金曜日の午後、オフィスにはどことなく開放的な空気が流れていた。今夜は会社の懇親会。業務終了後に近くの居酒屋で開かれるらしい。
「◯◯さんも来ますよね?」総務の女性が声をかけてきた。
「ええ、まぁ…」ボクは適当に返事をしながら、マユミの方をちらりと見た。彼女も同じく、少し考え込んだような顔をしていた。
「ヒロ、行くの?」休憩室で二人きりになった瞬間、マユミが尋ねた。
「あんまり気乗りしないけどな。でも、断る理由もないし。」
「ふーん。」マユミは少し考え込んだ後、「…じゃあ、行こうかな。」と呟いた。
「なんで、そんな迷うんだ?」ボクは思わず聞いてしまう。
「別に?」マユミはそっけなく答えたが、その表情はどこか含みがある。
***
居酒屋に着くと、すでに何人かが酒を片手に盛り上がっていた。ボクとマユミは、なるべく離れた席に座る。社内恋愛がバレるわけにはいかない。けれど、意識しすぎるのも逆に怪しい。
「◯◯くん、飲んでる?」隣の席の先輩が声をかけてきた。
「ええ、少しだけ。」ボクがグラスを持ち上げると、向かいの席に座っていたマユミと一瞬だけ目が合う。彼女も同じように、少しだけ笑ってグラスを持ち上げた。
すると、同僚の一人がふと口を開いた。
「マユミさんって、意外とお酒強いんですね。」
「そう見えない?」マユミが笑いながら返す。
「いや、なんかこう…可愛らしい感じだから、お酒弱そうなイメージがあったっていうか。」

その瞬間、ボクはなぜか胸の奥がざわつくのを感じた。別に同僚がマユミに気があるわけじゃない。でも、こんな風に褒められているのを聞くと、落ち着かないのはなぜだろう。
「◯◯くんはどう思います?」同僚が突然ボクに話を振る。
「え?」不意を突かれてボクは少し戸惑う。
「マユミさん、お酒強そうに見えますか?」
ボクは一瞬迷ったが、ここで動揺を見せるのはマズい。なるべく自然に振る舞いながら答える。
「いや、あんまり強くないんじゃないかな。ちょっと飲むと、すぐ顔赤くなるし。」
言った瞬間、しまった、と思った。ボクがそんなことを知っているのは、二人で飲んだことがあるからだ。社内ではあまり知られていないはずなのに…。
マユミは一瞬、目を見開いた後、すぐに微笑んだ。
「あれ?ヒロさん、そんなこと知ってるんですね?」同僚がニヤニヤしながら突っ込んでくる。
「え?…ああ、いや、前に軽く飲んだことがあって。」ボクはなんとか誤魔化す。
「へぇ〜、二人でですか?」別の同僚が興味津々といった顔で尋ねる。
やばい。このままでは何か勘ぐられる。
しかし、その瞬間、マユミがさらりと助け舟を出した。
「違いますよ。前の歓送迎会のとき、ヒロさんの隣に座ったんです。そのときにちょっと飲んで…ね?」

「あー、そういうことか。」同僚たちは納得したように頷く。
ボクは内心、ほっと胸を撫で下ろした。さすがマユミ、こういう場面での機転が利く。
***
帰り道、二人は少し距離を取りながら歩いていた。社内の人間が近くにいるかもしれないからだ。
「助かったよ。」ボクが小声で言う。
「ふふ、あそこでバレたら大変だったからね。」マユミは小さく笑う。
「でも、少しは気をつけてよね?思わせぶりなこと言うと、私たちのこと疑われるんだから。」
「悪かった。」ボクは素直に謝る。
「…でもね。」マユミがふと立ち止まり、ボクを見上げた。
「ちょっとだけ嬉しかったよ。」
ボクは思わずドキリとする。
「だって、ヒロが私のこと、ちゃんと見てるんだなって思えたから。」
そう言って、マユミはまた前を向いて歩き出す。
月明かりの下、ボクは彼女の後ろ姿を見つめながら、これ以上ないほど心臓が高鳴るのを感じていた。