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メメント・ヴィータ

最初に藤原新也氏の本を読んだのは美大生の時でした。グラフィックデザインと写真が専攻の友人からおすすめされたのがきっかけだったと思います。『印度放浪』、『西蔵放浪』、『逍遥遊記』、『全東洋街道』、『東京漂流』あたりを渉猟し、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」で有名になった『メメント・モリ』と、そのあとに出た『乳の海』あたりまでは読んだ記憶があります。

そのあと私は美術に興味を失って(というか己の才能のなさに打ちひしがれて)熊本県水俣市で農業の真似事みたいなことを始めたのですが、それ以降は藤原氏の作品とは縁遠くなってしまっていました。後年、中国に留学した際、新疆ウイグル自治区からパミール高原を超えてパキスタンフンザまで行ったときに、この後インドにも行きたいなと思って突然藤原氏の本を思い出しましたが、結局再読もせず、インドにも行けずじまいでした。むしろその頃は沢木耕太郎氏の『深夜特急』にハマっていたと思います。

数年前に世田谷美術館で写真展が開かれたときにも気になっていましたが、これにも足を運ばないまま。ところが最近になって区立図書館に最新刊の『メメントヴィータ』が配架されていたので、久しぶりに氏のご本を読みました。そして、かつて読んだ時にはまったく意識も予想もしていなかったところで、いろいろな「ご縁」(こちらからの勝手なご縁ですが)をこの本に感じました。


メメント・ヴィータ

この本はコロナ禍以降に藤原氏が始められたポッドキャストでの配信をもとに構成されていて、ご自身のルーツから、お仕事のことから、もちろん話題となり時にセンセーションを巻き起こした数々の写真作品のこと……種々のエピソードが語られています。氏は北九州の門司のご出身とのことで、まずはこれが、実家が小倉にある私が勝手にご縁を感じたひとつめ。

オウム真理教統一教会、ロシアや北朝鮮まで話が広がる、書名を冠した巻末の一章「メメントヴィータ」は圧巻でした。麻原彰晃水俣病の関連を疑った一連の推察はすでに2006年刊の『黄泉の犬』で披瀝されていたものらしい(私は上述したように未読でした)ですが、自分も水俣に住み一時期は水俣病に関わっていたことがあったので、それが勝手にご縁を感じたふたつめ。

それからこの本には現代時評とでも呼ぶべき様々な発言も収められていますが、その多くがいま現在の自分の考え方や感性にとても近くて共感した、というのが勝手にご縁を感じたみっつめ。『乳の海』以降、もっと氏の本を読み継いできていればよかったな。これから過去の作品も図書館で探して読もうと思っています。『メメントヴィータ』に収められている、時事批評にあたる文章のなかで、いいなと思って付箋を貼ったうちからいくつか。

ひょっとしたら十万個の「いいね」は一つのハグより弱いものかもしれないと思ったりします。ハグというのは単純に他者の愛という意味だけど、そういう愛情に巡り会えば、もしかすると十万個のいいねなんかは吹っ飛んでしまうかもしれないと、そんな風に思うわけです。(174ページ)

この項では、スマホにカメラが搭載され、それがSNSの「映える」写真を撮る目的で爆発的に使われるようになった時代を背景に「かつて写真を撮る行為は、他者を撮る、つまり目の前の世界との関係性を持つ行為だったわけですが、スマホ時代の写真からは突然、この他者が消えてしまうんです」とおっしゃっています。同感です。かつてSNSに耽溺していた(今はすべてやめました)自分もそうでしたが、写真を撮る行為はもはやSNSなどネットで自分をアピールするためと言い切れてしまうかもしれません。

生活がギリギリで崖っぷちに立っていると、人は保守化する傾向が生じる。よく若者が保守化しているというけれど、これは思想的な保守化じゃなくて、崖っぷちに立っているものだから変化が怖いんです。何か少しでも変化すると崖から落ちてしまうんじゃないかという恐れがあるから現状維持せざるを得ない、保身的な意味での保守化だと僕は思う。(179ページ)

これも同感です。最近若い世代の保守化がよく言挙げされますけど、お若い方々だけでなく、昨今の高市政権の支持率などを見ていても、これは貧困化の度合いが一定程度以上に上がってきたからじゃないかと。金銭的にもですけど、精神的にも。外国人排斥だって世界の現実を知りもせず、知ろうともせず、とにかくいまのこの小さな精神的テリトリーに引きこもっていたいという心性の現れのような気がします。

そのときに僕が思ったのは、このオリンピックっていうのは、風景を殺し、文化を殺し、人すら殺してしまうんだなということ。初めてそこで、オリンピックというものが別の意味で頭の中に入ってきたんですね。
(中略)
そういう意味では、あちこちの国でオリンピックを開くということは、その国の持っていた土着的な美しい風景だとか人の心だとかが、このわずか一ヶ月ほどのイベントのためにずたずたに壊されてしまうということでもあるんですね。オリンピックが世界を循環しながらどれだけ土着的な過去の文化を壊していったかを考えると、気の遠くなるような感じがします。(196ページ)

本当にねえ。私はかねてから近代五輪はもうその役割をとっくに終えているし、これ以上続けるのは害悪でしかないと言い続けてきましたが、藤原氏のこの項では、オリンピックのそのルーツにまでさかのぼって根源的な批判が展開されています。いやはや、恐れ入りました。




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