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ミュージカル「二都物語」考察〜革命のスネアドラム(史実と原作から太鼓の音を探した話)

ミュージカル「二都物語」では、さまざまな楽曲にスネアドラム(またはタム※)が印象的に使われていました。私はその音色、特に物語を牽引する「語り」にすごく心を惹かれていて、途中から太鼓の音について真剣に考えるようになりました。もともと鍵盤や管楽器をやっていた自分が、それらを差し置いてここまでドラムの音に執心したのは初めてです。

「そもそも、このミュージカルでスネアドラムが多用されているのには、何か意味があるんじゃない?」

この記事は、そんな好奇心をもとに史実について調べたり、原作小説『二都物語』に立ち返って考えてみたりした、ちょっとした考察です。革命期のパリに鳴り響いていた太鼓の音を探す旅に、よかったらおつきあいください(両手にバチを握りしめつつ)。

 

 

ミュージカルナンバーの中のスネアドラム

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7/12マチネ終わりに近くの美容室に行ってたらゲリラ豪雨に(前楽のソワレ上演中の時間でした)

 

響き線をオフにした音

そもそもスネアドラムは全く珍しい楽器ではなく、この方向性であれば正直なところレミゼの「民衆の歌」の存在が圧倒的です。それではなぜ「二都物語」のスネアに心惹かれるのか、ひとつの仮説としてスナッピー(響き線)をオフにした音を効果的に使っているから、というのを挙げてみます。いわゆるスネアの音というのはスナッピーのざらつきのある音なので、オフにしたときの「トン」というクリアな音は少し目立つからです。

1幕ラスト:『♪おやすみ〜子どもたち(Little One)』から『♪明日が今日に(Untill Tomorrow)』まで

ロンドンでリトルルーシーを寝かしつけたカートンが歌う優しいソロが、海を超えてパリの民衆にリレーされ、革命前夜の大合唱になります。パリでガスパール少年を弔う歌声に重なる「♪トン・トトトン」という音が、響き線をオフにしたスネアドラム(またはタム)です。この歌が合唱になるタイミングで響き線がオンに切り替わることで、勇壮な雰囲気が生まれ、蜂起の決意がほのめかされます。

 

2幕ラスト:『♪フィナーレ(Finale)』

一方こちらは、最終盤のシーンです。フィナーレのイントロが始まり、21番の「ガロン侯爵夫人とその子ども」が呼ばれます。このとき、美しいメロディに合わせて響き線をオフにしたスネアドラム(またはタム)が「♪トン・トトトン・トトトトトン」と鳴っています。とても静かなイントロで、ギロチンへと向かう母娘や、彼らを見送るカートンとお針子の胸の鼓動を思わせる音です。このあとカートンが「ずっと僕を見てるんだ。他のことは気にしないで」と励ますことで、デュエットが始まります。この時点でのお針子は強い不安を抱えており、鼓動のイメージはぴったりだと言えます。

 

見世物という記号〜SEとしてのドラムロール

一方、このときにギロチンの音を表現していたのがドラムロールのSEでした。ギロチンを模したセットが最初に登場するシーンでは、『♪The Way It Out to Be(あるべき姿)』のアンダースコアに続いて、空間を切り裂くスポットライトとドラムロールによって、ギロチンの刃が落ちることが表現されます(生演奏ではなくてSE)。私はこの演出を目の当たりにしたとき、強いショックを受けました。ギロチンのセットは抽象化されていたにもかかわらず、あまりにもあからさまで、グロテスクだと感じたからです。

ドラムロールは本来、何かが起こる前に観客の注意を引き付けて“盛り上げる”ために使われます(サーカスとかを想像するとわかりやすい)。1792年にギロチンが誕生して以降、革命における処刑は革命広場(現・コンコルド広場)などで行われ、その様子は、詰めかけた民衆に晒されていました。やはり見世物という側面があり、私がグロテスクだと感じたのは、そのニュアンスを感じ取ったからかもしれません。ちなみにこのドラムロールはBW版スクリプトでも明記されているので*1、おそらくBW初演から受け継がれているのではないかと思います。

