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ミュージカル「エリザベート」感想〜新生シシィの輝きと、トートの異次元の進化(2025年10月11日・シアターオーブ/明日海りお・井上芳雄)

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ミュージカル「エリザベート」開幕おめでとうございます!Wキャストの初日にうかがいました。2023年の博多座で沼落ちして以来、ついに芳雄さんのファンとしてエリザベートを観ることが叶いました!

ヒカリエ11階から雨の渋谷を見下ろし、信じられない長さのキャスボ撮影列に並び、ドレスの展示に驚いてるうちにあっというまに開演時刻です。幕が上がってみると、「そう、これが観たかったの!」という喜びと、新しいキャストを迎えたことによる新鮮味の混沌に揺さぶられ続けて、ものすごく高揚しました。わかっちゃいたけどお化け演目…!

本記事では、明日海シシィと芳雄トートについて初日の印象を書き残しておきたいと思います。自分の力不足でまだ咀嚼しきれていないところも含めて…。でも大丈夫、この旅路、まだまだ始まったばかりですから!

※意味不明なところもあるかもしれませんが、観た人の分だけ解釈があるということで…

 

 

エリザベート〜新生シシィ、鮮烈に爆誕(明日海りお)

まずは素晴らしいシシィの誕生を寿ぎたいと思います!本当に鮮烈でした🪭

 

ありのままを本当に許されていた幸せな少女時代

登場からすごくキュートでとても心をつかまれたのですが、そのポイントは幸福感じゃないかと思います。単にお転婆な少女というだけでなく、精神が健全に満たされていることが、くるくる変わる表情や親しげな振る舞いに現れて、それが魅力につながっているような気がしました。父親に対しては憧れと愛着を保ち(仲の良さの表現に少し現代的なニュアンスも感じた)、母親からは姉のヘレネとは違っていい意味で放っておかれた結果、少女期の明日海シシィは本当に幸せだったのではないでしょうか。

バートイシュルでも、ルキーニに「どうも〜☺️」と屈託なくお辞儀をしたかと思えば「鹿だ〜っ!」と駆けてゆき(ほぼガンダ)、顔の周りに飛んでいる蚊か何かを払って自分の手で潰そうとする手振りには驚かされました(なんだかこれも現代的かも)(今回共通で加わった演出かもしれませんが)。ずっと前からある演出ですがヘレネの髪飾りを直してあげるのも、「うんうんシシィってこういう優しい子なんだよね〜」と思わされたのは、少ないシーンでシシィの内面が伝わってきていたからかもしれません。

 

ちゃんと愛し合ってたしお互いの話も聞こうとしていた2人〜「あなたが側にいれば」(with 佐藤隆紀

そんなシシィを見初めて熱い愛情を注いだのが若き皇帝・フランツ。明日海シシィ初日のお相手はシュガーフランツでした。もともと誠実さの表現が好きだったところ、明日海シシィとの初顔合わせによる化学反応により、私は「あなたが側にいれば」で初めて泣いてしまいました。この曲の歌詞は、愛を語らっているように見えて実はお互いが全然話を聞いていない、つまり最初からすれ違っていたのだ、という構造がミソですが、今日このナンバーを聞いたとき、この2人、けっこうお互いの話を聞いているほうなんじゃない?と思ったのです(ちなみに観ていて「人の話を聞け!!」と思うタイプの組み合わせもすごく好きです)。真剣に関係を築こうとしていて、歌声には愛情が甘くにじみ、その後を思うと、序盤だというのに信じられないくらい泣けてしまいました。

 

怒りのインストールと感情の発露〜「私だけに」

「私だけに」は、新婚早々に姑の理不尽に憤慨し夫にも失望したシシィが「自我に目覚める」ナンバーで、タイトルロールのテーマソングとして絶対的な知名度を誇ってきました。今回お目見えした明日海シシィの「私だけに」を特徴づけるなら、それは“怒りのインストール”だと思います。のびのびと育ってきた幸福な少女が理解不能な衝撃を受けた結果、初めて備わってしまったのが“怒り”だったのです。あのまま天真爛漫に過ごせていれば、こんな感情、知る必要もなかったのに…。終盤、肩を震わせて両手をグーに握りしめる姿はファイティングポーズのようでもあり、不退転の決意を感じさせました。

