「はい、ヒロだけの特権」
そう言って、マユミが合鍵を渡してくれた日のことを、ボクは今でもはっきり覚えている。
「……いいの?」
「うん。だってヒロだもん」
にっこりと笑うマユミを見て、ボクはこの鍵がどれほど特別なものなのかを改めて実感した。

思えば、最初に合鍵を渡したのはボクのほうだった。
10年以上前、ボクは会社で倒れたことがある。病院に運ばれたボクを、マユミは心配してずっと付き添ってくれて、退院してからも何かと世話を焼いてくれた。そのとき、マユミが言ったのだ。
「ヒロ、もしまた具合が悪くなったときに様子を見に行けるように、合鍵ちょうだい?」
まるで当然のように言うマユミに驚いたが、断る理由もなく、そのまま鍵を渡した。それからしばらく経ち、今度はマユミがボクに言った。
「ねぇ、ヒロ。あたしの家の合鍵も持ってて。あたしに何かあったときに、来てほしいから」

それは、ただの「看病のため」じゃないことくらい、ボクにもわかっていた。
そうして、お互いの鍵を持ち合う関係になったのだった。
──今日は土曜日。
ボクの家で過ごすことが多いけど、今日はマユミの家に行くことになっていた。
「鍵、使ってみようかな……」
マユミから「適当に来ていいよ」と言われていたので、ボクは試しに自分で鍵を取り出し、ドアの前に立った。
……うん、ちょっとドキドキする。
ガチャ。
静かに鍵を回し、ドアを開けると、ふんわりとマユミの香りがする部屋が迎えてくれた。

「マユミー? 来たよ」
返事はない。
あれ? いないのか? と思って部屋の奥に進むと、リビングのソファの上で何かがもぞもぞ動いていた。
「……んぅ……」
「え?」
毛布にくるまり、すやすやと寝ているマユミがいた。
「……マユミ?」
寝息が聞こえる。
起こすべきか迷ったけど、あまりにも気持ちよさそうに寝ているので、そのままそっと隣に座った。

ボクがマユミの家の鍵を持っているからこそ、こうして「ただいま」みたいな感じで彼女の生活の一部に溶け込める。
それがなんだか、とても嬉しかった。
「ん……」
マユミが小さく動いて、ゆっくり目を開ける。

「あ……ヒロ……?」
「おはよう。寝てたの?」
「うん……」
寝ぼけたまま、マユミはボクの袖をぎゅっと掴んだ。
「……鍵、ちゃんと使ったんだ?」
「うん、せっかくだから」
「ふふ……じゃあ、これからはもっと自由に使ってね」
そう言って、マユミはボクの腕に顔をうずめる。
「今日は、ヒロが来てくれるって思って、油断してた……」
「油断?」
「うん……だって、ヒロが来てくれるなら安心して寝ててもいいかなって」
そんなことを言われたら、もう胸がいっぱいになってしまう。
「じゃあ、これからも安心して寝られるように、ボクがちゃんとここに来るよ」
「……約束」
マユミは眠たそうに微笑んで、もう一度毛布にくるまった。

ボクだけが持っている、彼女の家の鍵。
それは単なる物じゃなくて、二人の特別な絆の証なのかもしれない。
「……じゃあ、ボクも隣でゴロゴロしてようかな」
「いいよ、むしろそうして」
こんなふうに、合鍵があるからこそ生まれる、特別な時間もあるんだな。
ボクはそっと毛布を分けてもらい、マユミの隣に座り込んだ。

──今日は、おうちデート、というよりも、まるで二人の「おうち」みたいだな、なんて思いながら。