以上、特徴的なナンバーとSEについて振り返りました。本作では他にも『♪The Way It Out to Be(あるべき姿)』や『♪Untill Tomorrow(明日が今日に)』、『♪Everything Stays the Same(何も変わらない)』などでスネアドラムが活躍しています。Untill Tomorrowはカーテンコールでも使用されており(大好き!)、本作でのスネアドラムの音を聴くことができる貴重な動画が公式で残っています。


www.youtube.com

※スネアドラムなのかタムなのかについて:私はずっとこれらの音色を響き線をオフにしたスネアドラムだと思っていたのですが、今になって、BW版音源を聞き直して、もしかしてタムでは…?という気もしています。なんということだ。しかし、打楽器に対する私の知見が圧倒的に足りず(YouTubeでいろいろな試奏を聴き比べたけどわからない)、また今となっては確認のしようがないことから、完全にお手上げです。記憶ではクラシカルでまろやかな音だったから、スネアだと思うんだけどなぁ…。でもBW版と東宝のオケはかなり演奏のニュアンスが異なるので、この記事はスネアドラム(仮)ということにして書き進めます。違ったら本当にすみません!

 

↓勉強になりました🙏

www2.nhk.or.jp

 

フランス革命の史実にみる太鼓

私が次に気になったのが、フランス革命の頃に、太鼓って実際に使われていたの?」という疑問です。そこで、フランス革命に関する本、または音楽史の本の17世紀末あたりの箇所で「太鼓」の2文字を探しまくることにしました(あと、太鼓の本も読んだ←直球)。以下、その成果に基づいて、太鼓の音を探っていきたいと思います。

 

革命歌と「ラ・マルセイエーズ

スネアドラム(小太鼓)の原型は、中世ヨーロッパで使われていた「テーバー」という名前の太鼓でした。イスラム圏から伝来した太鼓がテーバーとなり*2、西ヨーロッパの軍楽隊に取り入れられ、18世紀になるとオーケストラでも使われるようになりました(最初期の例は1706年、フランスの作曲家マレーによるとのこと。文献4)。つまり、1789年以降のフランス革命期には、小太鼓(スネアドラム)は楽器として存在していたことになります。のちにフランス国歌となったラ・マルセイエーズは1792年に作曲されましたが、この楽譜の挿絵には軍楽隊の行進の様子が描かれていて、隊列の中で太鼓を叩く鼓手の姿を見つけることができます。

革命期にはたくさんの軍歌や革命歌が生み出されました。これらの音楽の役割は、プロパガンダ統率でした(この代表曲が「ラ・マルセイエーズ」)。愛国心を鼓舞し、武力行使の足並みを揃えさせるためには、高尚すぎない単純でわかりやすい音楽と、はっきりした太鼓のリズムが必要だったということです。人心をまとめるために度々開かれた「革命祭典」でも音楽は活用され、例えばバスティーユ襲撃1周年を記念して催された連盟祭(1790年7月14日)でも、30万人が詰めかけたシャン・ド・マルス広場に、軍楽隊による音楽(太鼓あり)が鳴り響いていました(文献7)。また、1793年12月に開かれたフランス軍の勝利(トゥーロン奪回)を祝う記念式典では、大編成のパレードが行われ、そのなかには50名もの鼓手がいたそうです(パリ市民セレスタン・ギタールの日記より。文献8)。

 

ルイ16世の最期の言葉をかき消した太鼓の音

革命期における太鼓について最も象徴的なエピソードは、1793年1月のルイ16世の処刑だと考えられます。最期に民衆に語りかけようとしたルイ16世の声を、太鼓の音がかき消したという逸話です。この場面は、原作小説『二都物語』においても登場します。ルーシーとダーニーが結婚する直前に、語り手が少し先の未来を予言する重要な記述です(こわ…)。

夕闇が迫り、教会の鐘が響いた。近衛隊が打ち鳴らす太鼓の音も遠く聞こえた。女たちは坐っていつまでも編み物を続け、闇がその姿を包みこもうとしていた。(中略)その闇の到来とともに、今宵は権力と富、自由と命の声として力強く響いている軍鼓が、哀れな王の声をかき消すために打ち鳴らされる(訳注 断頭台に立たされたルイ十六世が見物の民衆に何か訴えようとしたところ、革命党員が太鼓を叩いてその声を打ち消した)

二都物語』(チャールズ・ディケンズ著,加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.327)

この場面は、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌによるノンフィクション風の小説『パリの夜』では、下記のように描かれます。

