「神様のガチャで引き当てた、かけがえのない家族」
穏やかな休日の午後

部屋のカーテン越しに差し込む午後の光が、アイボリーの壁を柔らかく照らしている。
コーヒーの香りと、洗いたてのタオルの匂い。休日の午後って、なんでこんなに穏やかなのだろう。

ブラック企業時代の過酷な日々
「ヒロ、ねえ……ひとつ聞いていい?」マユミが洗濯物を畳む手を止めて、こちらを見た。「うん、どうした?」
「ヒロって、昔……今のこの会社のこと、どう思ってた?」思わぬ質問に、思わず手が止まる。そっか。あの頃の話を、ちゃんとマユミに話したこと、なかったかもしれない。
「うーん……一言でいうと、“地獄”かな」
「ふふっ、ストレートすぎる」マユミは笑ったけど、ボクは真面目な顔のまま、ソファに深く腰を下ろした。

当時のボクは、今とは別人だった。
朝8:30から終電無くなっても深夜まで3:00までの立ちっぱなしの19時間労働で、残業代はサービス、休日は体調を崩して寝込むだけ。
休日でどうにか動けるまでに回復させて、朝早くに出社し、「逃げたら終わりだ」って、誰にも弱音を吐けずにいた。
どん底という言葉じゃ足りなかった。

あの頃のボクは、働く機械のように朝と夜をただ繰り返していた。
月曜の朝から日曜の深夜まで、会社のデスクが墓場みたいで、誰かが「お疲れさま」と言ってくれるたびに「いや、もう疲れすぎてわからないんだ」と心の中で呟いていた。
昨日、帰った感じがしたけど、もう働いているって感覚だった。
家に帰った感覚が無かった、それくらいおかしな感覚だった。

時計の針は夜の9時半、上司(部長)も「お先に!!何もわからないから帰るよ」と労いか冗談かわからないことを言うだけで全員帰ってしまう。
それから、まだ仕事が三分の一残っているし、後片付けと業務日誌も書かなくてはいけない。業務日誌を書く時間を計算して、どれくらいで残り終わらせなくてはならないか考えるけど、全 てが終わったわけではない。
明日も同じ、今日作業している間にも新たな案件がデスクのBOXに山積みされていく。
終業後、最後ひとりになり、会社を出るのも夜中の3時前、誰もいない事務所のすべての窓の施錠をを見て回り、エアコン等のパネルを確認、電気機器等のオンオフも確認し、外に出る。人感センサーのスイッチを入れて帰宅する足取りが重かった。
それが連日連夜続いた。
ひとり暮らしの部屋には、時計の秒針の音しかなかった。冷蔵庫は空っぽ。洗濯機には洗えなかったシャツの山。
ある冬の夜、倒れて救急搬送
大人になったら、もっと自由で楽しいと思ってた。
でも――
「助けて」が言えなかった。
どこにも出口がなかった。
ある冬の夜。
会社の駐車場に向う凍った道の上でボクは突然膝から崩れ落ちた、意識失って、倒れたんだよ。真冬の深夜に。

会社の警備保衛課の人が見つけて救急車を呼んでくれたらしい。気づいたとき、天井が真っ白で、ぼん やりしたライトがまるで霊界の入り口みたいに見えた。
誰も知らない病院のベッド。
それが、始まりだった。
□□───────────────□□
看護師との出会いで心がほどける
「そこでさ、ひとりの看護師さんが、毎朝声をかけてくれたんだ」
「おはよう。少し顔色、戻ったかな?」
ピンク色の白衣の女性が、カーテン越しに入ってきた。
目元に笑いジワがあるその人は、あまりにも穏やかで、ボクにとっては“非現実”だった。

しばらく点滴は続いた
「少し、熱も血圧も落ち着いてきましたね。無理しないで、今日は体を休めましょう」
その声は、心を包むような柔らかさだった。
名前も知らなかったけれど、ボクはその人の言葉だけで、生きててもいいのかもしれない、と思った。
入院中、毎日血圧測定中数分だけ交わすその看護師との会話が、唯一の人との接触だった。
『無理して頑張ったの、偉いと思いますよ。だから今は、ちゃんと休んでください』たったそれだけで、何かがほどけた。
「頑張れ」と言わず、「もう頑張らなくていい」と言ってくれたのは、その人だけだった。
『今日も顔色いいね。頑張った証拠だよ』
『無理しない。ちょっと休むのも、勇気だよ』
「笑顔が優しくて、言葉があたたかくて……生まれて初めて、自分が“許された”気がしたんだよね」

