前回:『林の本質について』第二話「きてふわの20年」 - 純正受けル批判 (hatenablog.com)
きてふわと賢者の対話はこのように続いた。
賢者「ではきてふわよ、其方を理論を究めし同志と認めて問う。林とは即ち何たるか」
きてふわ「先ほども申し上げました通り、ウォッシュロトムやアーマーガアなどのことです」
賢者「我の尋ねしはその類の事には非ず。すなわち林属性のポケモンを列挙する事を求めず、しかしそれらを林たらしめるところのその本質を求めて尋ねけり。」
きてふわ「それはとても難しい問ですが、かの祖によると林とは”辛そうな顔をしながら戦うポケモン”であります。祖の言葉の一つに、林属性について『ウォッシュロトムみたいに辛そうな顔しながらポケモンバトルするやつね』というものがあります」
賢者「全く正しく言われたように、嗚呼志同じくする者よ、我には思われる。しかしながらその定義は曖昧にして完全ではないように思われる事もまた事実なり。即ち、そこから林たるポケモンどもを演繹することが可能で、かつ林ならざる者どもを排除できるような定義、本質を、我は求めて尋ねしなり。祖の言葉そのものではなく、その言葉に表された真意を考究するべし」
彼と話し始めてすぐにきてふわは悟った、この賢者は”本物”である。賢者の前に立つとその存在感は何者にもまして私を圧倒し、その言葉の一つ一つは私に重く降り注がんが如く全身に響き渡る。ー”本物”と出会ったとき、人は自らを反省せざるを得なくなる。本物の圧倒的な存在感は人に自らの生を省みさせ、その眼前で、どんなに些細な存在としてだとしても、立っているために、人は自らの存在と生の意味を必死に求めるのだ。生きていればいつかそのようにして”本物”に、そして、自らに向き合わねばならぬ瞬間が訪れる。きてふわにとっては今がまさにそれだった。賢者との邂逅は私にこれまでのままで居続けることを許さず、理論についてこれまでとは比にならぬほどの深い次元で思考するよう強い、理論についてさらに上の次元まで至らなければ、もはや私は存在し続けられないように思われてならなかった。”本物”と対峙するとはそういう事である。きてふわが答えられずに黙っていると校長が助け舟を出した。
クラベル「今回の問いは少し難しいようですね。ではこのように考えてみてはいかがでしょう。すなわち、林属性のポケモンたちが持つ性質を考察し、そこからそれらが共通して持つ要素を取り出すのです。そうすれば林について、いくらか見通しが立つでしょう」
きてふわ「わかりました。先ほど申しましたように、林であることが明らかになっているポケモンは立てこもるヌメルゴン、ウォッシュロトム、サーフゴー、ガオガエン、アーマーガアです。このポケモンたちに共通する性質は、・・・・・どれも殴り合い性能が低いです」
賢者「悪しからぬ答えなり、嗚呼賢しき学徒よ、ではそれをより対戦の実情に即した形で説いてみよ」
きてふわ「はい、林とは対面性能が低い、すなわち対面から勝てるポケモンの範囲があまり広くないポケモンの事です」
賢者「なるほどな、ではその答えをこれから深く吟味していこうではないか、志高き人よ」
続く