彼は階段をのぼった。軍楽器が騒々しい音を立てた。彼は北側に面した死刑台の端へすすみ出て、何ごとかを話そうとした。一瞬、楽器の演奏がやんだが、総指揮官〔サンテール〕の命令でふたたび始められた。ルイが口を開いた。「許す」という言葉しか聞こえなかった。

『パリの夜 革命下の民衆』(レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ,植田祐次編訳,岩波文庫,1988 P.261)

ここに出てくる総指揮官サンテールは、バスティーユ襲撃や8月10日事件で活躍した、サンタントワーヌ地区(ドファルジュ夫妻たちの本拠地であるパリの場末街)とかかわりの深い人物です*3ルイ16世の処刑を描いた絵画を検索すると、ギロチンが民衆だけでなく軍隊に囲まれていたことがわかり、一部の絵画ではやはり鼓手の姿も描かれています。

そして、この場面をもっとも近くで見て描写したと考えられるのが、死刑執行人としてギロチンを司っていたシャルル=アンリ・サンソンです。王が救われることを密かに願いながら2人の弟とともに任務にあたっていた彼は*4「地獄のように打ち鳴らし続けられる太鼓の音」について、王が「太鼓の音を止めることはできないのか」と弟に尋ねるのを聞いています。王は目で太鼓を止めさせて民衆に語りかけますが、やはりサンテールの合図によってその声はかき消されてしまいます。

王はさらに続けようとした。その時、国民軍総司令官サンテールが鼓手たちに合図を送った。再び太鼓が打ち鳴らしはじめられ、もはや王の声は耳に届かなかった。

『ギロチンの祭典 死刑執行人から見たフランス革命』(モニク・ルバイイ 編, 田中正人 他 訳,ユニテ,1989,P.70)

ミュージカルでのギロチンの効果音(ドラムロール)は、見世物を示唆するだけでなく、実際にあったとされるこの逸話を参考にしているのかもしれません。最初に引用した『二都物語』の一部(1781年頃の場面)によれば、かつては近衛隊が王のために太鼓を叩いていたことがわかります。しかし1782年の「8月10日事件」以降、太鼓の音は革命の音になってしまいました。

 

原作小説『二都物語』に登場する太鼓

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一番右はBW版スクリプトです(帯のズレとか直してから撮り直そうと思ったけど棚板の高さを変えたのでスクリプトが入らなくなっちゃった)

 

太鼓を管理していたコードネーム〝復讐〟

ここまでは軍楽器として実際に使われていた太鼓について見てきましたが、17世紀末のパリでは、民衆にとっても太鼓は身近な楽器だったようです。それを教えてくれたのが、ディケンズによる原作小説『二都物語』そのものでした。

サンタントワーヌの女たちを率いるマダム・ドファルジュには、側近の女がいました。二つ名は「復讐」*5。八百屋の女将である彼女には名前がつけられておらず、地の文でもマダムのセリフでも一貫してコードネーム的に〝復讐〟と呼ばれます。彼女は太鼓を管理する立場にあり、バスティーユ襲撃の際には太鼓を打ち鳴らして仲間を鼓舞する役割を担っていたことが示唆されています。

第2部22章の終わりで、バスティーユを攻め落とし財務長官フーロンを惨殺したサンタントワーヌの人々が、夜明け前にようやく眠りにつくシーンが描かれます。ディケンズは、静かに置かれている太鼓を通じて、革命が始まったからにはもう後戻りできないことを示しています。

サンタントワーヌは眠り、ドファルジュ夫妻も眠った。〝復讐〟でさえ、腹を空かした八百屋の夫と眠った。太鼓も休んでいた。サンタントワーヌの流血と争乱で変わらなかったのは、その太鼓の音だけだった。持ち主である復讐はまたそれを抱えて、バスティーユが落ちるまえや、老フーロンが捕らえられるまえと同じ音を打ち鳴らすことができたが、サンタントワーヌの懐に抱かれた男女の荒々しい声は、もうもとへは戻らなかった。

二都物語』(チャールズ・ディケンズ著,加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.397)

 

