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ミュージカル「二都物語」におけるカートンのキスと、最後の選択について考える(原作小説・BW版スクリプトとの比較)

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どうもこんにちは、酒場の女(シドニーガールズ*1)になりたい芳雄一味の者です。

ツアー公演も最終地の博多座にたどり着き、いよいよ大詰め。今回は大真面目に、ミュージカル「二都物語」におけるカートンのキスについて考察します。

 

題材

  1. カートン→ルーシーのキス(2幕)
  2. カートン→お針子のキス(2幕)

比較対象

  1. ミュージカル「二都物語東宝再演版/鵜山仁演出,2025)
  2. ブロードウェイ(BW)版スクリプト:A Tale of Two Cities: A Musical(Jill Santoriello,Samuel French,Inc., 2010)
  3. 原作小説『二都物語(チャールズ・ディケンズ 著,加賀山卓朗 訳/新潮文庫,2014)
  4. 原文:A Tale of Two Cities(Charles Dickens, All the Year Round, 1859 / Penguin Classics,2000)

最終的には、これを足がかりにカートンの最後の選択彼が示した愛についても考えることになりました。個人的な試みですがよろしければお付き合いください。

 

 

1.ルーシーへのキス〜「夢がかなうなら〜リプライズ#1」「もう一度だけ」

同じところ、違うところ〜ミュージカルにおけるカートンの“cannot help himself”

まず、カートン(演:井上芳雄)からルーシー(演:潤花)へのキスを見ていきます。裁判の後、ショックを受けてカウチで眠っているルーシーを切なそうに見つめ、「ルーシー…」と呼びかけて、思いが込み上げた様子で唇にキスする場面です。

その前の裁判では、判決を聞いて倒れかけたルーシーを、いつのまにかそこにいたカートンが後ろからスッと抱きかかえます。ヒーローのようなカートンのこの描写は、原作にも見つけることができます。

チャールズが囚人用の扉から出ていくと、ルーシーは向き直り、父親の胸にそっと寄りかかって話しかけようとしたところで、足元に倒れた。

そのとき、薄暗い片隅にいて動かなかったシドニー・カートンがふいに出てきて、彼女を抱え上げた。(P.586)

小説のこの場面は、例のマネットの手記が長々と読み上げられて、全会一致でダーニーに死刑判決が下り、夫婦が最後の別れを交わした後です。地の文でもカートンが裁判に来ていることは伏せられており(ずっと出てこない)、そこへ颯爽と現れてヒロインを助ける展開が鮮やかです。小説としてここがカートンの見せ場の1つであることは、初版本にルーシーを抱き起こす様子を描いた挿絵が挿入されていることからもわかります(タイトル:判決のあとで。新潮文庫に収録)。

その後、カートンは意識を失ったルーシーを抱きかかえて馬車に乗せ、マネット一家が借りている部屋(※原作の設定)に連れ帰り、カウチに横たえます。そしてリトルルーシーが「なんとかしてママを助けてくれるでしょ」と自分にすがりついて嘆くのを優しく慰め、「帰る前に/ママにキスをしてもかまわないかな」と許しを得て、ひざまずいて頬にキスをしています(原文:touched her face with his lips)。

BW版スクリプトにあたってみると、このシーンは以下のように説明されていました。

Hasitant at first, CARTON cannot help himself. He brushes the hair back off her face. He brings his face close to hers and kisses her. (P.102)

私訳:最初はためらっていたが、カートンは自分を抑えられなくなる。彼女の髪をかきあげ、顔を近づけてキスをする。

私が注目したのは“cannot help himself(自分を抑えられなくなって)”という表現です。まさに我々が見てきた芳雄カートンの姿ではないでしょうか。先日、明治座千秋楽(5/31)から1か月おいて御園座(6/28,6/29)で観たときに*2キスまでの助走が長くなっていることにびっくりしました(7/5,7/6博多座でも同様)。少し離れたところで振り返り「ルーシー…!」と声をもらし、駆け寄って衝動的に口づける様子は、いっそう“cannot help himself”が表現されるようになったと感じます。

