議なことが起こった。いつものマユミの進行に、ボクのデザイン解説が完璧にハマった。
「こちらのカラーパレットですが...」
「温かみのある色調で、ファミリー層への親しみやすさを表現しています」
ボクがデザインの技術的な説明をすると、マユミがそれを戦略的な意図に変換して伝える。まるで長年組んできたチームのような息の合い方だった。
クライアントも次第に前のめりになってきた。
「素晴らしいですね。デザイナーさんの想いと、プロデューサーさんの戦略が一体になっている」

特別な瞬間
プレゼンの最後、クライアントから予想外の質問が飛んだ。
「お二人の連携の良さの秘訣は何ですか?こんなに息の合ったプレゼンは初めて見ました」
ヒロとマユミは一瞬、顔を見合わせた。
「そうですね...」マユミが少し考えてから答えた。「お互いを信頼しているからだと思います。仕事でもプライベートでも」
「私も同感です」ボクが続けた。「彼女の判断を信頼しているから、安心してデザインに集中できます」
その時、マユミがそっと微笑んだ。いつものプロフェッショナルな笑顔ではなく、もっと自然な、温かい笑顔だった。
大成功
プレゼンは大成功に終わった。クライアントからは即決で承諾をもらい、さらに次の案件の相談まで受けることになった。
「ご夫婦でのプレゼンは初めて拝見しましたが、とても印象的でした。信頼関係の大切さを改めて感じました」
「まさに『親しみやすさ』を体現していただけました」
帰り際、クライアントの役員たちがそう言ってくれた。
特別な帰り道
その日の終業後、珍しく残業がなくボクとマユミは珍しく一緒に帰ることになった。
「お疲れさま、ヒロ」
エレベーターの中で、マユミが呼び捨てで話しかけてきた。
「お疲れさま、マユミ」
「今日のプレゼン、楽しかったね」
「うん。マユミと一緒だったから上手くいったよ」
「あら、今日はずいぶん素直じゃない」
マユミがいたずらっぽく笑う。
「でも、今日改めて思ったの。私たち、やっぱりいいチームよね」
「仕事でも?」
「仕事でも、プライベートでも」
エレベーターのドアが開く。外はもう夕暮れだった。
「今日は外で食べて帰らない?成功のお祝い」
マユミの提案に、ボクの心が弾んだ。
「いいね。どこに行こうか?」
「あなたが決めて。今日はあなたが主役よ、デザイナーさん」
そう言って、マユミがボクの腕にそっと手を回した。
今日は最高の一日だった。仕事でも、夫婦としても、新しいステップを踏めた気がする。
エピローグ
翌日、会社ではいつものように「マユミさん」「ヒロさん」と呼び合う毎日が戻った。でも、何かが少し違っていた。
Hさんが「昨日のプレゼンの話、クライアントからも好評だったって聞いたよ」と教えてくれたり、Oさんが「君たちのコンビネーション、見直したよ」と笑顔で話しかけてくれたり。
そして何より、マユミとの間に、新しい信頼関係が生まれた気がしていた。
仕事でも夫婦でも、一緒に歩んでいく。そんな当たり前のことが、とても特別に感じられる一日だった。
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