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「追憶の夜 (Late in the Evening)」ポール・サイモン(Paul Simon)(1980)

おはようございます。今日はポール・サイモンの「追憶の夜 (Late in the Evening)」です。

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The first thing I remember
I was lying in my bed
Couldn't have been no more
Than one or two

I remember there's a radio
Coming from the room next door
And my mother laughed
The way some ladies do

When it's late in the evening
And the music's seeping through

The next thing I remember
I am walking down the street
I'm feeling all right
I'm with my boys
I'm with my troops, yeah

And down along the avenue
Some guys were shooting pool
And I heard the sound
Of a cappella grooves, yeah

Singing late in the evening
And all the girls out on the stoops, yeah

Then I learned to play some lead guitar
I was underage in this funky bar
And I stepped outside to smoke
Myself a "J"

And when I came back to the room
Everybody just seemed to move
And I turned my amp up loud and I
Began to play

And it was late in the evening
And I blew that room away

The first thing I remember
When you came into my life
I said I'm gonna get that girl
No matter what I do

Well I guess I'd been in love before
And once or twice I been on the floor
But I never loved no one
The way that I loved you

And it was late in the evening
And all the music seeping through

The first thing I remember
When you came into my life
I said I'm gonna get that girl
No matter what I do

Well I guess I'd been in love before
And once or twice I been on the floor
But I never loved no one
The way that I loved you

And it was late in the evening
And all the music seeping through

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最初に僕が覚えているのは
ベッドに横になっていたこと
せいぜい1歳か2歳か
それくらいのことさ

隣の部屋からラジオの音がしてた
それで母さんが笑っていた
”レディ”がするような笑い方で

それは夜も更けた頃
音楽がじわじわしみ出してきたんだ

次に僕が覚えているのは
通りを歩いていること
気分は最高で
僕の仲間たちと一緒
僕の一団と一緒さ

それで大通りを歩いていくと
誰かがビリヤードをしていて
ア・カペラのグルーヴが
聞こえてきたんだ

それは夜も更けた頃
家の前の階段には女の子たちが集まっていたんだ

それから僕はリードギターを覚えた
このファンキーなバーじゃ未成年
僕は外に出て一服してた
自分で巻いた“J”をね

部屋に戻ったときには
みんなはちょうどノリ始めたみたいで
俺はアンプの音量をデカくして
演奏を始めたんだ

それは夜も更けた頃
俺は演奏で部屋をぶっ飛ばしたんだ

君が僕の人生に現れた時に
僕が最初に覚えているのは
「絶対あの子を手に入れてやる、
どんなことをしても」って言ったことさ

まあ、前にも恋をしたことあったさ
一度や二度は打ちのめされたこともあった
でも他の誰かをこんなふうに
愛したことはなかったんだ

それは夜も更けた頃
音楽がじわじわしみ出してきたんだ(拙訳)

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 前回このブログで取り上げた「恋人と別れる50の方法」とアルバム「時の流れに」で大成功を収めたポール・サイモンが次に興味を惹かれたのが<映画>でした。

   1977年にアカデミー賞作品賞など主要な賞をほぼ総ナメにした『アニー・ホール』(ウディ・アレン監督)でレコード・プロデューサー役を演じ、翌1978年には、モンティ・パイソンエリック・アイドルが監督、脚本、主演を務めたビートルズのパロディ映画『ラトルズがやってきた オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』に本人役で出演したりしていたので、きっと自分でも映画をやってみたいと思ったのでしょう。

「映画を作りたかったんだ。最初は誰かとコラボレーションして、他人の脚本に音楽を書きたいと思っていた」

「コラボレーションできる人が見つからなかったので、自分で脚本を書き始めまたよ。そういう場合よくあることなんだけど、自分が一番よく知っていることについて書く。僕も自分が経験してきた世界について書くのが一番シンプルな方法だと思った。」(ultimateclassicrock.com  October 3, 2015)

 そして自ら主演するという形で、出来上がった映画が「ワン・トリック・ポニー(One Trick Pony)」でした。そして映画のサウンドトラックから最初のシングルとしてリリースされたのがこの「追憶の夜」でした。歌の内容は、ポール・サイモン自身の幼い頃の記憶を歌っているように思えます。彼が育ったのはニューヨークのクイーンズ地区、この時代は歌詞にあるように近所でアカペラのコーラスが聴こえてきたのかもしれません。

