けさの東京新聞「筆洗」欄が、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本での独占放送権をNetflixが獲得した件について取り上げていました。無料の地上波などでの中継がなくなり、有料の動画配信サービスでしか見られなくなることを「衝撃である」とおっしゃっています。

私は野球に特段の興味を持たない人間なので、そうしたファン心理に想像力が働きにくく、一読「そんなものなのかなあ」と思ったのですが、よく読むとこのコラム、なかなかに危ういものが含まれていると思います。失礼ながら、ちょっと感覚が古すぎるのではないでしょうか。
コラムの最後が「国民的行事なる言葉も、いつか死語になりはしないか」と結ばれていることからすると、筆者ご自身はこの状況を憂いておられるのでしょう。でも「国民の多数が何かに同時に熱中する機会」が、そんなに良いものなのでしょうか。私はむしろ「ドラマも含め個々が好きな時に好きなものを見る時代」になったことを喜ばしく感じます。
東京新聞には「隠蔽と誇張で戦意をあおった大本営とメディア 東京新聞の報道責任」という特集ページがあります。もちろん戦時中の報道姿勢と現在はまったく違いますし、私はこの特集ページにとても共感するものです。でも、けさの「筆洗」に「隠蔽」はないけれど、WBCやオリンピックなどを「国民の多数が何かに同時に熱中する機会」になぞらえるのは「誇張」ですし、国別対抗戦であるWBCやオリンピック*1を「国民的行事」と形容する感覚は、かつて「戦意をあおった」姿勢に通じるものがあるのではないかと感じてしまうのです。
みんながみんな、同じものに同じ気持ちで熱中するーーよく考えれば、それはちょっと気持ち悪いし、もはや事実でもありません。僭越ながら、そういう感覚を東京新聞の「筆洗」を書かれた編集子氏にも持っていただきたいと思いました。
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