復讐は何も生まない〜ディケンズによる批判

〝復讐〟はマダム・ドファルジュを「天使」「あたしの大切な人」「あたしの魂」などと呼んで心酔していましたが、マネット家に出かけていくマダムを見送ったのが永遠の別れとなりました*6。エヴレモンドの処刑をいっしょに見届ける約束をしたマダムが現れないので〝復讐〟は苛立ちながら彼女を探し、物語の語り手はそれを冷たく突き放します(なんなら煽ってる*7)。

叫べ! もっと大きな声で、復讐。それでも彼女には聞こえない。もっと大きくだ、復讐。多少罵りのことばを加えてもかまわない。それでも彼女は現れない。ほかの女たちを送り込んで、どこかでぐずぐずしている彼女を探させるがいい。怖ろしいことをしてきた使者たちだが、はるばる彼女が見つかるところまで、みずから進んで探しにいくかどうかは疑わしいぞ。

二都物語』(チャールズ・ディケンズ著,加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.653)

〝復讐〟はマダムに「姉(あね)さんの命令には喜んでしたがうよ」と請け合い、腹心の側近として常に行動を共にしていました。しかし、引用箇所の後半によれば、サンタントワーヌの他の編み物女たちは、それほどの忠誠心を持ち合わせていなかったようです*8

名前を持たず、マダムとほとんど一心同体であった〝復讐〟は、マダムの復讐心を外部化した存在でした。ミュージカルでは省かれた人物でしたが、ディケンズは、マダム自身の死とそれにより〝復讐〟にもたらされる絶望を通じて、復讐という行為を批判しているのだと思います*9

小節「二都物語」における太鼓の音は、革命の音であると同時に、復讐の音でもあったのです。

 

原作小説における重要な音〜こだまする足音

ここまでは、実際に登場した「太鼓」について見てきましたが、実は『二都物語』にはレトリック上、非常に重要な「音」の表現があります。それは「足音」です。先に引用した第2部第22章の1つ前、第21章のタイトルは「こだまする足音」でした。この冒頭で「この上なく幸せな若妻」であるはずのルーシーが胸騒ぎにとらわれる様子が出てきます。その後、「こだま」「足音」の意味深な比喩を交えて8年ほどの経過が描かれたのち、リトルルーシーが6歳を迎え、1789年の7月がやってきます。

しかしその間もずっと、通りの一画ではほかのこだまが聞こえていた。遠くで不吉に轟いていたその音は、小さなルーシーの六歳の誕生日が来るころには、フランスで怖ろしい高波をともなう、すさまじい大嵐の響きになっていた。

二都物語』(チャールズ・ディケンズ著,加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.374)

この「こだま」の発信源はもちろんパリのサンタントワーヌです。ロンドンのマネット家があった一画は足音がよく響いて聞こえる場所で、実はルーシーは結婚する前から、その「こだま」に何故かずっと不吉なイメージを抱き続けていました。ある日、ルーシーはダーニーやカートンと夕べを過ごしながら「ときに夕方、ここにひとりで坐って耳をすましていると、こだまする足音のすべてが、やがてわたくしたちの人生に入りこんでくる人々の足音に聞こえてくるのです」と打ち明けます(第2部第7章,P.181)。まだ夫ではなく客として招かれていたダーニーはその不安に対して優しく問いかけます。

「あの人たちがわれわれ全員のところに来るのですか、ミス・マネット? それとも、われわれのなかで分け合うことになっているのですか」 
「わかりません、ミスター・ダーネイ。(中略)ひとりでいるときにそんな考えに身をまかせていると、あの足音のすべてがわたくしの人生に、そしてお父様の人生に、入りこんでくる人たちに思えるのです」
「そいつらをおれの人生に受け入れよう!」カートンが言った。「(中略)大群衆がこちらに迫ってきますよ、ミス・マネット。おれには見えるーー稲妻の光で」最後のことばは、まばゆい閃光が窓辺に立つ彼の姿を照らし出したあとにつけ加えられた。

二都物語』(チャールズ・ディケンズ著,加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.182-183)

(…カートン、今なんつった…?)