原作のこのシーンには、リトルルーシーのほか、ミス・プロスや裁判から一緒に帰ってきたマネットやロリーがいます。これと比べると、ミュージカルでは2人きりのシーンになっており、その面でもカートンの恋愛感情がより色濃く現れているといえます*3

 

新曲「もう一度だけ」の威力

ミュージカルではこのあと、うなされたルーシーが「チャールズ!」と夫の名を呼び、これがカートンの胸に決定的な何かをもたらします。このときのナンバーが、再演で追加されたダーニー(演:浦井健治)のソロ「もう一度だけ」です。

東宝初演版は確認できないのですが、BW版のスクリプトおよび音源を参照すると、「夢がかなうなら〜リプライズ#1」の後半はダーニーによる「今この時」のリプライズになっていて、この部分が今回、新曲に置き換えられたのだと考えられます。つまり、当初のバージョン(BW版・東宝初演?)では、ダーニーは求婚して愛を誓い合ったときのメロディで懺悔を歌っていたのですね(悲しい…!)。

今回、東宝再演のために書き下ろされた「もう一度だけ」は歌い出しの音域が低く、浦井さんが意識しているという「大人」または「父親」を表す低音の響きが生かされています*4。メロディーのスケールが大きく、オーケストレーションも派手になったことで(ティンパニが神)、次にルーシーが歌うワイルドホーン追加曲「さよならは言わないで」の壮大さにつながっていきます。さらに、カートンがルーシーを永遠に諦めることについて、このドラマチックな曲をきっかけに2人の愛と絆を思い知ったから、という説得力も増しています。こう考えると、BW初演(2008)から17年を経て実現した「もう一度だけ」の追加、改めて最高だなぁと思うわけです。これを堪能できているのは、今のところ日本の観客だけなんですよね…!

12年ぶりの再演にあたり、「ダーニーにソロ曲を」とはたらきかけたのは芳雄さんということが明かされていますが(よしけん永遠なれ)、結果的に自身が演じるカートンという役も輝かせることになっているのが素晴らしいと思います。

 

2.お針子へのキス〜「フィナーレ」

同じところ、違うところ〜BW版にだけあるセリフ

次に、フィナーレにおけるカートンからお針子(演:北川理恵)へのキスについて考えていきます。「22番」のお針子と「23番」のカートンが慈しみ合う美しいデュエットは、間違いなく本作の白眉です。ついにその時がきて「さようなら」と別れを告げるお針子に、カートンはそっと腰をかがめておでこにキスを贈り、力強く微笑んで送り出します。

涙なくして語れないこのシーンですが、やはり原作小説にもきちんと描かれています。私たちがミュージカルで知り得たカートンとお針子の会話は場面をまたいでほぼすべて登場し(「ああ、あなたの勇敢な手を握らせてもらえませんか、見知らぬかた」(P.623)/「さあ、おれの眼を見て、ほかのことは心配しないで」(P.654)など)、最後にこのようなやり取りが交わされます。

「(前略)あなたにキスをしてもかまいませんか。そろそろ時間ですか?」
「ああ」
針子は彼の唇にキスをする。カートンも彼女にキスを返す。ふたりは厳かな気持ちで互いを祝福する。痩せこけた手は彼が離しても震えない。辛抱強い顔にはやさしく明るい強さしか表れていない。(P.656)

このように小説ではお針子からカートンの唇にキスを贈り、カートンがそれに応えています(原文:She kisses his lips; he kisses hers)。地の文で「祝福」とはっきり書かれている通り、まもなく神様のもとへと向かう2人が互いの幸福を祈るキスなのだとわかります(原文:they solemnly bless each other)。

