かつては依存症状態とでも言えそうなほど耽溺していたSNSから私がすべて「降りた」のは、まずは常に注意を喚起されて自分の時間が削られていく「アテンション・エコノミー」の弊害に気づいたからでした。さらに、SNSの空間に充満する「分断」の雰囲気が心身ともに耐えられなくなってきたからでもありました。
特に「通り魔的」とでも呼べそうな、突然浴びせかけられる心ないコメントには、心底うんざりさせられたものです。文章の内容も、前後の脈絡も一顧だにせず、単に言葉尻だけを捉えて脊髄反射的に書き込まれる「終わってる」「認知が歪んでる」「コイツは何も分かっちゃいない」などのコメント(それも匿名で)。
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イデオロギー自認としては、私はどちらかといえばリベラルに傾斜した中道だと思います。SNSやブログで政治的なテーマについて書くことは少なかったですが、それでも書き込みや記事に自分の政治的な志向は表れているでしょうし、中国語関係の仕事をしているので、それにからめて親中派だとか左翼的だとか決めつけられることもありました。
そのたびにため息をつくのですが、考えてみれば自分だって、他人の書き込みや記事を読んで「この人は右翼的だな」とか「ミソジニー(女性嫌悪)だな」とか「ホモフォビア(同棲愛嫌悪)だな」などと判断していることはあります。その際に、その文章の内容を本当に読み込んでいるか、前後の文章の脈絡まで考慮に入れているかと問われれば、自信を持って肯けないかもしれません。
もう私はそこで脊髄反射的にコメントをすることはありませんが(SNSからは降りましたし、ブログでもコメントや「いいね」的な反応はできるだけ控えることにしています)、その人のことを理解しようと努力しているかどうかは心もとない。匿名のネット民はさておくとしても、著名人や政治家などに対してふだん自分が抱く好悪の感情をもう一度見つめ直してみるべきではなかーーそんなことを考えたのは、鈴木大介氏の『ネット右翼になった父』を読んだからでした。
鈴木氏の父上は晩年にいたって右傾雑誌や嫌韓嫌中の言説に「ハマり」、女性や社会的弱者に対しても聞くに耐えない発言をするようになります。そんな父を看取ったあと鈴木氏は、ネットの右翼コンテンツによって父親が蝕まれてしまったことに憤る記事をWebメディアの「デイリー新潮」に寄稿します。そこからネット右翼の実態に関する検証、家族や親戚から集めた証言、子ども時代からの自分と父親との関係についての追想などを経て、鈴木氏がたどり着いた父親の本当の姿と、自らの中に潜んでいた認知バイアスとはーーちょっとした謎解きのような要素もあって一気に読み終え、後には深い読後感が残りました。
これはまさしくいま世界で、そしてまたネット空間で深刻さを増している「分断」を解消するためのプロセスをていねいに呈示しようとした一冊です。どなたにとっても示唆に富む内容だと思いますが、特に私のような、ともすれば「有害な男らしさ」を体現しかねない中高年男性*1は必読かと思います。読みながら付箋を貼ったページは大量にあるのですが、そのなかでも心に残った部分をひとつだけ。
叔父がヒアリング中にこぼしたひとことが刺さった。
「あのなあ、大ちゃん。世代と年代は、切り分けて考えてくれないか」
これは、三国人という言葉の捉え方や、パン・アジア主義をベースにした嫌韓嫌中感情のように世代ごとに一定の価値観があるのとは別に、「年代によって人は価値観のブラッシュアップができなくなる」ことについてのひとことだった。
「難しい文章がどんどん読みにくくなる。新しい考え方がなかなか頭に入ってこなくなる。世の中はどんどん変わっていく。老いるということは、新しい情報を得て理解して取り入れる機能そのものが低下するということ。それが70代なんだ」
そう叔父は言った。それが、世代とは別の「年代」という問題であり、その二つは切り分けて問題を精査してほしいと叔父は言うのだ。(145〜146ページ)
老「年代」にとって、それまで培ってきた価値観のブラッシュアップが想像以上に難しいということに改めて気づかされました。分かってはいたつもりだったけど、これはよほど、よ・ほ・ど気をつけていないと「罠」にハマりそうです。
鈴木氏は、「ネット右翼に蝕まれてしまった」と思い込んでいた父上の、生前の姿を丹念に検証することを通して、死後にようやく「邂逅」と呼べるような他者(父親)理解にいたります。
けれど、よくよく考えればそれ以前に、「うわーおとん、それアウトな発言だよ。サイテーだよ」といった感じの、深刻ではないフラットな雰囲気で父に失言を指摘することも、僕にはできなかったと思う。そうしたフラットな軽口を交わせるような関係性を、そもそも父と僕は培っていなかったからである。(167ページ)
父を失った際に僕が感じたのは「父と僕は醜いイデオロギーによって分断されてしまった」という強い被害感情のようなものだったが、実際長い時間をかけて検証して見えてきたのは、その分断の半分もしくは半分以上が、僕自身の中に抱える「ネット右翼的なもの」や「弱者やジェンダーに対する無配慮で攻撃的な発言」に対する嫌悪感と、激しいアレルギーが原因だったから。つまり、分断を作り出したのは、半ば僕自身だったからだ。(221ページ)
私事ながら、この週末を利用して、末期がんで入院している父親を見舞ってきました。仕事をやりくりしてようやく北九州へ帰省できたものの、もはやコミュニケーションが成立する状態ではありませんでした。鈴木氏と同様に、私も18歳で(いや、17歳でした)実家を出た後は父親とフラットな関係性を培うことなくここまできたので、その点でも読み終わってからいろいろな思いが湧き上がってきました。この本は図書館で予約していて偶然この時期に借りて読んだのですが、そのある種絶妙なタイミングに少々おののいています。
*1:しかもいくつかの調査や研究によれば、いわゆる「ネット右翼」と見なされるのはネット利用者全体のうちの1〜2%程度、しかも中高年世代の都市部在住で、年収も比較的多い男性がその主な層を成しているのだそうです。
