自分の「老い」を意識するようになったのは、いつごろからだったでしょうか。私の場合は天命を知る歳を越えてしばらく経ってからではなかったかと思います。男性版更年期障害とでもいうべき不定愁訴に悩まされ始めたのに続いて、妻がくも膜下出血で入院し、その後遺症である水頭症から認知症と同じような状態になり(のちに回復)、それにつき添った経験が「老い」というものの現実を自分の内側と外側の双方から強く意識させてくれました。
それで、徐々に老いていく自らに抗うように身体を動かし始め、それが一時はかなりハードな筋トレにまで発展していました。なかば冗談めかして「健康になりたい。健康じゃなきゃ、死ぬ」みたいなフレーズをブログに綴ったこともあります。でも、それから十年ほど経ったいまにして感じるのは、もちろん老いに抗うのが悪いわけではないけれど(実際、体調はずいぶん改善しました)、それでも「老いの現実」はそんな抵抗を軽々と越えて迫ってくるのだなあという驚き、いや、一種の諦めみたいなものです。
「老い」に抗おうとすることは、いまや巨大な産業になっています。「高齢者しか読まない」と揶揄されて久しい新聞(紙の新聞)は、それを裏付けるかのように広告スペースの大半が高齢者向けのもので占められています。健康食品や健康器具、サプリメント、それに保険……そのいずれもが、老いをポジティブに捉えるべしというイデオロギーをその背景に従えています。私の「健康じゃなきゃ、死ぬ」もそんなイデオロギーに支えられたものだったのかな。上野千鶴子氏の『アンチ・アンチエイジングの思想』を読んで、そんなことを思いました。

アンチ・アンチエイジングの思想 ボーヴォワール『老い』を読む
ボーヴォワールの大著『老い』を読み解きながら、上野氏はまず自らのフィールドであるフェミニズムの立場をこう振り返ります。
フェミニズムが要求してきたのは、女も男なみに強い、女も男なみに能力があるから、男と同じように待遇してほしいということではなかった。女は弱い、喧嘩したら勝てないかもしれない。子どもを産んだら、ハンディができるかもしれない。だが、それだからといってなぜ強い者の言うことに従わなければならないのか。弱者が弱者のまま、尊重される方法はないのか。そう、主張してきたはずである。(81ページ、『老いる準備』[上野,2005] からの引用として)
これを敷衍しつつ上野氏は、健康寿命の延伸、「ピンピンコロリ」という理想、認知症への恐怖、介護にまつわる罪悪感、さらには安楽死や尊厳死の問題まで、この社会の「老い」に通底するアンチエイジングの風潮に痛烈な批判を加えています。いわく「生きるのに、遠慮はいらない」。あるいは「人間、役に立たなきゃ、生きてちゃ、いかんか」。いくつになっても前向きにポジティブに生きる姿勢を失わず、「死ぬまで成長を続ける(ことに価値がある)というこの高齢者観こそ、エイジズム*1と呼ぶべきではないのか」と。
高齢者がフレイル期間を他者の助けを得ながらも生きながらえることができるようになったのは、くりかえすが、栄養水準、衛生水準、医療水準、介護水準の高まり、すなわち文明社会のたまものである。過去の人々が希求してやまなかったものを手に入れたことを、なぜ、わたしたちは寿ぐことができないのだろう。わたしたちに必要なのは、生かしてもらえる命を最後まで行き切る思想ではないのか。(226ページ)
老いに抗おうとする「アンチエイジング」という考え方こそがエイジズムだというわけですね。これは図書館で借りた本ですが、改めて書店で購入して手元に長く置き、折に触れて読み返したいと思いました。ただ私は、老いて他人の世話になりながらも生きていていい、それが肯定される社会を築くべき、自死や安楽死・尊厳死などもってのほかという主張にほとんど、いや、99%まで同意しながら、どこかで「でも……」という気持ちが湧き上がってくることにも気づきました。
実際に自分がそのようなQOLが著しく下がっていく状態になったときに、ほんとうにそれを受け入れることができるだろうかと、まだ自分で自分が信用できないのです。単に想像力がそこまで及ばないからかもしれませんが、私には「生かしてもらえる命を最後まで行き切る」という姿勢もまた、下手をすればアンチエイジングと同じような一種の「救いのなさ」に収斂してしまうような気がしてしまいます。
じゃあ、どうするのか。この本と同じ頃に別の図書館で借りて読んだ宮田昇氏の『図書館に通う』には、偶然にも老齢期の自死について触れた章があって、私はそこで紹介されている何人かの老齢者(いずれも男性)の自死による最期について強い拒否感を抱きながらも、わずかにどこかで共感している自分を発見してしまいました。
上野氏が「あとがき」でおっしゃる「『死ぬに死ねない』超高齢社会を生きるわたしたちにとって、『死ぬための思想』よりは『生き延びるための思想』がなんとしても必要なのだ」には大いに共感するのに、それだけでは割り切れないものが自分の中に残っているというのもまた正直なところで。
ともあれ、それを考え続けることがとりあえずいまの自分には必要ーーということで、上野氏の本で紹介されていた何冊かの本をまた図書館で借りて読み始めたところです。
*1:年齢差別、高齢者差別。