この別れの場面は、BW版スクリプトでは以下のように描かれています。

SEAMSTRESS. (intimately―almost a wisper)Goodbye…
CARTON. God Bless.
(He leans down and kisses her gently on the forehead.)(P.131)

私訳:
お針子 (親しげに、ほとんどささやくように)さようなら…
カートン 神のご加護を
彼は身をかがめて、彼女の額にそっとキスをする

“forehead”なので、やはり、おでこにキスをしています。

そしてBW版には“God Bless”、つまり「神のご加護を」という言葉があります。原作では「地の文」の表現でありカギカッコのセリフにはなかった「祝福」のニュアンスを、カートンの言葉として劇中に表す効果をもたらしています。

以上より、カートンとお針子の別れのキスは宗教的な愛の現れであり、キリスト教の信仰に基づく「祝福」であると言えます。またミュージカル化にあたっては、贈りあうものから、カートンが与えるものに変更されたことがわかります。

 

再び神様を信じるようになるカートン

このように、カートンとお針子のキスを考えると、思索は自ずと宗教的な方向に向かうことになります。ミュージカルでは、ルーシーとの出会いをきっかけにしたカートンの「再生」が描かれますが、通奏低音になっていたのは、カートンが少しずつ信仰を取り戻すことでした。

クリスマスイブに教会をサボって「居酒屋で一杯」やっていた男は、お祈りするリトルルーシーに促されてひざまずきながら「久しぶりだな」とぼやく場面を経て、このリプライズにあたる「今は子どものままで」イントロでは自主的にひざまずき一緒に祈りの言葉を捧げるようになります。そしてお針子に「♪もう一度会える 心安らぐ場所で」と天国での再会を約束し、「ずっとずっと素晴らしい安らぎ」を信じてギロチンの下に立ちます。このように、信仰の再獲得を示すピースは、劇中に周到に配置されているのです。

小説でもカートンが再び信仰に目覚めてゆくのは同様で、日本の研究者の論文にも「ルーシーへの愛によって再びキリストを信じるようになる彼にとって」(松岡,1998)という表現を見つけることができます。

このことがよくわかるのが、終盤の第3部第9章です。カートンは監獄でポケットから出した薬をダーニーに嗅がせて気絶させますが、小説にはこの薬を入手する場面が出てきます。いかがわしい薬屋を後にしたカートンは街をさまよい歩き、劇場の前に通りかかったとき、困っている女の子の存在に気付きます。

ある劇場の扉のまえに女の子が母親と立って、ぬかるんだ道をどう渡ろうか考えていた。カートンは女の子を抱き上げて運んでやり、小さな腕が首から離れるまえに、キスをしておくれと頼んだ。(P.550)

さりげないけれど美しいこのシーンは、カートンが見知らぬ人に親切にする「利他」の行いを描いています。薬を入手した帰り道ということは、この時点でのカートンは身代わりになる決意が固まっているということになります。本作(小説)で重要とされる「マタイによる福音書」の一節(われは復活[よみがえり]なり)が登場するのはこの直後です。カートンが小さな女の子を助けたのはキリスト教における隣人愛の実践と言ってよいでしょうし、このとき求めたキスも祝福に類するものだと思います。何よりこの小さな親切は、彼が人生の最後にお針子に愛情を注ぐことの伏線になっています。

 

3.カートンの最後の選択について

小説:ルーシーへのキスに込められていた本当の意味

大切な人々に囲まれて信仰を取り戻したカートンは、最後には究極の選択をすることになります。

ミュージカルでは、「隣人愛」はまさにルーシーがカートンに与えたもので、その衝撃がカートンを変えました(「この星空」)。その後、ルーシーにスカーフをもらったけれどもその瞬間に失恋してしまったカートンは「その幸せのためなら僕は、喜んでこの身を捧げるつもりです!」と、精一杯の笑顔を見せて身を引きます。これはもちろん結末の伏線です。

