以下の内容はhttps://qianchong.hatenablog.com/entry/2024/07/05/104439より取得しました。


「本来の呼び名が尊重されるべき」について

けさの朝日新聞天声人語」に、蘇州の日本人学校の送迎バスで、刃物を持った男に襲われた子どもたちを守ろうとして亡くなった胡友平氏に関連して、名前の読み方についての考察が載っていました。「人は誰でも、その本来の呼び名が尊重されるべきだろう」。胡氏に敬意を表する気持ちは私もまったく同じですが、仮に「フー・ヨウピン」さんとお呼びしたとしても「その本来の呼び名が尊重」されたとは言えないかもしれない、と考えました。

この件、つまりチャイニーズの名前の呼び方については多くの方がさまざまな意見を述べておられて、かくいう私も以前こんな記事を書いたことがあります。

qianchong.hatenablog.com

このときにも書きましたが、私はこの「本来の呼び名が尊重されるべき」についてはどちらかというと懐疑的なんです。理由は、①日本語とは異なる中国語の母音や子音や声調をカタカナで表すのには限界があり、仮にカタカナで読んだところで正確でもないし本来の呼び名の尊重にもならない、②人名は様々な例外があり、読み方の統一は却って混乱を招くし、ほんとうの国際理解・異文化理解・異文化交流にもつながらない、③言語の違いによって異なる人名の呼び方をしているのは「日本だけ」ではない、などの理由からです。

中国語を解さない日本語母語話者であれば、多くの方が「フー・ヨウピン」さんというお名前の6つのカタカナを「高高・高低低低」というイントネーションで声に出されると思います。「フー・チンタオ(胡錦濤)」や「シー・チンピン(習近平)」などと同じように。でもこれは中国語の声調からはけっこう離れてしまっています。「フー」の母音 “u” だって日本語の「う」と「お」の中間くらいの音ですし……もちろん「こ・きんとう」よりは「フー・チンタオ」のほうがよりマシという考え方はあるかもしれませんし、へえ、中国語の発音ではそんな感じになるんだという気づきは大切かもしれませんけど。

ただ私は、お互いが漢字を共有していても、いや、共有しているからこそ、それぞれの文化で異なる音が生まれ、時に面倒くさくて複雑ではあるけれど豊穣な世界を生み出していると考えたい。「本来の呼び名が尊重されるべき」という考え方の後ろには、どこか原理主義にも似た「イデオロギッシュ」なものを感じてしまいます。原音を尊重しているようでいて、その実、日本語の発音がベースになっているという点からは一歩も抜け出ていないのです。とにかく原音尊重だと斉一でポリティカル・コレクトネス的な方向に持っていきたいのは分かるけど、それは逆に思考停止に陥っているのかもしれません。もっと現実の人間の営みと諸言語が混在するこの世界の実相をそのまま受け止めたほうがいいような気がするんです。

それにこうした言語の違いによって異なる人名の呼び方をしているのは「日本だけなのだと改めて痛感」する必要もないように思います。たとえば “Rothschild” が言語や国によって「ロスチャイルド」だったり「ロートシルト」だったり「ロッチルド」だったり(このカタカナ表記だって不完全ですが)しますし、“Levi Strauss(Lévi-Strauss)” だって「レヴィストロース」だったり「リーバイストラウス」だったりします。それぞれの言語の話者が、それぞれの言語のやり方で自らを呼んだり、他者を認識したりしている。

言語をめぐる諸相はとにかく多種多様で複雑で、だから世界はおもしろい。ほんとうの国際理解・異文化理解・異文化交流とは、互いに異なり複雑な現実を踏まえつつ、受け入れ、時に清濁合わせ飲みながら落としどころを探り、他者のありようにも想像力をはたらかせることであって、気持ちよく斉一的な方向に持っていくことではないと思います。




以上の内容はhttps://qianchong.hatenablog.com/entry/2024/07/05/104439より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14