- 今日はヒロはテレワークです。
「ただいま~」玄関の方から声がした。
リビングのドアが開き、マユミの明るい声が響く。
合鍵を持っている彼女が、自然にボクの部屋へ入ってくる。

「え、なんで?」
「ヒロ、今日はテレワークでしょ? 営業の合間にちょっと休憩しに来たの」
そう言いながら、紙袋を掲げる。
中身は、小さなケーキの箱。
「これ、おやつ。ちょっと休憩しながら一緒に食べない!」
「……いや、ボク仕事中なんだけど」
「だから、ちょっとだけ休憩しよ?」
リビングでマユミは当然のようにソファに腰を下ろし、ボクを笑顔で見つめている。
——まぁ、確かに朝起きてからずっとやってたし根詰めてもね、少し休んでもいいか。
ボクはソファの前のローテブルの間に座った。するとマユミが隣に座って来た。
彼女はボクに肩に寄り添うように身をもたれかけてきた。スマホを取り出し、「ほら、見て」と画面を見せてきた。
距離が近い。めちゃくちゃいい匂いがする。
「え、ちょ、マユミ…近…」

「このイタリアン、新しくできたんだって。おしゃれじゃない?」
「へぇ、いい感じ」
「今度一緒に行こ?」マユミは行こうねって感じで見てくる。
「うん、いいよ、行こ」
そうやってしばらく他愛もない話をしていた。
——そしてボクはコーヒーを淹れに行った。
カップに注がれるコーヒーの香りが、部屋中にふわりと広がる。

「やっぱりヒロの淹れるコーヒー、美味しいね」
「普通の豆だけどね」
「でも、ヒロが淹れてくれるのがいいの」
そう言って、マユミはケーキの箱を開けた。

シンプルなチーズケーキと、色鮮やかなベリーのタルト。
「半分こしよ?」
「どっちも食べたかったんだろ」
「ふふ、バレた?」
フォークを差し出すと、マユミはいたずらっぽく笑いながら、チーズケーキを一口ぱくりと頬張る。
「美味しい。ヒロも食べて?」
そう言って、フォークをボクの口元へ差し出してきた。
「……自分で食べるよ」
「いいから、はい」
結局、マユミのペースに巻き込まれる。
でも、それも悪くない。
ケーキを食べ終わり、コーヒーを飲みながら、しばらくマユミとスマホを見たり、のんびりとした時間が過ぎる。

部屋にはコーヒーの香りと、マユミの甘い香水の香りがほんのりと残っていた。
「……そろそろ戻らなきゃ」
「あ、もう行くの?」
「うん。営業、まだ途中だから。でも——」
そう言って、マユミはボクの顔をじっと見て、ふっと微笑んだ。
「仕事終わったら、また来るね」
「……うん、待ってる」
マユミは軽やかに玄関へ向かい、ドアを開けて出ていった。
わずかに20分ほどの滞在だった。テレワークも良いのか悪いのか、マユミと一緒いる時間が少ないんだ。
たった5分前まで、ここにマユミがいた。
残されたのは、ふっと消えそうなマユミの温もりと、甘くて繊細なフローラルの余韻。Diorの香りがする。
ボクは、この香りDiorのForever&Everが好きだ。好きすぎて、そこにマユミがいるような気がして、深く息を吸い込んだ。
「……よし、もうひと頑張り」
作業部屋に行き、もう一度iMacを開いた。
その先に、マユミがいる。
それだけで、仕事を続ける理由になる気がした。
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