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「オン・マイ・オウン(On My Own)」パティ・ラベル&マイケル・マクドナルド(Patti LaBelle and Michael McDonald)(1986)

おはようございます。今日はパティ・ラベルマイケル・マクドナルドとデュエット、バート・バカラックキャロル・ベイヤー・セイガー作の「On My Own」です。

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So many times
Said it was forever
Said our love would always be true
Something in my heart always knew
I'd be lying here beside you

On my own
On my own
On my own

So many promises never should be spoken
Now I know what loving you cost
Now we're up to talking divorce
And we weren't even married

On my own
Once again now
One more time
By myself

No one said it was easy.   No
But it once was so easy

Well, I believed in love
Now here I stand
I wonder why  Ooh

I'm on my own
Why did it end this way
This wasn't how it was supposed to be
On my own
I wish that we could do it all again

So many times
I know I could have told you
Losing you
It cut like a knife
Hey   You walked out and there went my life
I don't want to live without you

On my own
This wasn't how it was supposed to end
On my own
I wish that we could do it all again
On my own
I never dreamed I'd spend one night alone
By myself
On my own
I've got to find out where I belong again
I've got to learn to be strong again
I never dreamed I'd spend one night alone
By myself, by myself, by myself

I've got to find out what was mine again
My heart is saying that it's time again
And I have faith that I will shine again
By myself
I have faith in me

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何度も
永遠だと言った
私たちの愛はいつも真実だと言った
だけど心のどこかでいつもわかっていた
あなたの隣でこうして横たわることになるって

ひとりきりで
ひとりきりで
ひとりきりで

口にすべきじゃなかった約束が
あまりにもたくさんあった
今ならわかる あなたを愛することの代償を
今や離婚の話をしようとしている
私たち結婚さえしなかったのに

ひとりきりで
またひとりに
もう一度
私だけで

誰も簡単だとは言わなかった そうね
でもとても簡単だったこともあった

私は愛を信じていた
今ここに立ちながら
どうして?って思う

私はひとり
どうしてこんな終わり方なの?
こんなはずじゃなかったのに
私ひとりで
始めからやり直せたらと願ってる

何度も
言えたはずなのに
君を失うこと
それはナイフで切られるよう
君が去ると 僕の人生も行ってしまった
君なしでは生きたくない

ひとりで
こんな終わり方じゃなかったのに
ひとりで
やり直せたらと願ってる
ひとりで
一人きりで夜を過ごすなんて夢にも思わなかった
たったひとりで
ひとりで
自分の居場所を探さなきゃ
もう一度強くなる術を学ばなきゃ
一人きりで夜を過ごすなんて夢にも思わなかった
たったひとりで
ひとりで
ひとりで

自分のものだったものを取り戻さなくちゃ
心がその時だと告げている
自分は再び輝けると信じている
ひとりで
自分を信じている  (拙訳)

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 前回ご紹介した「If Only You Knew」でブレイクのきっかけをつかんだパティ・ラベルでしたが、レーベルのフィラデルフィア・インターナショナルはその流れをうまくつかむことができませんでした。1970年代に一世を風靡した大ヒットプロデューサー、ギャンブル&ハフは80年代の流行とうまく噛み合うことができなかったのでしょう。次のアルバム「Patti」(1985)はセールス的に大きく失敗しました。「If Only You Knew」を書いたデクスター・ワンゼルとシンシア・ビッグスの曲を1曲も使わなかったこと(デクスターは1曲プロデュースはしていますが)は個人的に疑問が残ります。

 しかし、彼女は”よそ”では活躍し始めまていました。ボビー・ウーマックのアルバム「Poet II」(1984)では冒頭の3曲でデュエット、見事な歌いっぷりを聴かせてくれています。

 R&Bチャート3位「Love Has Finally Comes At Last」

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 そして、エディ・マーフィー主演の大ヒット映画「ビバリーヒルズ・コップ」 のサントラに参加し「New Attitude」が全米17位のヒットになり、80’sの打ち込みサウンドと彼女の予想もしなかった相性の良さを知らしめることになりました。 

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 その追い風の中、レーベルをMCAに移籍して1986年にリリースしたアルバムが「ウィナー・イン・ユー(Winner In You)」。80’sサウンドに変えたことが大きかったのでしょう、見事に全米1位になりました。ソウル・ディーバの最高峰、アレサ・フランクリンも前の1985年に「フリーウェイ・オブ・ラブ」で思いっきり80’sサウンドにシフトしてヒットを飛ばしていますから、そういう流れもあったのだと思います。

