おはようございます。今日は風の「君と歩いた青春」です。
<PR>
伊勢正三は1970年代から1980年代にかけて、日本のポップスがフォーク〜ニュー・ミュージック〜シティポップへと変遷していった流れを最もはっきりと体現しているアーティストじゃないかと僕は思います。そして、この時代を代表する重要なソングライターでもあります。
まず、彼の歩みをざっと振り返ってみます。プロになるきっかけは高校の先輩だった南こうせつに誘われてフォーク・グループ「南こうせつとかぐや姫」に参加したことでした。南こうせつは曲も書けて、歌も上手くて、キャラも立っていましたので、彼のワンマンバンド、ビートルズでたとえるなら(たとえなくてもいいんですけどw)、レノン、マッカートニー、二人分をこうせつが、年下の伊勢はジョージ・ハリソン、年上の山田パンダがリンゴという感じだったんじゃないでしょうか。
1973年にシングル「神田川」が社会現象になるほどの大ヒットになると、南こうせつのワンマンの体制から、伊勢、山田をもっと前面に出すことでグループを強化しようという狙いでバンド名も「かぐや姫」に変更します。そして、三人それぞれの個性を打ち出すという意味で、1974年のアルバムも「三階建の詩」というタイトルにし、伊勢、山田、二人にもオリジナル曲を書くというノルマが課せられます。
それまで歌詞しか書いてこなかった伊勢は「三階建の歌」で2曲作詞作曲にチャレンジすることになり、最初に出来上がったのが「なごり雪」でその次に書いたのが「22歳の別れ」という今ではスタンダードとなっている2曲だったそうで、曲を書いたとき彼はまだ21歳だったと言います。
かぐや姫の「なごり雪」オリジナル・ヴァージョン。アレンジは瀬尾一三。ギターは石川鷹彦。
南こうせつは「なごり雪」を「神田川」の次のシングルにしようと考えていたそうで(映画タイアップの話が来たため結局シングルは同じ路線の「赤ちょうちん」になりました)、当時のファンからも絶大な人気を集めますがシングルにはならず、1975年にイルカがカバーすることで時代を超えるスタンダードになりました。
このヴァージョンは松任谷正隆が編曲していますが、彼にとってアレンジャーとしての最初期の仕事だったそうです。鈴木茂(ギター)、村上ポンタ(ドラムス)などが参加し、当時ブレイクし始めたユーミン(荒井由美)に代表されるようなニューミュージック的なアレンジが施されています。しかし、イルカはフォーク・シンガーでしたので、同時に発売されたアルバム「夢の人」には、かぐや姫も手がけていたギターの名手石川鷹彦によるフォークらしくアレンジされたヴァージョンが収録されていました。
「なごり雪」はフォークからニューミュージックという時代の”橋渡し”を体現している曲でもあったわけですね。
1975年にかぐや姫の解散が決まると伊勢は「猫」というグループにいた大久保一久と「風」を結成します。デビュー曲はかぐや姫時代に大変な人気があった「22歳の別れ」で、新たに録音し直すとオリコン1位の大ヒットになりました。(同じ年の終わりにイルカの「なごり雪」がリリースされ、やはり1位になります)。
アレンジはかぐや姫のオリジナルでもギターを弾いていた石川鷹彦。デビューアルバム『風ファーストアルバム』は石川鷹彦、瀬尾一三という”かぐや姫”のアレンジャーに加え、松任谷正隆も参加、そこに山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子、細野晴臣、という新たな日本のポップスの担い手たちも加わっています。
山下達郎がコーラスアレンジした「でいどりーむ」
伊勢正三はもともと洋楽を全く聴かなかった人のようで(逆に南こうせつは幼い頃から洋楽が好きだったそうです)、最も大きな影響を受けたアーティストが小椋佳だったといいます。確かに日本人的な抒情性を品のある作風に仕上げるところには共通するものがある気がします。
