オンライン英会話で、英国人のチューターさんにレッスンを受けるとき、英国のトピックを話すことがあります。まだ英国には行ったことがありません、いちど行ってみたいです、都会は苦手なので車を借りて田舎をめぐりたいです、スコットランドの湖水地方なんかいいですね……みたいな。
そんなとき私はかならず、カズオ・イシグロの小説が好きで、なかでもいちばんの愛読書は“Remains of the day(日の名残り)”で、いつか主人公スティーブンスが車でたどった道のりを聖地巡礼よろしく訪ねてみたい……てなことを話すのですが、おもしろいのは英国人のチューターさんのほとんどがカズオ・イシグロとその作品を知らないということです。
カズオ・イシグロという名前の発音が聞き慣れないということもあるんでしょうし、そもそも私の発音が悪すぎて聞き取ってもらえてないという可能性もじゅうぶんにあります。とはいっても、かりにも英国人で、ブッカー賞に加えてノーベル文学賞までおくられている作家なのに、当の英国人にはほとんど知られていないのかなと。
これまで少なくとも十数人ほどの英国人チューターさんにこの話をしましたけど、知っていた方はおひとりだけでした。それもアンソニー・ホプキンス主演の映画をご存知だっただけで、原作は知らなかったって。なかにはその場でネットを検索して「へえ、ノーベル文学賞? すごそうな作家だね!」とおどろく方も。

Kazuo Ishiguro (Writers and Their Work)
でもこれ、そんなに不思議な話でもないのかなと思い直しました。まず、みんながみんな文学に興味があるわけじゃありません。それにノーベル文学賞といったって、じゃあ日本人がみんな川端康成や大江健三郎の名前や作品をよく知っているかといえば、ちょっと微妙なところじゃないでしょうか。そもそもノーベル賞自体にこれだけ毎年さわぐ、それも自国の受賞者の有無にばかりフォーカスするというのも日本ならではなのかもしれません。
あと、カズオ・イシグロ氏が日本にルーツをお持ちだということで、日本ではことさら大きくとりあげるというか、ありがたがる(?)傾向があることも否めないような気がします。れっきとした英国人であるにも関わらず、まるで日本人が受賞したかのような語り口も、氏の受賞当時にはマスコミで散見されました。総じてなにかこう、ナショナリズムに酔っている雰囲気を感じます。
蛇足ながら、ここのところ連日マスコミをにぎわせているパリ五輪にも同じような傾向を感じます。先般の東京五輪で、経費の膨張やコロナ禍下での開催、贈収賄に競技施設の赤字収支など、これだけすったもんだし続けてきた挙げ句の「負のレガシー」満載だというのに、なんでまだこんなにもオリパラに夢中で、無邪気に「日本の獲得メダル数は……」などと騒げるのかなあ。
しかもこれまた興味深いことにこの五輪、つまりオリンピックやパラリンピックも、欧米のチューターさんには「あんまり興味ない」という方がけっこう多いんですよね。