フランスにゆかりを持つ彼女がロンドンで「こだま」として聞いていたのは、大切な人々を飲み込もうとするフランス革命の「足音」だったのです*10

(前略)そうしたもろもろを手にして、サンタントワーヌの足音は、一七八九年の七月なかば、パリの通りで大きくこだまして進んでいった。天なる神よ、どうかルーシー・ダーネイの空想を打ち破り、それらの足を彼女の人生から遠ざけておかれんことを。なぜならそれは向こう見ずで、凶暴で、危険だからだ。ドファルジュの酒店のまえで樽が壊れて長年たつが、一度赤く染まった足は容易に浄められるものではない。

二都物語』(チャールズ・ディケンズ著,加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.388)

最後の一文は小説の序盤に出てきたシーンを指しますが、これはミュージカルにも出てきます*11。ここで人々の足を赤く染める赤ワインはもちろん血の暗喩です。

その後、物語には革命の進展にともなって何度も「足音」という言葉が登場し、それは最終章「足音が永遠に消える」(第3部第15章)で、文字通り、カートンの死とともに消えてゆくのでした。

群衆のざわめき。振り仰ぐ数多の顔。まわりの大勢が分け入ろうと押し合うあまり、ひとつの大波のようにふくれ上がって迫ってくる足音―それらすべてが一閃して、消える。「二十三」

二都物語』(加賀山卓朗 訳,新潮文庫,2014.P.656-657)

さて、本記事のテーマであるスネアドラムのことを思い出してみましょう。前半で「響き線をオフにしたスネアドラム」の「トン」という音は「鼓動」を思わせると述べましたが、ディケンズによる原作を読み解いていくと、「こだま」や「足音」のイメージにも近いような気がしてきませんか? 『♪おやすみ〜子どもたち(Little One)』が二都(ロンドン→パリ)をリレーされるときに印象的に響くスネアドラムの音は、方向こそ逆ですが、第2部第21章でルーシーの耳に海を超えて「こだまする足音」が届いたことを連想させます。

原作には「太鼓」そのものが登場するだけでなく、「こだま」や「足音」という太鼓を連想させるも描き込まれていたといえるでしょう。ミュージカルにおけるスネアドラムの活躍には、このことも関連しているのかもしれません。

 

まとめ〜そしてティンパニが天国の扉を叩く

これまで「そもそも、このミュージカルでスネアドラムが多用されているのには、何か意味があるんじゃない?」という仮説を立てて、いろいろな角度から考えてみたところ、以下のような結論を得ることができました*12

  1. フランス革命の頃には軍楽器として太鼓が使われていて各種の記録に残っているから
  2. 処刑されるルイ16世の演説を太鼓がかき消した逸話があるから
  3. 原作で〝復讐〟が太鼓を持っているから
  4. 原作に太鼓っぽい音(こだま、足音)が出てくるから

多彩な音色で“革命”を語り続けたスネアドラム。カートンの祝福を受けたお針子が舞台の奥に消えたあと、あのドラムロールのSEが鳴り響き、それを最後にスネアが前面に出てくることはなくなります。「この星空」リプライズでカートンが階段を登っていく足音を表現していたのは、G durの音階(ソラシドレミファ♯ソ)の繰り返し*13、それを支えるティンパニでした。荘厳な響きのなかで光を見上げるカートンの姿を思い出すと、天国の扉を叩くのであれば確かにティンパニがふさわしいと思えるのでした*14

二都物語」のオケは間違いなく出色のクオリティでした(指揮:若林裕治*15)。それを最後に真顔で言い残して、筆を置きたいと思います*16。おつきあいくださった皆様、再再演の暁にはぜひスネアドラムに耳を澄ませてみてください!

 

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(「二都物語」の考察記事、今度こそいったん千秋楽です! ご覧くださり、ありがとうございました)

 