その人の名前も聞かないまま、ボクは退院し、ゆっくりと生活を立て直していった。
□□───────────────□□
職場の変化と再生への歩み
時間が経つにつれ、少しずつ、周りに“まともな人たち”が現れるようになった。
「お前、-大丈夫か?」と気にかけてくれる先輩や、「今日は帰りなよ」と声をかけてくれる上司。
.それから会社は大きく変わった。
“あの頃”の面影は、もうほとんどない。
働く人も、制度も、空気も変わった。たぶん、誰かが必死に抗ってくれたから。
かつてのブラックな会社も、経営陣が一新され、徐々に制度が変わり、奇跡のようにホワイトな場所になっていった。そういう風になるのに十年以上掛かったけどね。
親会社からの御達しで「コンプライアンス遵守」「働き方改革」等の電子掲示板でフォロー研修や毎回会議室などでプラスワン研修、アンケートなど確かに変わってきた。
そして、ボクに、転機が訪れる。
□□───────────────□□
マユミとの出会い:不思議な既視感
「ヒロさん、この子紹介しますね。新しく配属された竹◯さんです」

真弓――
その名前を聞いた瞬間、背筋がすうっと冷えた。
「……竹◯?」
「はい。マユミと申します。よろしくお願いします」
ふと見えた名札の名字に、思わず目を細めてしまった。
竹◯。
どこかで聞いたことのあるような。いや、何かが、引っかかる。
□□───────────────□□
それからしばらくして、マユミと親しくなり、彼女の実家の話を聞くようになったときだった。

「うちの母ね、看護師やってるの。昔は救急対応が得意だったんだけど、今は夜勤減らしてるんだって」
「看護師……?」
「うん、◯◯市民病院にずっと勤めててね、「……あの頃、私も家で何となく、母の様子で感じてた。いつもと違う患者さんがいるって。『命をギリギリで踏みとどまった子がいる』って、嬉しそうに言ってた」って言うの。なんか……運命って感じ」
それを聞いた瞬間、ボクは確信した。
看護師の正体と“奇跡の糸”
あの冬、あの病院で、白い天井の下、ボクを見ていてくれた人――
あれは、マユミの母だった。
「それ、たぶん……ボク、だと思う」
「え?」
ふたりして、笑った。だけど、笑いながら、涙が出そうだった。

「いま思えばさ、あの病院に運ばれたのも、あの看護師さんに出会ったのも、会社を辞めずにここに戻ってこられたのも……偶然にしては、できすぎてるよなって」
「ううん。運命、だよ。ヒロはちゃんと、見えない誰かに守られてたんだよ」マユミがそっとボクの手を握る。
「……そして、私のところに来た」
マユミは黙り込んだ。数秒後、ふっと笑った。
「やっぱり……だからだったのかな。最初から、なんとなく安心したの。ヒロのそばにいると、ほっとするっていうか」
神様の気まぐれかもしれない。
あの時、道端で倒れて、偶然その病院に運ばれなければ――
あの看護師に出会っていなければ――
この会社がホワイトにならなければ――
マユミに出会わなければ。
全部、バラバラに見えていた出来事が、一本の糸になった。
家族としての現在
マユミと、その母と、職場と、家族のような仲間たちと―― いま、ボクはひとりじゃない。
あの頃と同じ部屋にいても、秒針の音だけじゃない。洗いたてのシャツが揺れる音や、笑い声や、「ヒロー、ご飯できたよ」の声がする。
まとめ:神様の気まぐれがくれた奇跡
神様の気まぐれが、つないでくれた。
気づけば、ひとりだったボクには「家族」と呼べる人たちがいる。
マユミ、そして、マユミの妹、マキもまた、ボクの理解者となった。
さらに、まだ若かりし頃の過去に入院したときに出会った看護師さんが、マユミのお母さんだった、まるで、神様が「よく頑張ったね」と奇跡をくれているようだった。

それは、偶然のようで、必然だったのかもしれない。
神様のガチャで、ようやく当たりを引いたのだ。
あの白い天井を見上げていた日々からは、想像もできなかった未来だ。
神様の気まぐれかもしれない。でも、こんな巡り合わせがあるなら――「きっとボクは、あの時からマユミに向かって歩き出してたんだと思う」
少し照れながら言うと、マユミはうれしそうに目を細めた。
窓の外、午後の陽が傾きはじめて、部屋の中に柔らかな影が差す。
ボクが戻ってこようって思えたのも、マユミがいたからだよ」
「……それ、ずるい。そんなこと言われたら……泣いちゃう」
マユミがふと目を伏せて、小さく呟いた。
「でもね、ヒロ。私にとっても、偶然なんかじゃないよ。あの日、初めて会った時から……ずっと何かが始まってた。そう思ってる」
畳まれたタオルの上に、マユミの指先がそっと重なる。
「じゃあ私は、ヒロがたどり着いた“答え”なんだね」
「うん。間違いなく、ボクの人生でいちばんの正解」
その瞬間、世界のノイズがすっと遠ざかって、目の前の彼女だけが残った。
どんなに遠回りをしても、どんなに迷っても。
たどり着く場所が、君でよかった。
オススメ記事