「◯◯くん、この案件、今日中にまとめられる?」
夕方、上司の一言でボクの帰宅予定はあっけなく消えた。急ぎの資料作成。
残業が続くなぁ。
しかも、よりによってペアで担当するのは——。
「◯◯さんも残業お願いできる?」上司がマユミに声をかける。
「…はい、大丈夫です。」マユミは少し考えた後、すぐに答えた。
こうして、ボクとマユミはふたりきりで残業することになった。

***
時計の針が21時を回る頃、オフィスにはもう誰もいなかった。パソコンのキーボードを叩く音と、たまに鳴るプリンターの音だけが静かな空間に響く。
「疲れた…。」マユミが小さく伸びをする。
「もう少しで終わるな。」ボクは画面を確認しながら言う。
「ねぇ、ヒロ。」マユミが急に声を潜める。
「…ん?」
「こうやって、ふたりきりで残業してると、ちょっとドキドキしない?」彼女はイタズラっぽく笑いながらボクを見る。

「ばっ…、ここで言うのかぁ!!」思わず動揺するボク。
「だって、誰もいないのよ?」マユミは机に肘をつきながら、こちらをじっと見つめる。
そんな風に見られると、余計に意識してしまう。
「だからって、気を抜くとバレるよ。」ボクはできるだけ冷静を装う。
「ふふ、大丈夫。社内ではちゃんと◯◯さんって呼んでるし。」
「それはそうだけど…。」
「それに、ちょっとぐらい秘密の時間があってもいいじゃん、わたしはドキドキしてるよ٩(♡ε♡ )۶」
マユミはそう言って、少しだけボクのほうに身を寄せた。彼女の髪からほんのりシャンプーの香りがする。
こんな距離で、こんな空間で、そんなこと言われたら——。
「はい、完成っと!」急にマユミがパソコンのエンターキーを叩く。
「え?」ボクが驚いて画面を見ると、作成していた資料がちょうど仕上がっていた。
「えへへ、ヒロが変なこと考えてる顔してたから、先に終わらせちゃったよ」マユミが得意げに微笑む。
「いや、別に変なことなんて考えてないし…!」
「ほんとに〜?」マユミはいたずらっぽく首を傾げる。
ボクは反論したかったが、どう考えても負けそうな気がして、ため息をついた。
***
オフィスを出ると、夜風がひんやりと心地よかった。
「遅くまで付き合ってくれてありがとな。」
「ううん、私もヒロと一緒だったから、楽しかったの」
そう言って、マユミは少しだけボクの袖を引いた。
「ねぇ、せっかくだし、このままちょっとだけどこか寄ってかない?」

「…いいの?」ボクは驚く。
「うん、せっかくの秘密の時間なんだし。」
マユミはそう言って、少しだけ微笑んだ。
ボクはその笑顔を見て、これ以上ないほど心臓が高鳴るのを感じていた。