これまで綴ってきた過去日記と、マユミとの物語へ
初めてマユミと同じ部署になった日のことは、今でも鮮明に覚えている。
朝の空気は少し冷たく、机の上のパソコンはまだ動き始めたばかりで頼りなく静かだった。
そんな中、マユミが静かに部屋に入ってきた。
それまで遠くから見ていた存在が、突然すぐ隣に来たような距離感。
ただそれだけで、心臓の鼓動が早まった。
同じ会社の人。ただの同僚。
そう思っていたのに、部署が一緒になった瞬間から、言葉がうまく出なくなる。
机が近すぎて、視線が合いそうになるたび、慌てて資料に目を落とした。

まるで子どもの頃、好きな子と同じ班になったときのような、甘酸っぱい気恥ずかしさだった。
本当は話しかけたかった。
「昨日は寒かったね」とか、「この書類、一緒に見てもらえる?」とか。
そんな何気ない一言でいいのに。
でも、口が動かない。声が出ない。
どうやらボクという人間は、距離があるときのほうが饒舌らしい。
遠くにいたときは冗談も言えたのに、近くに来た瞬間、不器用さばかりが顔を出す。
しかも相手が気になる存在なら、なおさらだった。
視線を合わせられずに、机の上のペンをやたらと並べ替えたり、意味もなくキーボードを打ったり。
心の中では「何やってんだ、オレ」と繰り返し突っ込みながら。
ここにはマユミを気にしてる人がいるみたいで嫌な感じだった。
だけど、ボクはここに来たばかりの新人みたいなものだから何も言えない。

結局その日、マユミの顔をちゃんと見られたのは、ほんの数秒だけ。
けれど、その数秒がとても長く感じられて、これから先、きっとずっと覚えている時間になった。
──それから一年が、あっという間に過ぎていった。

その一年は、デザインという仕事を先輩から毎日叩き込まれる日々だった。
「QuarkXPress」に始まって「Adobe Illustrator」「Adobe Photoshop」「Adobe InDesign」「MORISAWAフォント」。「版下」といろんなモノをデザインのイロハからゼロからの出発。
全てのアプリケーションとフォントのセットアップからアンインストールの方法まで違う。
自宅でやっていることと全く違うのには参った。
フォトショップだけは使ったことがあったけど、素人の画像加工と違った。

プロフェッショナルな使い方と考え方に戸惑いつつ、高すぎる壁のように立ちはだかるソフトの数々に、何度も涙目になった。本気で泣きたいと思った夜もある。
以前の機械なら完璧に使いこなせていたからこそ、余計に焦れったかった。
マウスの反応がもたつくだけで苛立ち、ため息を重ねることも少なくなかった。
マユミに聞いたけど、「私に分かるわけないでしょ」と断られた。
二年目に入る頃、ようやく少しずつデザインの仕事を任されるようになり、三年目には仕事にも慣れ、気づけば少しだけ肩の力が抜けていた。
そうして過ぎた時間の中で、二年間は「マユミ」の「マ」の字すら出てこなかった。
けれど、三年目を迎えた頃から──
また、あの名前が、少しずつボクの中で響き始める。
3年間で何とかマユミと普通に会話できるようになり、普通に弄ったりもするようになった。
マユミを初めて見た日から8年経った。
──この先の話は、これまで綴ってきた過去日記の「マユミ」との物語に、そっと繋がっていきます。
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