しかし、彼は”風”をスタートさせた頃から猛烈な洋楽モードに入ります。
「1976年5月にスティーリー・ダンの5枚目のアルバム『The Royal Scam(邦楽:幻想の摩天楼)』が出て、かっこいいな、まさに自分の目指すものがここにあるなと思った。しかし、明らかにすべてのレベルが高すぎて、目指そうにもとてもできそうにないということだけははっきりわかるほどのものだった。それでも彼らの1stアルバム『Can’t Buy A Thrill』(1972年)であれば何とか参考にできるかもと思い、そうした作品を聴き漁って、アーバンで怪しげで霧が立ち込めているようなもわっとしたサウンドイメージを自分なりに模索し始めた。」(ぴあインタビュー「伊勢正三 メロディは海風に乗って」)
「ほおづえをつく女」。確かにスティーリー・ダン「Do It Again」のニュアンスを感じます
その後、風は洋楽的なサウンドを目指し、伊勢がソロに転向した後も和製AOR的なアプローチの作品をリリースしていきます。そして、昨今のシティポップ再評価の中で、風の後期や伊勢ソロ作品が再び注目されています。
「渚ゆく」伊勢正三
で、ここから僕個人の好みの話になっちゃうんですけど、伊勢正三の作品で好きなのが「なごり雪」「22歳の別れ」でもなく、シティポップ時代でもなくその”狭間”で生まれた「君と歩いた青春」と「ささやかなこの人生」の2曲なんですよね。
「君と歩いた青春」は彼がスティーリー・ダンに憧れて作ったというアルバム「WINDLESS BLUE」に収録されていましたが(アルバムからはちょっと浮いて聴こえます、、、)、伊勢は「やっぱり、1曲くらい、何か売れ線を書いていたほうがいいかな」(Uta-Net)という動機で書いたといいます。
そして「WINDLESS BLUE」のリリース前に、太田裕美から曲を書いてほしいという依頼があったときに、アルバム用に作った曲から選んでほしいといって聴かせたところ太田裕美が気に入ったのが「君と歩いた青春」で、シングルとしてリリースされると広く知られるようになりました。
彼は自身の曲作りについて、こういう風に語っています。
「いいメロディだな、いい歌詞だな――そう感じられること以上に“いい曲”というものはないのではないかと思う。僕の曲作りにおいても、まずはいいメロディありき。常に曲先で、次に、そのメロディに最もはまる言葉を集めていく。そうすれば自然と曲になっている。いつもそう。」(ぴあインタビュー「伊勢正三 メロディは海風に乗って」)
抒情的でスタンダードなメロディ・メイカーとしての才能に加え、彼の場合、歌詞もいいんですよね。情景と情感が見事に溶け合った共感性の高い歌詞を書かせたら天下一品です。そして、その両方の才能が曲を書き始めたばかりのタイミングでいきなり「なごり雪」と「22歳の別れ」というとんでもなく見事な結晶が出来上がってしまったわけです。
それもあって彼はきっと、その2曲とは全く違った”高み”を目指すことになり、その一つの指標としてスティーリー・ダンがあったのでしょう。でも、それだと振れ幅が極端というか、彼の共感性の高い抒情的な歌詞の才能を発揮しづらい方向性だったんじゃないかと個人的には思います。「君と歩いた青春」や「ささやかなこの人生」のような抒情的な歌詞と洗練されたメロディとアレンジが合致したような作品をもう少し聴きたかったなと僕は思います。洋楽で言えば、ブレッドのデヴィッド・ゲイツとかアメリカとかあの辺のテイストで。
最後はその「ささやかなこの人生」を。風の3枚目のシングルで、こちらも「”シングルっぽい曲を書こう”みたいな、もう狙って書いた曲」(Uta-Net)だったそうで(苦笑)、曲のテイストが違うのでアルバム「WINDLESS BLUE」からは外されています。
僕はどうやら、彼がシングルを狙って作った曲が好きみたいですね。