 さて、”One Trick Pony”=ひとつの芸しかできない仔馬、ということで「一発屋」「一芸しかできないやつ」という意味で使われるようです。映画の中ではポールは売れなくなったアーティストを演じています、バンド仲間として、スティーヴ・ガッド、エリック・ゲイル、トニー・レヴィンリチャード・ティーというスーパー・ミュージシャンたちも出演してお芝居しているんですね。

 ちなみにスティーヴ・ガッドは「恋人と別れる50の方法」同様、この曲でも印象的なスタイルでドラムを演奏しています。スティックを左右二本ずつ持って、ドラムが二人いるかのような感じにしているんですね。

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 映画は結果的にコケてしまい、サントラも期待ほどには売れなかったようです。しかし、サントラは彼の他のオリジナル・アルバムと遜色のない出来だと僕は思います。

 

 この曲がリリースされた1980年当時、ローリング・ストーン誌のインタビューで音楽ライター、デイヴ・マーシュに対してこういうことを語っています。これはアーティスト、ポール・サイモンの「本質」を自らが語った貴重なものだと僕は思います。

「音楽について最初に持った考えのひとつは―僕が14歳くらいの頃なんだけど、エルヴィス・プレスリーが大好きだった。それで、心の中でこう思ったのさ『自分は決して、決して、エルヴィス・プレスリーにはなれない。エルヴィスほど上手くなることは絶対ない。だからエルヴィスがやっていることを僕はやらない。自分は他に何かやることを見つけに行くべきだ』ってね。そしてずっと僕がやってきたことは、自分の限界―頭脳、声、体格、ギターの腕前―を一歩引いて見つめることだった。その限界はがんばって押し広げることはできるけど、あくまでも自分に与えられたものだから、その中で自分自身を表現しようとしてきたんだ。」(October 30, 1980,Rolling Stone)

 ポール・サイモンは”プレスリーに憧れながら、プレスリーになることを諦めることから出発した”アーティストなんですね。

 そして、皮肉なことにこの1980年というのは、プレスリーに憧れたアーティストたちがこぞって”ロックンロール・リバイバル”をやって大成功した年なんです。クイーンはプレスリーのパロディのような「愛という名の欲望」を大ヒットさせ、ジョン・レノンプレスリー調の「スターティング・オーヴァー」をリリースしました。他にもたくさんありました(僕は以前から”1980年はロックンロール復興の年”だと他のブログなどでもさかんに言っているのですが、同じ様な発言をまだどこにも見たことがありませんw)。

 その中でも、ポール・サイモンのプロデューサー、フィル・ラモーンが同時期に手がけていたビリー・ジョエルが「グラス・ハウス」というそれまでガラッとスタイルを変えたロックンロール・アルバムを出しているんですよね。

 ポール・サイモンは内心穏やかじゃなかったでしょう。前述のローリング・ストーン誌によると、彼がフィル・ラモーンと「グラス・ハウス」の話をしていた時に

「僕もシャウトしようとトライしたことはある。でも、僕の体じゃ無理だったんだ」と語っていたそうです。

 ポール・サイモンは歌詞、メロディ、ギター演奏、そしてソロになってからはリズムとあらゆるトリック(技)を徹底的に突き詰めていったアーティストで、全然”ワン・トリック・ポニー”じゃないんですよね。でも、その裏には自分は憧れた人のようにはなれない、という痛切な思いから始まっていたわけです。

 そういえば、ブルース・スプリングスティーンが自伝の中で、自分にはヴァン・モリソンロッド・スチュワートのような歌の天性がなかったから、ギターなど他の要素を全部必死に頑張るしかなかった、というようなことを語っていました。

 自分の短所を逆に他の要素を伸ばすためのモチベーションにする、という思考法は、ただ長所をのびのびと伸ばすよりも、逆境に強く、サバイバル力も強いのかもしれませんね。

 

 また、彼はサイモン&ガーファンクルアート・ガーファンクルのヴォーカルを尊重した”バラード・バンド”だったけど、ソロになってからは”リズム・ソング”をやれるようになったのが最大の違いだと語っていたことがあります。ラテンのノリを取り入れたこの「追憶の夜」などその最たるものだと思いますが、実はS&Gでもこの曲をライヴでやっているんですよね。その映像を最後に。1981年にセントラル・パークで行われた伝説的なリユニオン・コンサートです。

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