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ふたたび「SNSから降りる」

先日オーストラリアで、16歳未満のSNS利用を禁止する法律が世界で初めて施行されました。対象となったSNSは、X、FacebookInstagramYouTubeTikTok、Snapchat、Threads、Reddit、Kick、Twitchだそうです。私は最後のふたつを除くと、いずれもかつてアカウントを持っていたか、閲覧したことがあります。

www.bbc.com

ただし私は現在、いろいろと思うところあってYouTube以外のすべてから「降り」てしまっているので、ある種の共感を持ってこのニュースに接しました。子どもたちがこうしたSNSに耽溺するのは、たしかによくない。でもこのニュースを元にして、外国人留学生と日本語の会話練習をしてみたら、とても考えさせられる意見をもらいました。

いわく、SNSはサービスによって特徴が違うので、一律に利用を禁止するのはあまり意味がないのではないか。たとえば日本でもポピュラーなX、FacebookInstagramYouTubeTikTokは、それぞれに特徴が違います。Xはどちらかというとテキストがメインですし、FacebookInstagramは写真が、YouTubeは動画が、そしてTikTokはショート動画……ようするに、ひとくちにSNSと言っても、利用のされ方はずいぶん違うんだから、一律に規制するのは粗雑にすぎるんじゃないかというんですね。

ある台湾の留学生は、FacebookInstagramは友人の近況を知るためだけに使い、ショート動画は時間の無駄だからまったく見ず、Xの代わりにPlurkを情報収集用に使っていると言っていました。Plurkはプラットフォーム側からのアルゴリズム操作が比較的効きにくい仕組みになっていて、Xよりはエコーチェンバーやフィルターバブルの弊害が少ないと判断して使っているのだそう。

なるほど、この留学生のように、利害得失をじゅうぶんに見極めたうえで抑制的にSNSを使うというのが、いちばん現実的な道なのかもしれません。ものごとをとかくAll or Nothingで片づけてしまいがちな私のように振る舞うのではなくて。先日読んだ、ヨハン・ノルベリ氏の『資本主義が人類最高の発明である』には、こんな一節がありました。

人々がオンラインのフィルターバブルに囚われているという話は大量にある。だが人々は、実は以前よりずっと反対意見にもさらされている。というのもある側面では自分と同じ意見をもつ人が、必ずしも他の分野でも同意見とは限らないからだ。
反対意見からどれほど人が孤立しているかという指数を見ると、新聞を読む人々は、オンラインでニュースを読む人々より少し孤立していることがわかるが、職場やご近所や家族は、それ以上に均質化された意見のバブルなのだ。最悪のエコーチェンバーは、みなさんのご家庭の食卓なのだ。(202ページ)

つまり、SNSで人間関係のインターフェイスがそれまでとは比べ物にならないくらい広がったことで、多様な意見に接するチャンスも当然ながら増えたーーたとえそこにエコーチェンバーやフィルターバブルの弊害を織り込んだとしてもーーというわけです。


資本主義が人類最高の発明である

私個人は、たしかにSNSの黎明期にはそういう利点を実感できたものの、その後は「メタクソ化」の一途をたどっていまに至るという認識です。なおかつSNSに耽溺することでアテンション・エコノミーに絡め取られ、自分の時間や集中力がどんどん奪われていくことに危機感を覚えてほとんどのSNSから降りたわけですが、ただ、だからといって自分が世の中を以前より正しく認識できているなどとうぬぼれてはいけないな、とは思いました。

この本は、ありとあらゆるデータを駆使して、「資本主義はベストじゃないけれど、歴史を振り返ってみればこのほうがまだマシだったでしょう?」と資本主義が作り出してきた現在の社会のありよう(グローバル経済と自由市場、そして経済成長)を強く肯定するものです。さらには『21世紀の資本』のトマ・ピケティも『ブルシット・ジョブ』のデヴィッド・グレーバーも一刀両断していて、鼻息が荒いです。

私など、ほとんどすべてのSNSから降り、GAFAMの諸サービスからできるだけ距離を取って(あまり成功していないけれど)暮らしをあえて「不便」にすることで「テクノ封建制」の農奴たる自分を解き放とうなどとこのブログでも夢想してきました。でも、こうやって「このほうがまだマシだったでしょう?」と言われれば、それは認めざるを得ません。自分の子供の頃を振り返っても、たしかに世の中はずいぶん良くなりました。資本主義社会のもとで。

ただ、それでもーー。もうこれくらいでいいんじゃない? と何かから「降りる」姿勢も人間には必要ではないかという思いが、この本を読んでいる間じゅう頭から去りませんでした。これはたんに私が人生の終盤にさしかかっているから、だけなのかもしれませんが。

蛇足ながら、くだんの台湾留学生に触発されて、私もPlurkにアカウントを作りかけました。でもやっぱりやめました。SNSから降りて以降の暮らしがとても心穏やかになった実感があるのに加えて、家計の収支が劇的に好転した(支出が減った)からです。もちろん個人差はあると思いますが、以前の私がいかにアテンション・エコノミーに引っ張られて無駄遣いをしていたか、ということでしょうね、これは。




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