「あと0.2ミリの説得」
午前10時。オフィスの打ち合わせ室。ボクは資料に目を通しながら、そっとため息をついた。
「このロゴ……あと、0.2ミリ、左寄りのほうがいいと思う」

画面を見ながらぼそっと呟いたその言葉に、すぐそばのマユミが反応する。
「……クライアントは“印象が柔らかくなるように”って言ってたから、ヒロがそう感じるなら、試してみてもいいかもね」
ボクは少し驚いたようにマユミを見た。
いつもはクライアントの要望を優先して、スケジュールや予算内でまとめようとするマユミ。
けれど今日は、ほんの少し自分のこだわりに寄り添ってくれた。
「……ボクのわがままかもしれないけど」
「ヒロの“違和感”って、最終的にクライアントが“なんかいいかも”って言うとこに繋がるから。不思議だけど、たぶんヒロの目は、ちゃんと届く場所見てるんだと思う」

たかが0.2mm。デザインの0.2mmって、分かるんだよね、本当に。
打ち合わせ室に静かに差し込む昼前の光が、二人のデスクに影を落としていた。
ボクはカーソルを動かしながら、少し笑う。
「じゃあ、“0.2ミリの説得”、してみようか」マユミも笑って頷く。
「任せるよ。でも、プレゼンは私が盾になるから。クライアントの“絶妙”のラインを引き出すの、私の仕事だからね」
静かに、でも確実に、二人は作品を仕上げる方向へと歩み出していた。
こころの風景のような毎日
ボクらの日々の仕事は、いつも何気ないミーティングから始まる。その空気や風景が、今でもふとした瞬間に思い出される。
マユミは外回りがあるから、デスクにいないことが多い。一方で、デザイナーたちは黙々と細かな作業に向き合っている。
ときには、何もしていないように見えるけれど、実はずっと頭の中でレイアウトを練っている。
外から見ると、じっと座っているだけに見えてしまって、申し訳ない気持ちになることもある。
でも、脳みその中ではぐるぐるとフル回転。だから帰る頃には、身体は動いていないのに、どこかふらふらしてしまう。
そんなふうに、あの頃の空気感や風景は、ボクらの日常の一コマだった。
NHKの「こころの風景」という番組みたいに、旅に出て見に行くものではないけれど、思い出の中でだけ、静かに再生される風景。
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