前の記事でも触れましたが、小説にはクリスマスの前後のエピソードは全く出てきません。カートンの告白と失恋は第2部第13章に描かれており(美しくて苦しくて泣けるのでぜひここだけでも…!)、以下のような表現になっています。

「つまりおれは、あなたと、あなたが愛する人のためなら、なんでもするということです。もし生活がもう少しまともで、人のために犠牲になれる余地や機会がわずかでもあるなら、あなたと、あなたが愛する人たちのために、喜んで犠牲になります」(P.269)

さらに、最後に伝えたのがこのような言葉でした。

「ああ、ミス・マネット、(中略)たまには思い出してください、あなたの愛する命をあなたのそばに置くために、みずからの命を捧げる男がいることを」(P.270)

この「あなたの愛する命」(原文:‘A life you love.’)は、裁判の後、カウチで意識を失っているルーシーの頬にキスしながら、カートンがつぶやいた言葉なのです(これをリトルルーシーが聞いていて、後世に伝えた)。つまり、原作のカートンはルーシーの頬に口付けながら「あなたの愛する命のために、自分の命を捧げます」と心の中で伝えていたのです。ミュージカルではカートンがキスをきっかけに“永遠に”失恋して、身代わりになるための行動を開始しますが、原作ではバーサッドとの交渉も薬の入手も済ませた後の時系列なので、小説の場合、あれは「決意のキス」だったということになります。

 

ミュージカル:「与える人」として人生を全うしたカートン

愛する人の幸せのために自分の命を捧げるという究極の自己犠牲は、物語の受け手にとってはとても悲しいですし、(少なくとも私にとっては)理解が難しいところがあります。そのために助けになるのは、やはりキリスト教の考え方なのだと思います。今回ヒントを求めて手に取った本で、キリスト教の解く「愛」についての記述を見つけました。もしも飢餓のさなか、自分だけがパンを持っていたらどうするか、という問いに続いて、このような例えを示しています。

パン一個ではなく、 自分のいのちであればどうでしょう。ふつうはそのようなことをしなくてもよいし、またできなくてもよいのです。自分のいのちを犠牲にすることなど尋常ではないからです。だからこそキリスト教では本来「愛」は自力で行うものではなく、神からの贈り物、恵みであると言われるのです。

キリスト教を問い直す』(土井健司,ちくま新書,2003,P85)

この考え方に沿ってカートンの行動を思い出してみると、彼の選んだ自己犠牲は、「彼と、彼の妻と子ども」への個人的な愛に基づくものでありながら、神様の力が働いた結果行われたものだと考えることもできます。

先の書籍『キリスト教を問い直す』の中で、著者は隣人愛について「何者かであることを乗り換えて、一人の人として目の前にいる他者と出逢うこと」であるとし、「この出逢いを成立させるのが『神』です」と説明しています(P.101)。このような記述からはまさに、「♪あなたは/神様が遣わした人」「♪君こそが遣わされた」と慈しみ合った、カートンとお針子の「出逢い」が想起されないでしょうか。

ミュージカルにおいてカートンはお針子を恐怖から救い、その様子は、2人のやり取りをそっと聞いていた他の囚人(貴族)たちの心をも慰めました。そして先に見てきたように、カートンはお針子との別れに際し、原作のようにキスを贈り合うのではなく、自分から祝福のキスを贈ります。こうして、ミュージカルのカートンは、人生の最後に徹底して「与える人」であり続けたのです。

本作のフィナーレは宗教的な理解を抜きにしても深い感動をもたらしますが、カートンがお針子の額に口付けるとき、客席にいる私たちも、カートンによる祝福を受けているのかもしれません。東宝再演ではセリフとしての“Good bless.”が省かれることで、芳雄カートンによる気高く愛情深い実践がかえって心に刻まれるのだと思います。

(信仰に関しては、これで理解できたとはいえないので、まだまだ宿題にします*5

 

