gmailからtutamailに乗り換えることにしたので、銀行・証券会社・信販会社・ライフライン・その他さまざまなネット上のサービスに登録しているメールアドレスをすべて更新しました。数えてみたら、60あまりもありました。けっこうな量です。
これでも、この春ごろから順次使わなくなったサービスを退会し、SNSやサブスクの類もずいぶん休止してきたのです。それでもこれだけの数。あらためて現代社会ではさまざまなサービスを利用しながら暮らしが成り立っていることを実感しました。とはいえ、淡々と手続きを進めて、1日でほぼ更新が完了しました。
仕事でのメールのやりとりは、職場から指定されている gmail のアカウント(2つ)をこれからも使い続けますが、プライベートのやり取りでは gmail をほぼ使わなくてもいいようになりました。仕事の取引先や友人知人も、もはやほんの少ししかないので、そちらにメールアドレス更新のお知らせをしておしまい。
その際、Googleアカウントに残っていた「連絡先」を整理したのですが、ここには何百もの名前や会社名などが入っていました。gmail を使い始めたのは2007年ごろでしたから、それからおよそ20年の間にメールをやり取りしたことのある方々がずらっと並んでいるのです。懐かしいお名前もたくさんあったけど、そのほとんどの方とは今ではもう没交渉になっています。
それで、もう何年も連絡を取っていないし、今後も取ることはないだろうと思われる連絡先を削除していったら、手元にはほんの少ししか残りませんでした。もともと人見知りで人づきあいが極端に悪い私ではありますが、結局のところ自分の交友範囲なんてこれくらいのものなんです。SNSの勃興からこちら、「つながる」ことがやたらに称揚されて来ましたけど、あれは一体何だったんだ……と、ちょっとしみじみとしてしまいました。やだ、なんだか「終活」っぽくなってきちゃったじゃない。

でも、トルストイじゃないけど「人にはどれほどの『つながり』がいるか」とあらためて自分に問うてみたら、そんなにいらないし持つ必要もない、というのが自分にいちばんしっくりくる答えでした。もちろん人によっては、誰かとつながることにこそ生きる意味を見いだせるという方もいるでしょうけど、私はそういうタイプの人間じゃなかった。なのになぜか「つながりこそ善」とばかりに焦っていた頃があったのです。あれは何だったのかなあ。
メールアドレスを変えると各種サービスへのログインにも影響が及ぶのですが、私はこれを機にGoogleの「パスワードマネージャー」から旧アドレスで紐づいていたパスワードをすべて削除し、あわせてパスワードマネージャーの利用そのものもやめました。ログインの都度、メールアドレスとパスワードを入力するのは不便になりますが、その不便をこそもう少し取り戻してみようという試みなのです。
ところで、昨日初めて知ったのですが、世間にはもうずいぶん前から“DeGoogle(脱グーグル)”という言葉や運動があったのですね。
最近読み終えた、ニコラス・G・カー氏の『ウェブに夢見るバカ』には、氏がかつてTwitterに書き込んだというこんな至言が載っていました。
グーグルはわたしたちを検索する。
この本にはGoogleをはじめとするさまざまなウェブサービスがどんな変容(しかも、我々にとっては好ましくない方向への)を遂げてきたかがわかる、2005年から2015年までの10年間にわたる論考が収められています。私など、いまになってようやく「Google封土」から抜け出す試みを始め、DeGoogleという言葉を知ったわけですが、もう10年も20年も前から疑問を抱き、警鐘を鳴らし始めていた人はいたのです。

ウェブに夢見るバカ ―ネットで頭がいっぱいの人のための96章―
しつこいようですけど、『ネット・バカ』、『オートメーション・バカ』に引き続いて、この日本語版書名はいただけません。こんなに示唆に富む良書なのに、手に取る人にはなんだか薄っぺらい時事批評みたいに受け取られそうです。これも職場の図書館で借りましたが、例によって図書館がこの本を購入してから10年、誰も借りた人がいませんでした。
原題は“UTOPIA IS CREEPY and Other Provocations”で、「訳者あとがき」には「薄気味悪いユートピア」とありました。これに日本語版の副題「ネットで頭がいっぱいの人のための96章」をつけたほうがまだよかったのではないでしょうか。
ちなみに「訳者あとがき」では、ニコラス・G・カー氏が本書について「願わくば、主流とは異なる多彩なものが生まれるきっかけになって欲しい」と書いている、と紹介されていました。心から同感ですし、DeGoogle運動もそう願う人たちから生まれてきたのだろうと思いました。