参考文献

  1. Jill Santoriello: A Tale of Two Cities: A Musical(Samuel French,Inc., 2010)
  2. チャールズ・ディケンズ 著,加賀山卓朗 訳:二都物語新潮文庫,2014)
  3. Charles Dickens: A Tale of Two Cities(All the Year Round, 1859 / Penguin Classics,2000)*Kindle
  4. 守重信郎:写真でわかる! 楽器の歴史 楽器学入門(時事通信社,2015)
  5. 山本宏子:太鼓の文化誌(青弓社,2017)
  6. 片山杜秀:革命と戦争のクラシック音楽史(NHK出版,2019)
  7. 今谷和徳, 井上さつき:フランス音楽史(新装版)(春秋社,2024)
  8. セレスタン・ギタール著,レイモン・オベール編,河盛好蔵訳:フランス革命下の一市民の日記.(中公文庫,1986)
  9. レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ 著, 植田祐次 訳:パリの夜 革命下の民衆(岩波文庫,1988)
  10. モニク・ルバイイ 編, 田中正人 他 訳:ギロチンの祭典 死刑執行人から見たフランス革命. (ユニテ,1989)
  11. 竹中幸史:図説 フランス革命史(河出書房新社,2013)
  12. 田中孝信:天使の光と影―『二都物語』.ディケンズジェンダー観の変遷―中心と周縁のせめぎ合い―(音羽書房鶴見書店,2006)※初出「ディケンズフェローシップ日本支部年報」27号,2004
  13. O・ブラン 著, 小宮 正弘 訳:一五〇通の最後の手紙 フランス革命の断頭台から(朝日新聞出版,1990)

 

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*当たり前といえばそうなのですが、読んだ本の量も増えたので、前から順に記事の内容が深まっていっています(匍匐前進でゼロから勉強していった産物…)

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↓すげえ喋るじゃん…(元気があったら読んでってください)

*1:Drum roll, guillotine slide and lights dim as the blade begins its descent.”P.130

*2:トルコの軍楽隊(メフテル)が有名。威圧感のある太鼓の音は、かつてのオスマン帝国の強さを物語っています。

*3:wikiによればドラムロールを命じたと書いてあるのだけど、ドラムロールという奏法を命じたかどうか、今のところ根拠を見つけられていません

*4:王を救出する計画があること匿名の手紙で知らされていたけど、来なかったのです。

*5:The Vangeance(La Vengeance)。加賀山訳では初出に「ヴァンジャーンス」とルビが振られています。中野訳では「復讐の女鬼」、池訳では「復讐鬼」。私はシンプルに「復讐」と呼んでいる訳が好みです。

*6:言ってしまえばマダムと復讐は、ものすごく百合です

*7:いくら呼んでもマダムが現れないのは、もちろん死んでいるからです。本作の中でも、かなり語り手の自我(?)が表れているシーンで目を引きます。

*8:ということは、マダムを探し回るのは復讐だけなのではないか。ルーシーの家は知ってるから訪ねて行って、でもミス・プロスが鍵をかけて川に捨ててしまったのでドアは開かないのだ。※もちろんドファルジュが駆けつけるのはミュージカルだけ

*9:さらに、ミス・プロスが象徴する「愛情」にマダムの「復讐心」が負けたことも重要。ミス・プロスの愛情はディケンズが「女性にだけ見られる性質」として「愛情や称賛の気持ちから別の女性に身も心も捧げる」と表現しており、マダムとの対決では実際フィジカルで勝ってるんですよね→“ミス・プロスは、つねに憎しみを凌ぐ愛情の圧倒的な力で夫人にしがみつき、もみ合いながら相手を持ち上げるほどだった。”(P.645)でもこのとき銃の爆音を浴びた影響でミス・プロスは耳が聞こえなくなってしまいます…(文献12)

*10:「革命の歴史は『足音』によっても象徴的に表わされていたわけだが」田中,2004.文献12

*11:ミュージカルではガスパールが馬車に引かれそうになった息子を守るために樽を放り出し、民衆が「酒だ!酒だよぉ!」と群がり、「♪あるべき姿」につながります。ガスパールは最初は同じシチュエーションで息子を守れたんだよね…。

*12:あくまでも観客による一考察であり、答えではありません。本当のことはジルさんしか知らないよ!

*13:「この星空」初出はC→Des→Dに転調しており、リプライズで一足飛びにGになっています

*14:楽器について補遺。コンサートチャイムも超いい仕事をしていています。この頃は革命の影響(軍事供出、非キリスト教化)で教会の鐘が没収されまくっていて、鐘は減っていたかもしれませんが、鐘の音の記述がある文献もありました(文献13)。死と鐘の取り合わせといえば、直近ではMR!のCome what mayリプライズが好き。

*15:Drums:小野裕市さん、Percussion:稲野珠緒さん

*16:楽器の音が丸く響くPAもよかったな。同時期に追いかけていた「ダンス・オブ・ヴァンパイア」とは音作りがまったく異なりました(最後の博多座で急に気づいた)。あっちは派手にショーアップするのが身上なので!




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