まとめ

カートンに寄り添い続けた青いスカーフ

ちなみに、カートンによるキスはミュージカルの中にもう1つありました。スカーフをもらったことへのお返しに、ルーシーの頬に贈るキスです。BW版の音源のジャケ写はこのシーンでした。

ルーシーはカートンの首元にスカーフを巻いてあげながら「これを身につけている間は、あなたは自分を大切にすることになる。ほんの少しはね」という言葉をかけていました。この言葉を思うと、カートンがとった行動は一見、自分をないがしろにしたようにも見えるかもしれません。でも本当は、彼なりに愛と信仰に基づいて自分を大切にした結果なのだと思います。

原作に全く出てこないこの青いスカーフは、カートンが生涯をかけて知った愛の象徴として*6、ラストシーンまで彼の首元を彩り続けました。初演では手放していたというスカーフが、再演では人生の最後に寄り添ってくれていることが、一観客として、しみじみと嬉しく思うのです。

 

 

以上、拙いですが私なりの解釈と考察でした。

私はミュージカルはあまり予習せず出たとこ勝負(byカートン)でファーストインプレッションを味わうの好きです。なので読み始めたのは遅かったのですが(読んだことなくてすみません…)、ミュージカルを思い浮かべながらディケンズの原作を読み通した結果、カートンのことがもっともっと好きになりました。新潮文庫の加賀山訳(新訳)いいですよ…!カートンの一人称が「おれ」なんです。大好き。

こんな感じで私は「二都物語」に沼っており、まずは最難関の宗教を取り扱ったので、あとは史実フランス革命と原作のタイムライン)と音楽(スネアドラム)を自分の宿題にしております。ご起立、もとい、執筆…できるかな…*7

 

二都物語」についてこれまで書いたもの

purplekuina246.hatenablog.com

purplekuina246.hatenablog.com

 

引用・参考文献
  1. Jill Santoriello: A Tale of Two Cities: A Musical(Samuel French,Inc., 2010)
  2. チャールズ・ディケンズ 著,加賀山卓朗 訳:二都物語新潮文庫,2014)
  3. Charles Dickens: A Tale of Two Cities(All the Year Round, 1859 / Penguin Classics,2000)*Kindle
  4. 土井健司:キリスト教を問い直す.(ちくま新書,2003)
  5. 松岡光治:革命における愛憎の流動化―A Tale of Two Cities―.(名古屋大学言語文化部,第XX巻,第1号,1998,pp.109-18)ディケンズ・フェロウシップ日本支部電子アーカイヴより http://www.dickens.jp/archive/ttc/ttc-matsuoka.html

  6. チャールズ・ディケンズ 著, 池央耿  訳:二都物語 上巻・下巻(光文社古典新訳文庫,2014)←池訳も確認したのですが、鍵となる‘A life you love’は1回目と2回目で訳し方を変えていました。2回目、ルーシーの頬にキスするところは「一命、君にこそだ」という思い切った意訳になっています。

 

 

*1:出典:TBSラジオ井上芳雄byMYSELF」2025/6/29OA

*2:梅芸は諦めたのだけど、梅芸であの響きを味わってみたかった、3階から観たかった…

*3:BW版スクリプトでは冒頭にミス・プロスとリトルルーシーが出迎えていて、リトルルーシーを寝かしつけるためミス・プロスがいっしょに出ていき、最終的に2人きりになります。

*4:出典:podcast浦井健治のココバナカフェ」Ep.42

*5:7/6の誕生日公演を母と観劇した帰り、キリスト教についてちょっと心得がある母に「祝福って何?」と聞いてみたんだけど、「あなたはそのままでいいっていうこと」というような説明だった。もっと難しいぞ…

*6:浦井さんはリスナーさんの質問に答える形で、このスカーフを「人間愛の象徴」だと表現していました。出典:podcast浦井健治のココバナカフェ」Ep.39

*7:大好きナンバー、1幕の「裁判」の裁判長です。♪軍事機密書類だ〜ッ(スキップ)




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