職場の学校では毎年この時期、同時通訳の実習が行われます。二年間通訳や翻訳を学んできた留学生が、その総仕上げとして日本語の講演会を英語と中国語に同時通訳するというものです。会場は同時通訳ブースつきの大きな会議室。講演会の講師は外部からお呼びすることもあるのですが、今年は僭越ながら私が講師役を仰せつかりました。英語も中国語もわからない日本人が話すという設定で、講演後の質疑応答まで含めて留学生のみなさんが訳してくれます。
講演のテーマは「カズオ・イシグロとイングランド」にしました。私は英国の作家カズオ・イシグロ氏の小説『日の名残り』が好きで、昨年の夏にその小説の舞台となっている南西イングランドを「聖地巡礼」してきたので、その時のことをイシグロ作品の解題とともに語ってみようと。


以前このブログにも書いたことがありますが、英国のとあるお屋敷付き執事である主人公のスティーブンスによる、年老いた現在と若かりし過去のストーリーが輻輳しながら進むこの作品。タイトルの『日の名残り(The Remains of the Day)』に込められた人生の黄昏、そこにオーバーラップする英国貴族と「大英帝国」の凋落、その先にそれでも見出すことのできる穏やかな未来……スティーブンスと同年代に至った私にとってはいろいろと考えさせられる作品なのです。


通訳業務は「予習が九割」なので、170ページあまりにおよぶ大量のスライド資料を作って事前に配りました。そうした大量の予習資料をいかに効率よく捌いて「本番」に備えるかも実習の教案に盛り込まれています。お若い留学生のみなさんがこのテーマにどれだけ興味を持ってくれるか不安でしたが、みなさんとてもよく予習に力を入れて、当日は素晴らしい通訳をしてくれました。それは講演後の質疑応答時に時間が足りなくなるほど会場から手が上がったことからも分かります。みなさん、本当におつかれさまでした。

思い返せば、初めて人前で講演らしきものをしたのは、熊本県の水俣市で水俣病関係のNPOに勤めていたころ、ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』について、学校教員のセミナーみたいな催しで説明したときでした。何日も前からとても緊張していて、当時のパートナーを前に何度もリハーサルをしたことを覚えています。
その時は、講演の後から聴衆のお一人に「若いあなたが一所懸命に話しているというそれだけでも伝わってくるものがあった」と言われました。講演としてはあまりにも拙かったということだと思います。
それから幾星霜、ひょんなことから通訳者になり、さらには教師と呼ばれる立場になって、言ってみれば人前で話すことが生業のようになりました。一時間なら一時間、二時間なら二時間で話をまとめることができるようになりましたし、講演原稿は作らずに簡単な箇条書きや時間配分のメモ程度で話すことができるようにもなりました。とはいえ、もともと「コミュ障かつ出不精」な人間なので、いまでも授業などで話し始める前は緊張しています。
それが今回の講演では、話し始めるときも話しているときも、まったく緊張しませんでした。たぶんここまで緊張しなかったのは初めてだと思います。最初に人前で話す経験をしてから三十数年を経て、ようやく落ち着いて話すことができるようになった。これは新しい気づきでした。『日の名残り』でも語られているように、人生は「夕方が一日でいちばんいい時間」なのかもしれません。


