夕食はうどん
会社が終わってから、ボクらは久しぶりに、あのうどん屋さんへ向かった。
まだ二人が“秘密”だった頃、よく通っていた店だ。

あの当時、お客さんは、ボクら2人だけで、シーンとしていた。

会社から離れた方向にあって、あの頃はマユミのクルマの後を、ボクのクルマでついていった。
場所は、大通りから外れた住宅街の中。
派手さもなく、有名チェーンでもない。だけど、どこか安心する、そんな店。
マユミは、会社の誰にも会わないようにって、ここを選んだんだよね。
店に入ると、今日はお客さんはけっこう多かった。

うどんは、まあ普通。でも、決してまずくはない。
今日はお客さんの賑わいがあるけど、あの当時と変わらない空気が流れていた。
サッと食べて、サッと出る。
その感じも、あの頃と変わらない。
クルマに乗り込んで、信号待ちのときに、マユミがぽつりとつぶやいた。
「ねぇ、覚えてる?あの頃さ、帰りもなんかぎこちなかったよね。別々のクルマなのに、タイミングとか妙に気にしてさ」
ボクは思わず笑ってしまった。
「そうそう。信号で並んじゃうと焦って、わざと少し遅れて出たりしてた」
マユミも笑いながら、ちょっと遠くを見ていた。
「今は、もう隠さなくていいんだもんね。帰る家が同じって、すごく安心する」
その言葉に、ボクの胸がふわっとあたたかくなる。
「うん。こうして何気なく隣にいられることが、こんなに嬉しいって思わなかった」
夜の住宅街を走るクルマの中。
外は相変わらず静かだけど、車内にはふたりだけの穏やかな時間が流れていた。
家に着いて、玄関のドアを開けると、ふわっとあたたかい空気が迎えてくれた。

靴を脱ぎながら、マユミがぽつりと言う。
「ただいまって、言わなくても一緒に帰ってきてるのが、なんか不思議」
「言ってもいいよ。“ただいま”って」
ボクが笑って言うと、マユミはちょっと照れたように頷いた。
「うん……じゃあ、あらためて。
ただいま、ヒロ」
「おかえり、マユミ」
なんでもない一言なのに、やけに胸があたたかくなる。
リビングに入って、マユミはソファにぽすんと座りながら言った。
「それにしても、今日のうどん屋さん、けっこうお客さんいたね」
「だね。あの頃は、いつも2人だけが多かったのに。時間が早かったからかな?」
「うん。でも、なんかちょっと安心した。潰れてなくてよかったなーって」

「わかる。あの時の空気感は残ってたよね。静かだけど、どこかあったかくて」
マユミはうんうんと頷きながら、クッションをぎゅっと抱えた。
「でもさ、前はさ、ボクのクルマが先に出ると、ミラーでマユミのクルマが曲がっていくの見て、ちょっと寂しくなってた」
「……うそ、わたしも同じこと思ってた。ミラーで見てた。なんかね、見届けたくて」
そう言って笑うマユミの声が、ちょっとだけ甘くなる。
「今は、そういうの気にしないで一緒に帰ってこれるから、いいね」
「うん。たぶん今が一番、幸せだと思う」

テレビもスマホもつけず、ただ静かな部屋に、二人の声だけがぽつぽつと響いていた。
ただ、お互いがいて、やわらかく笑ってる。
なんてことないけど、かけがえのない夜だった。