そしてもう全世界にお伝えしたいのですけど、最後の「♪私にーーー」のロングトーン、本当に素晴らしかったです。華奢な体を開いてA♭のハイトーンを響かせるとき、まばゆい閃光があふれだすようでした。言ってしまえばシシィの楽曲における試金石のようなもので、きっと想像もつかないほどのプレッシャーがかかるのに、そんなことは最初から関係ない、感情の発露として圧巻の表現でした。自分でもびっくりするほど泣きました。どの立場でって感じだけど、私は無意識にみりおさんを応援したかったんだなと思って、その文脈も含めて感動しました。

 

内なる怒りに蝕まれて、生命力を失ってゆくという悲劇

個人的には「私だけに」以降、明日海シシィが何を考えているのかちょっとわかりにくくなりました。それは悪い意味ではなく、怒りをインストールされた結果、それを飼いならしながらギリギリのところで皇后として自分を律しているように見えたから。デフォルトですごく怒っているからいつどんなふうに顔を出すのか予想がつかず、例えば最後通告を書きながら筆ペンをバン!と机に叩きつけたのにビクッとしたりしました。とりなすのはもう難しい。

その感情を内に秘めていることは、強く美しい皇后としての振る舞いにも役立つ一方(例「私が踊る時」)、結果的には自分に跳ね返ってきてしまいます。2幕のシシィは出てくるたびに年代が変化しますが、明日海シシィから感じたのは老いというよりも生命力の衰えでした。コルフ島の時点ですでにメンタルはギリギリで、“気の持ちようで”幸せになれなかったことについて自分を責めているようでした。せっかく自我という花を咲かせたのにどんどん枯れていくようで、“怒り”に少しずつ自分の内面を食い破られていったのだとしたら、こんなに切ないことはありません。

 

トート〜すべてを超越していよいよ“概念”の域へ(井上芳雄

幕間から大量のpostで言語化を試みていますが、なかなかつかめない😭少なくとも確かに言えることは、2023年に博多座で観たトートとは違うぞ、ということです🪶

※11/17追記:今この印象は根底からひっくり返っています、歌がすごいのは置いておいて、本当に全然違います!また稿を改めて言語化してみたいと思います。

 

歌声の進化をトートという役にぶつけたことによるビッグバン

歌が上手いとかそういう次元ではとっくにないけれど、劇場で芳雄トートを浴びるということは、目で観て耳で聴くことではなく、音圧に完全に包囲されて産毛という産毛まで振動させられる体験なのだと解らされました(2年10か月ぶり2度目)。ちなみに私、ものすごい急角度でそこそこの距離がある3階で観ています。もう、あそこ(=ステージ)に立っている人から声が出てるとかじゃないんですよ、もはや超常現象であり怪異型のアトラクションだから…。

それでも精一杯の解析を試みると、①複雑さを増した歌声と、②ダイナミクス・レンジの広がりと、③休符の活用あたりが関係ありそうです。①は韓国でのレッスンの成果なのかなぁ、今まで含まれなかった成分が入っているというか、いろんな音が混じっている感じがするし、②はもともとすごいけどさらに広がっている気がします(ppp〜fffみたいな)。そして③は、しっかり伸ばせば伸ばすほどアピールできそうなところ、あえて短くまとめる箇所を作ってメリハリにつなげているのかなと思います。以上すべて自信のない書き方をしていますが、それもそのはず、私自身、2025年の井上芳雄の歌声はたくさん現場で聴いてきた自覚があるからです。1日1日積み重ねてきた進化をトートという役にぶつけたとき、いろんなことがビッグバンみたいに起こっているということなのでしょうか…。

またさらに想像ですが、芳雄トートは今回はある程度しっかりと体格を保ったまま公演に挑んでいるように見えていて、それも声の厚みに寄与しているのでは、とにらんでいます(前回はすごく節制されていたので)。風格と威厳があるし、明日海シシィの華奢さも引き立っていて、今回のビジュも大好きです。

