ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』に「芝生小史」と名づけられた一節があって、そこにはこんな記述があります。
個人の住宅や公共の建物の入口前に芝生を育てるという発想は、中世後期にフランスやイギリスの貴族の城館で誕生した。そして近代初期に、この習慣は深く根を下ろし、貴族階級の象徴となった。
なるほど、芝生を作ってそれを維持するためには途方もない手間ひまがかかります。しかも芝生はただ「芝生なだけ」であって、花も咲いていなければ野菜も育てておらず、家畜を飼うこともできません(ペットが走り回るくらいはできるでしょうけど)。つまり芝生は、それだけお金と時間に余裕があることを示す「ステータスシンボル」なんですね。ハラリ氏は「人類は、芝生を政治権力や社会的地位や経済的豊かさと同一視するようになった」と書いています。
先般旅をしたイングランドでも、さまざまな場所できれいに手入れがされた芝生を見かけました。個人の住宅からかつての貴族の邸宅、あるいは公園や教会や学校にいたるまで、ありとあらゆるところに緑のじゅうたんが広がっていました。私などそれはそれで「美しいなあ」と思ってしまうのですが、そのイングランドで、かつて芝生を敷きつめた庭とは真逆の庭を作っていた人がいました。画家、作家、舞台美術家にして映画監督でもあった、デレク・ジャーマンです。
デレク・ジャーマンといえば、学生時代に映画を見た覚えがあります。確か『テンペスト』と『カラヴァッジョ』だったと思いますが、いずれも耽美的で幻想的な映像が印象に残っているものの、かなり難解だったという記憶があります。その氏がHIV感染症にかかって早すぎる死を迎えるまでの晩年に、園芸家としていくつかの本を出していたことを最近になって知りました。
そのひとつで、没後30年を記念してデジタルリマスターされた写真と新しい翻訳で復刊された『デレク・ジャーマンの庭』を読みました。イングランド南東部、ダンジネス原子力発電所にほど近い玉砂利ばかりの荒涼とした海岸地域で、漁師小屋を買い取って独特の庭造りを始めたデレク・ジャーマンの言葉と、友人で写真家のハワード・スーリーによる写真で構成されている本です。
ダンジネスには芝生が生えないからいい。最悪の芝生ーーはっきり言えばもっとも醜悪な庭ーーは、クロースやクレセントといったベクスヒルの海岸沿いにある。(中略)芝生は自然に逆らうもので、殺風景で、多くは凡庸で、つまりはよき庭の敵であるように思える。芝刈りと同じ労力で1年分の野菜を収穫できるのだ。
英国社会のステータスシンボルとしての芝生に真っ向から異を唱えるデレク・ジャーマンの厳しい言葉。でもその言葉の厳しさとはうらはらに、この本に収められた庭とそこに育つ多種多様な草花たちのなんと優しく美しいことか。これは長く手元に置いて、くりかえし眺めるに足る一冊です。英語の原著と同じデザインのカバーを外すと、紺色のクロース装で背に文字が金箔押しされていて、どことなく「卒業アルバム」みたいな作り。

photo © Howard Sooley
In pictures: Exploring Derek Jarman's garden - Art Fund
デレク・ジャーマンが晩年庭造りにいそしんだ小屋 “Prospect Cottage” は、没後その「遺産」に心惹かれた人たちによって資金集めが行われ、現在は見学ができる施設として運営されているようです。次にイングランドを訪れる機会があったら、ぜひ見学に行ってみたいと思います。
