ミュージカル「SIX」は現在、大阪で絶賛上演中ですが、私は東京公演で来日版・日本キャスト版を1回ずつ観ることができました。何かを文章に残したいと思いつつ忙しさにかまけて時間がたってしまいましたが、今日(3月8日)が国際女性デーだと気づき*1、やっぱり書いておくことにします。
(脱稿したら日付が変わってしまいましたが御愛嬌ということで😂)
観劇時のキャスト
今回はキャストごとの感想は割愛しますが、最高〜〜!だったのでそれぞれの回のキャストをメモしておきます!
※カテコのみ撮影可。直前に開放された機材席で1列目&2列目サイドの視界
来日版(2025年1月12日昼)


アラゴン💛:ミリー・ウィロウズ(Milly Willows)※オルタネイト
ブーリン💚:エリン・サマーヘイズ(Erin Summerhayes)※オルタネイト
シーモア🤍:リバティ・ストッター(Liberty Stotttor)
クレーヴス❤️:ハンナ・ヴィクトリア(Hannah Victoria)
ハワード🩷:リジー・エメリー(Lizzie Emery)
パー💙:エロイーズ・ロード(Eloise Lord)
日本キャスト版(2025年2月2日夜)


ブーリン💚:田村芽実
シーモア🤍:遥海
クレーヴス❤️:エリアンナ
ハワード🩷:豊原江理佳
パー💙:和希そら
広く、女性と〈見た目〉について考える
人種とルッキズム
来日版で印象に残っていることの1つが、人種/ルッキズム/見た目などに関する問題です。特に人種問題について私は適切な知見を持ち合わせているとはいえず、だからまだ「考えている」途上なのですが、現時点で思ったことを書いておきたい。
まずアナ・オブ・クレーヴスを演じたハンナ・ヴィクトリアがとてもかっこよかった。マザーグースの歌をもじった「♪Get Down」はCoolそのものでしたが、この曲はおそらくブラックミュージックの文脈にあるのかなと思います(つまり、ヒップホップ?←疎くてすみません…)。来日版を見たあとに、オリジナルや再演、ツアーなど、YouTubeで上がっている動画をいろいろ探してみたのだけど、クレーヴスを演じているのは、黒人キャストばかりでした。ざっと調べた限りですが、白人キャストが担っていた例は、オーストラリアで上演された現地キャスト版しか見つかりませんでした*2。
それを念頭に、劇中にクレーヴスの身に起こったことを振り返ってみると、私はどう受け止めたらいいのか…という気持ちになります。マッチングアプリになぞらえられた肖像画のくだりは、ホルバインによる重加工が奏功してヘンリー8世に見初められたものの、“実物”を拒絶されるという辛い出来事を描きます。その悲しみを語るくだりの、来日版の字幕「私って、こんなでしょ?」を、私は忘れることができません。「こんな」の部分に何が含まれているかは、問いかけられた私たちが考えないといけないのです。もちろん、スワイプ1つで交際相手を選んだり拒否したりできる現代社会への批評も含まれるはずですが、前述のキャスティングにおける傾向やナンバーの音楽性と照らし合わせると、作り手が人種に関するイシューを込めていないはずがない…という気がします。それを日本の観客である私はどう受け止めたらいいのか。これまでに、個人的には「ラグタイム」(2023)にきっかけをもらいましたが、まだまだ宿題として残しておきたいと思います。
そしてもう1つ、私が観た日のアラゴンはオルタネイトのミリー・ウィロウズが担当していたのですが、彼女からはボディポジティブについて考える機会をもらいました。パワフルですごく魅力的だったし、「♪Haus of Holbein」のノリなんて最高でした。
ざっくりと“海の向こう”でどれくらいダイバーシティが進んでいるか。私が知る機会はWOWOWで中継されるトニー賞授賞式くらいしかありませんでしたが、今回、来日版でその風を少しでもじかに感じることができてとてもよかったと思います。来日版パンフレット*3のクレジットにジェンダー代名詞が添えてある(または、ない)ことも意義深いし、観劇のすぐ後にラジオでルーシー&トビーのインタビュー(J-WAVE「JAM THE PLANET」2025/1/14)を聴けたのも幸運でした。
そんな感じでいろいろと思いを巡らせて日本のSNSに戻ってくると、世間が「「「痩せろ」」」って言ってくるので、マジでどうしたらいいかわからなくなります。もちろん自分自身も、その価値観・評価軸を内面化していて、表に出る人々をまなざしているわけです…。これについてもやっぱり宿題です。
つらかったことは、つらかったって言っていい
もう1つ特筆しておきたいのが、4番目の妻であるハワードです。若さと美貌を武器に年上の男たちを手玉に取り、ついには王妃にも上り詰める…という自慢話だったはずの「♪All You Wanna Do」は、後半にかけてだんだんといびつに変形します。彼女を囲んで踊るクイーンたちが、ベタベタと手を伸ばすようになり、最後はほとんどがんじがらめの中、繰り返されるサビは悲痛な叫びへと変わっていきます。ここで暗示される性的な搾取は、もしかすると日本で観るほうがリアルかもしれず、だからこそ日本キャスト版における豊原江理佳ハワードの4回目のサビの絶叫は、あまりにもショッキングでした。
本作は、6番目の妻であるパーの問題提起により、トラウマを比べ合うのはやめて自分たちのことを自分たちの声で歌おう、という大団円が導かれます。
確かにその直前は流産の回数でマウントを取り合うくだりがあり、特に日本版で観た時に、これは経験がある人にとっては悲しみが刺激されるシーンだなと思いました。また、前述のハワードのナンバーも、本当にそういった経験がある人にとってはかなりトラウマティックかもしれません(これは悪い意味ではなく表現としての真実味がありすぎて)。
クイーンたちは1時間以上かけて「どんなつらい思いをしたか」を競い合ってきて、ショーに残されたのはたったの「5分だけ(5 more minits)」。そこにアコースティックギターのイントロが響き、本編最後の「♪SIX」が始まります。この曲がなぜこんなにも優しく、温かいムードにあふれているのか。それは、クイーンたちの姿を通して、作り手が、すべての女性にトラウマへの癒やしとエンパワメントを届けようとしているからではないでしょうか。私はここに、「つらかったことは、つらかったって言っていいんだよ」というメッセージを感じるのです。トラウマを比べて過ごした1時間も決して無駄じゃない。1回吐き出してみんなで共有するプロセスこそが大切なのだと思います。
前述のインタビューでは、このミュージカルで「涙が出るのはなぜか」について、「女性であれば大なり小なり共感するポイントがあるから」、そして「500年も経っているのに共感できてしまう。(そこには)変わっていないことのもどかしさがある」とその理由が語られています(J-WAVE「JAM THE PLANET」2025/1/14*4)
500年たった今も、ルーシー&トビーが「“やっと”だけど、“まだまだ”なんだよ」と語るとおり、辛いことや理不尽なことはたくさんあります。日本にいると、もっとそうかもしれない。でも、「♪SIX」で微笑み、手をつなぎ合うクイーンたちが、私たちはがんばれる、一緒に戦っていけると教えてくれるのです。
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来日版・日本キャスト版ともに、すばらしいパフォーマンスを堪能したので、どちらもまた機会があることを願っています。まずは日本キャスト版が大千秋楽まで無事に駆け抜けられますように!