ついに交際を表明する
「——で、まぁ、こういうことになったわけだ。」
ボクは、コーヒーを飲みながら、ふと飲み会の出来事を思い出す。
***
飲み会の翌日、ボクとマユミは部長に呼ばれた。会議室に入ると、すでに人事部長も同席していた。
「まずは、君たちがどういう関係なのか、確認させてもらおうか。」
部長の声は静かだったが、こちらを見つめる視線は鋭い。
「……交際しています。」
マユミがまっすぐに答える。その言葉に、ボクも軽くうなずいた。
「そうか。では、まず今回の件について、何か言いたいことは?」
「昨夜のことは、私たちの配慮が足りませんでした。申し訳ありません。」
ボクとマユミは揃って頭を下げた。
「まぁ、これが初めてのケースではないし、うちの会社は社内恋愛を禁止しているわけじゃない。ただ、仕事に影響が出るのは困るんだよ。」
部長が手元の紙を差し出す。

『社内恋愛に関するルール』
- 業務中はプライベートを持ち込まないこと。
- 公の場ではお互い敬称をつけて呼ぶこと。
- 周囲に配慮し、業務に支障をきたさないこと。
「これを守れるなら、今まで通り仕事を続けてもらう。むしろ、君たちの仕事ぶりは評価しているからな。」
「……ありがとうございます。」
まさか、こうして公認されるとは思っていなかった。
「でもな。」
人事部長がゆっくりと口を開いた。
「仕事をする上で、お互いの存在が強みになるなら、それはいいことだ。ただし、それが逆に弱点になることもある。忘れないように。」
「……はい。」
「まぁ、真面目に仕事をしていれば、周りも余計な詮索はしない。お互い、気を引き締めていけよ。」
***
「ねえ、ヒロ。」
休憩スペースの隅で、マユミが小声で話しかける。周囲には他の社員もいるが、適度な距離があり、会話が聞こえることはない。
「昨日のこと、思い出してた?」

マユミはコーヒーカップを両手で包み込みながら、ボクをちらりと見る。
「ん、まぁ。」
まさか——覚えてる?
「えっと……その……。」
「いや、どんな感じだったの?」
マユミは少し混乱したように聞き返してくる。
「あ……いや……。」
ボクは言葉を選びながら、少し間をおいた。
「私、お酒弱いんで、途中から記憶ないのよね。」
……やっぱりか。
ボクは小さくため息をついた。
「そっか……。」
「私、何かやったの?」
「いや、別に。」
「ふーん?」
マユミはボクの顔をじっと見たあと、「やっぱり聞きたい」と小さくつぶやいた。
「ちゃんとわかってないと、また繰り返すから。」
マユミが、真剣な目で言ってくる。

仕方ない。これからのこともあるし、マユミにも気をつけてもらわないと仕事に支障が出る。
ボクはゆっくりと、昨夜のことを話した。
マユミは黙って聞いていたが、途中で眉をひそめ、考え込むように目を細める。
「……うん、なんとなく思い出したかも。」
小さくそうつぶやいたあと、彼女はカップのふちに視線を落とした。
ほんの少し、頬が赤い。
「やっぱり、耐えられなかったのかな……。」
ふと漏れた言葉に、ボクは少し驚く。
「え?」
「ん、なんでもない。」
マユミは急いで首を振る。けれど、その目はどこか困ったように揺れていた。
……黙っているのが、耐えられなかった?
その言葉の意味を、ボクはなんとなく察した。
***
ボクは軽く頷きながら、カップの中のコーヒーをひと口すする。温かさとほのかな苦味が、まだ少し残る緊張を和らげる気がした。
「……なんか、いい会社だね。」
マユミがぼそっと言う。その声には、どこか安心したような響きがあった。
「ほんとに。」
ボクも同意するように頷く。少し前までの緊張が嘘みたいに、今は落ち着いてこの状況を受け入れられるようになっていた。
「でも、そのぶん、ちゃんとしないとね。」
マユミが真剣な目でボクを見つめる。
「わたし、これから仕事でお酒飲むのやめる。」
「そんなに気にしてるのか?」
「……だって、また耐えられなくなったら困るし。」
「え?」
「なんでもない。」
マユミは少しむくれたようにカップを口に運ぶ。
公認されたからといって気を抜いてはいけない、という無言のメッセージが、その瞳に込められているのを感じた。
「わかってるよ。」ボクはコーヒーをひと口飲む。
社内恋愛が公認されたからこそ、気を引き締めないといけない。
ふと視線を向けると、向こうのデスクで同じフロアにいる先輩社員の夫婦が仕事をしているのが見えた。
——この会社には、すでに二組の社内結婚した夫婦がいて、自然体で働いている。
「そういえば、あの人たちも社内恋愛から結婚したんだよな。」
「そうみたいね。」
マユミがコーヒーを飲みながら頷く。
「まさか、自分もこうやって好きな人と同じ会社で、公認で働けるとは思わなかったな。」
ボクがぽつりと呟くように言う。
「……ふふっ。」
隣でコーヒーを飲んでいたマユミが、口元を抑えながら小さく笑った。
「何だよ?」
ボクは少しムッとしてマユミの方を見る。
「いや、ちょっと誇らしげだったから。」
マユミはくすくす笑いながら、ボクの顔を覗き込むように言った。
「そりゃそうだろ。だって……」
ボクは何かを言いかけたが、言葉を止めた。

ふと、社内の視線を意識してしまう。
マユミは会社で一番綺麗な女性だと、みんなが言っている。
そんな彼女と、こうして堂々と交際できる。
ボクはコーヒーのカップを手の中で転がしながら、改めてこの会社の寛容さに感謝していた。
「それにしても……」
「ん?」
「ヒロ、砂糖入れすぎじゃない?」
「……ばれた?」
「ばれるよ。」
マユミは小さく笑った。
「ちゃんと甘いもの買ってあげるから、仕事頑張ろう?」
「お前な……ルールは?」
「んー? これは、会社のためにヒロのパフォーマンスを維持するため。」
「……それ、理屈としてどうなんだ?」
「いいの。」
マユミはいたずらっぽく微笑んだ。
こうしてボクたちは、ルールの中で少しだけ特別な関係を続けていく。