→10/17追記。本当にごめんなさい、ダイエットされていたとのこと(ミューのレポで拝見しました)。圧倒的な迫力と威厳がそう見せたのかなぁと思っています…。土下座。

 

概念として板の上に現れたり消えたりすること

お芝居でも明確な変化がみられ、一言でいえば初日の感想は「怖い」でした。なんかもう「概念」になってしまい、閣下が何を考えているのかまったくわからなかったです。

考えてみればトートというキャラクターは最初から「死」という概念の擬人化だったわけで、でも今回はその擬人化すらも一回やめてしまった感じ。例えば「圧力」「波動」「執念の凝集」そのものが板の上に現れたり消えたりするように現実感がなく、閣下のまわりだけ空気が重たいから、かきわける腕の動きが常にゆっっっくりになる。重厚感と浮遊感がなぜか両立してしまう矛盾がそこにありました。

個人的に2023年のトートで好きだったことは「人の心がない」ことだったのだけど、2023年の配信回で長女を喪って慟哭するシシィにとんでもない煽りフェイスを向けていたこととかは(ちょっぴり嗜虐的)、少なくとも今回の初日では再現されませんでした。表情筋の動きも少しゆっくりになり、制御の方針を変えたような気がしています。そもそも今回は人の心がないどころか概念になっちゃったのだから、表情や仕草から心情や思考を読み解こうとしてもやるだけ無駄です。それでいて、「最後のダンス」の手加減なしの威圧や「闇が広がる」の“足ドン”などの表現は非常に暴力的で、客席で「怖い」と思っても許してもらえないだろうか…と思っているところです。こんな存在に、人間が立ち向かえるはずがない。客席にいるというのに、人間でいることへの絶望が深まります。

 

「執着」を「愛」と呼んでみる哀しさ

このように「何を考えているのかわからない」芳雄トートの怖さは、うっかり見つかってしまったシシィの不運を際立たせます(ストーカーされるというよりシンプルに取り憑かれているようなもの)。私は芳雄さんがヒロインと初めて出会って恋に落ちるときの表現が大好きなのですが(cf.MR!のクリスチャン)、「愛と死の輪舞」ではそれが強く感じられるわけではないように思います。結局のところ閣下自身にもよくわかっておらず、執着をたぎらせてシシィの周りを徘徊することを、とりあえず「愛」と呼んでみただけなのかもしれません。

だから「愛のテーマ」も、成就の喜びを束の間でも味わえばいいものを、愛の返し方がわからない哀しい存在に見えました。2023年の公演ではシシィを抱きしめ返すのをためらっていたのが芝居のポイントになっていましたが、今回は一応は抱きしめて髪の毛を撫でるものの、ぎこちなくて何か下手。そして衝撃だったのは、シシィを失ったあと、表情筋がわずかに弛緩して、目から感情のようなものが消えて無の表情になったことでした。2023年の前楽で最後に写った、後悔、驚愕、絶望のないまぜになった人間くさい表情が好きだっただけに、シシィという存在をアンインストールするかのように表情が消えていったことに驚かされました。イノセントな輝きを放ちながら芳雄トートの唇に優しく口付けた明日海シシィと、独特の対比を描いていたように思います。

 

 

カーテンコールでは、明日海さんは共演者への感謝とリスペクトをはっきりと口にし、芳雄さんも「先人たちの礎の上にいる」という表現で過去の出演者たちに敬意を示していたのが印象的でした(←ゴリゴリの初演キャスト)。

トリプルカテコでは新衣装のロングジャケットの裏地の装飾を見せつけ、舞台奥に明日海シシィをエスコートしたあと、両手を大きく広げてハグを促した芳雄さん。やっと愛を感じ取ることができました。あれはきっとお兄ちゃんとしての労いと称賛。心がじんわりしました。

まだなかなか取っ掛かりを見つけることができませんが、間違いなく過去最高を叩き出している芳雄トートに、公演を観られる限り、精一杯食らいついてみます。そして望海シシィ、古川トートをはじめ、他のキャストとの出会いも心に刻んでいきたいと思います…!

 

🐟🪽(そして魚の骨を偲んでます)

 

 




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