朝のエレベーター。
目が合って、すぐ逸らした。
でも、同じタイミングで乗り込んだ時点で、すでにそれは“偶然”とは呼ばない。
「……おはよう」
「おはようございます、ヒロさん」

お互い、わざとらしいくらい“よそ行き”の声で挨拶する。
フロアが違う同僚が一緒にいる朝は、いつだってこんな感じ。
けれど、ドアが閉まり、その人が降りると、空気がやわらかくなる。

「さっき、あたしの目、見た?」
「いや……見てないけど」
「ウソ。ちょっとだけ、ニヤってしてた」
「してないって」
「ふーん……でも、ニヤってしてた気がする。……うん、してた。絶対、してた」
そう言って、マユミはボクの肩に小さくおでこを寄せた。
エレベーターがまた誰かの階で止まる直前に、ふっと離れて、何食わぬ顔で横を向く。

その一瞬の距離感が、たまらなく愛しい。
午後、休憩スペースでマユミが他の先輩に軽口を叩かれていた。
「マユミさんさ、最近ヒロさんにやけに優しいんじゃない?」
「えー?そう見える?たまたまだよぉ、たまたま〜」
マユミは笑いながらそう答えていたけれど、ボクは知ってる。
彼女の“ふざけた顔”の奥に、いつもちゃんと理由があるってこと。
そのあとすぐ、ボクのデスクに来て、そっと言った。
「さっきの聞いてたでしょ?ごめんね。……でも、あたし、ちょっと照れてただけだから」

「うん。わかってる」
「……だって、ほんとに優しいと思ってるからさ、ヒロのこと」
その声は小さくて、でもまっすぐで、うそじゃなかった。
帰り道。駅に向かって、ふたりで歩く。
マユミが突然、立ち止まった。
「ヒロ。あたしさ……あんまり器用じゃないの」
「知ってる」
「ちょっと……もう少し、待っててくれる?」
「うん。待つよ。どれくらいでも、ボクはマユミさん好きなのは変わらないから」

マユミは何も言わずに笑った。
その笑顔は、ふざけたフリをしていた昼のそれとは、まったく違っていた。
ボクは、歩きながらポケットに手を突っ込んだ。
冷たい缶コーヒー。彼女に渡すつもりで買ってたやつ。
でも、今日はまだ渡さない。
もう少しだけ、こうして歩いていたいから。
少しずつ、でも確かに。
ふたりの距離が近づいているのを、今、はっきりと感じている。