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だから国家間の競争じゃないんだってば

もともと日本のマスメディアや、マスメディアにおけるジャーナリズム(真実の追求と正確な報道、市民への忠誠、権力からの独立、権力の監視、多様な意見を反映する社会の木鐸という意味での)にはあまり信を置けないと感じている私ですが、二年ごとの夏と冬に繰り返されるオリンピックの時期ほど、それを再認識させられることはありません。
qianchong.hatenablog.com
とはいえ、今朝の東京新聞特報欄には、「平和の祭典」の価値が問われているという批判が載っていました。「五輪が国威発揚や大国のPRに使われてきた」ことを俎上にのせていますが、スポーツ報道に力を入れている中日新聞社の傘下だからか、批判のトーンは弱めです。

五輪憲章は「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めるが、国別のメダル獲得に一喜一憂しているのも現実だ。

しかも同日の別の紙面には国旗を掲げる日本選手の写真が載せられています。私は以前から疑問に思っていたのですが、こういう、五輪のメダル獲得選手が国旗を掲げたり身にまとったり、表彰式で国旗が掲揚されて国歌が演奏されたりするの、オリンピック憲章に反しないのでしょうか。

このブログでは何度もご紹介していますが、最新版のオリンピック憲章をもう一度確認しておきます。

The Olympic Games are competitions between athletes in individual or team events and not between countries.
オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。(18ページ)
www.olympics.com

「国家間の競争ではない」と明言されている以上、国旗や国歌を持ち込むのはやっぱり「アウト」じゃない? でもいろいろと調べてみたところ、「オリンピック憲章の理念には必ずしも沿わないが、競技の歴史的背景と現代の運用において憲章違反とはみなされていない」というのが実情のようです。でも、1896年にアテネで行われた第一回の近代五輪では、国旗掲揚や国歌演奏はおろか、競技ごとの表彰台すらなかったんだそうですよ(大会の最後にメダルを授与)。
www.olympic-museum.de
この件に関しては、かつて日経新聞にこんな記事が載っていました。

五輪のたびに、われわれは日本のメダル数を他国と比べて一喜一憂するが、これは実は五輪の趣旨からすれば間違っている。国同士の競争ではなく、個人同士が互いをリスペクトして競い合うのが本来の五輪の姿。表彰式での国歌の演奏も国旗の掲揚も、勝者である個人やチームの栄誉をたたえるものであり、勝った国を称賛しているわけではない。
www.nikkei.com

また2021年の東京オリンピック開幕翌日、毎日新聞の「余録」ではこう書かれています。

「表彰式における国旗と国歌をやめてはどうか」。1964年東京五輪開幕日の小紙社説の一節である。当時、国際オリンピック委員会(IOC)でも過剰なナショナリズムを抑制し、政治の介入を防ごうと廃止案が議論されていた▲元々、国家の枠を超えて国際主義を体現しようとしたのがオリンピック運動の原点だ。68年メキシコ五輪時のIOC総会では廃止に賛成が34票で反対の22票を上回ったが、採択に必要な3分の2に届かず、否決された▲その後、旧ソ連など共産圏が反対の姿勢を強めたこともあり、廃止論は姿を消す。むしろ五輪を国威発揚に結びつけることを当然と考える国が増えた。ナショナリズムの容認が五輪の商業主義や巨大イベント化を支えてきたともいえる▲23日夜の東京五輪開会式でギリシャの次に行進した難民選手団は五輪旗の下に集った。ドーピング問題で国家としての参加を禁じられたロシア選手も国旗掲揚を認められない。国歌の代わりに流れるのはチャイコフスキーだ▲選手にとって国家を代表できないのは残念なことだろう。だが「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」という五輪本来の理念に基づけば、皮肉ではあるが、理想に近い姿かもしれない▲コロナ下に開催へ突き進んだIOCのバッハ会長は「ぼったくり男爵」と批判された。トラブル続きの組織委員会にあきれ、開催に疑問を持つ人も多いだろう。せめて原点を見据え、IOCや五輪のあり方を見直すことにつなげられないか。
mainichi.jp

同じ2021年の、ハフポストの記事ではこんな指摘もされています。

メダル獲得ランキングは、オリンピック憲章違反になりかねないーー。
東京オリンピックが終盤を迎えた8月2日、IOCと組織委員会が公式サイトに掲載しているメダル獲得の順位表について、「オリンピック・ムーブメントの価値を損ないかねない」と指摘する意見書を、日本オリンピック・アカデミー(JOA)の理事会有志が提出した。
www.huffingtonpost.jp

じつは、現在開催されているミラノ・コルティナ冬季五輪のIOCによるオフィシャルサイトにも、同様のランキングが掲載されています。

ただ、ハフポストによれば、このランキングには「国」という言葉は使われておらず、「チーム/NOC(国内オリンピック委員会)」別のランキングとなっているので「セーフ」だと容認されているのだそうです。え〜? なんとも姑息というか欺瞞というか。「本家」がそれならこっちでもいいじゃんということなのか、日本の大手紙は軒並み「メダル獲得数」を毎日掲載しています。もっともこちらは東京新聞以外、堂々と「国」別ランキングになっちゃっていますが。


▲左から日経、毎日、読売、朝日、産経、東京(2026年2月19日)。

いっぽうで、CiNiiを検索していて見つけたこちらの論文によれば、かつてはIOC内部でもこの問題が議論されていたことが分かります。

しかし、 国際オリンピック委員会 (以下、 IOC)が、この問題について座して黙してきたわけではなかった。IOC 委員の中には、オリンピック競技大会における国歌の演奏と国旗掲揚といった象徴的なセレモニーの廃止案を提案する者がいた。その代表的人物が 1952 年から約 20 年間 IOC 会長を務めたアベリー・ブランデージ(Avery Brundage、以下、ブランデージ)である。彼は会長の任期中にこの種の提案を提起し続けた。
cir.nii.ac.jp

でも最終的にIOCは、上述したように「オリンピック憲章の理念には必ずしも沿わないが、競技の歴史的背景と現代の運用において憲章違反とはみなさ」ない……と、この問題をうやむやにしてしまったわけです。

私は、近代オリンピックはすでにその役割を終えているので、開始100年目のアトランタ大会あたりでお開きにすべきだったと思っています。でも結局は、利権・汚職などの腐敗構造が肥大化し、巨額の開催コストと財政負担を招き、社会的・環境的にも負の側面が拡大し続けています。なのに、日本のジャーナリズムはなかなかそこに切り込んで行きません(2021東京オリンピックでは自らスポンサーになってましたしね)。信が置けないゆえんです。

追記

私とて、アスリート個人の努力や研鑽に対して敬意を表さないわけではありません。ジムでお見かけするプロやセミプロの選手の、技術にかけるひたむきな取り組みには圧倒されますし、通訳でご一緒したアスリートの姿勢に襟を正される思いをした経験は何度もあります。ただ、オリンピックが個人の能力を競い合う以上に国家間の競争になり、国威発揚の道具になっている現状をはじめとする「負の側面」に強い疑問を覚えるのです。

オリンピックがなくても、冬季オリンピックのすべての種目には世界選手権やその種目で最高峰とされる大会があります。リュージュやスケルトンなんかはマイナーな競技だから(失礼)、オリンピックがなくなったら困るかしらと思ったのですが、どちらもちゃんと世界選手権が行われていました。であれば、矛盾に満ちたオリンピックはもうやめるべきだと私は思います。
www.olympics.com




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