 そして、アルバムからの最初のシングルで、彼女のソロとして初めての全米NO.1ヒットになったのがこの「オン・マイ・オウン(On My Own)」でした。

 作曲したのがバート・バカラック、作詞はこの当時彼の奥さんでもあったキャロル・ベイヤー・セイガー。1960年代に作詞家ハル・デヴィッドとのコンビで「雨にぬれても」他にも数々の大ヒットを飛ばしたバカラックは、キャロルとタッグを組んだことがきっかけで、1981年のクリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme (Best That You Can Do))」などのヒットで第2のピークを迎えていました。1985年には「愛のハーモニー(That's What Friends Are For)」(ディオンヌ・ワーウィックスティーヴィー・ワンダー、グラディス・ナイト、エルトン・ジョン)が全米1位の大ヒットになっていました。

 パティとバカラックとはかなり意外な組み合わせですが、彼女と同い年のソウル・ディーヴァ、グラディス・ナイトが「愛のハーモニー」で再び脚光を浴びた、ということもきっかけとしてはあったのかもしれません。

 バカラックは曲を提供するだけの予定でしたが、プロデューサーのリチャード・ペリーが曲に乗り気じゃなかったため、バカラック本人がアレンジ、プロデュースすることになったなんて逸話がネットを調べると出てきました。 

 Songfactsというサイトにはキャロル・ベイヤー・セイガーは、バカラックがヒットするメロディを書いたとは思わなかったため、歌詞を書くのを後回しにしていたという記述があります。

「彼女は自伝『They’re Playing Our Song』でこう振り返っています。
”最後には、彼をなだめるために書いたんです。彼が“On My Own”というタイトルも考えていて、彼にとって曲に彼の使った言葉が乗るのは珍しいことでした。”」

「でも歌詞を書き始めると、私は次第に好きになりました。ひとつには、バートのメロディは今回は私が歌詞をのせるのに十分な余裕があったからです。」

 また、当初はパティが一人でこの歌を録音しましたが、出来上がりにどうも納得できなかったので彼女のチョイスでマイケル・マクドナルドとのデュエットになったそうです。パティがレコーディングしたものに、後からマイケルが歌うという”擬似デュエット”、こういう形式は古くはマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」など、それほど珍しくはないものですが、彼女はフィラデルフィア、マイケルはロスアンジェルスでレコーディングという、コロナ以降の主流になった”リモート”レコーディングの先駆けでもあったというわけです。

 マイケルのこの曲でのボーカル・レコーディングについて「People」誌にこういうふうに語っています。

「”パティは本当に圧倒的なライブ・パフォーマーで、即興の芸術家なんだ。彼女は同じ曲を二度と同じように歌わない。いつもその瞬間にメロディや曲のフィーリングを創り出していて、その力は本当に素晴らしい”と語っています。”僕はアドリブが得意な方じゃないからね。正直、スタジオで彼女と一対一でマイクの前に立って競う必要がなかったことにはホッとしたよ!”

 ラベルが自分のパートを録音したあと、マクドナルドは”彼女の歌をベースに自分の歌を組み立てた”と言います。それは”その場で勝負するより、自分の才能を生かすベストな方法だった”と感じているそうです。”そのおかげで、あとで彼女と一緒に歌うときにどう表現すればいいか、いくつかアイデアを得られたと思う”と振り返っています。」(people.com 2024 5/22)

 対等にぶつかり合うデュエットではなく、パティが歌ったテイクをもとにそれをサポートするようにマイケルが歌ったんですね。

「オン・マイ・オウン」は、バカラックのパートナーの作詞家、キャロル・ベイヤー・セイガーはヒットすると思わず、詞曲ができたあとは、プロデュースする予定のリチャード・ペリーもヒットすると思わず辞退した、そんな曲だったんですね。

 そして、この曲を気に入ったパティ・ラベルはレコーディングした後、その仕上がりにピンと来なかった。そこにマイケル・マクドナルドが加わったことで、ピースが見事に埋まり、ヒット・レコードになったわけです。

 マイケル・マクドナルドを選んだことがよかったんですね。熱唱型の黒人男性R&Bシンガーだったら結果は違ったのかもしれません。これは僕の勝手な推察ですが、同じバカラック作の「愛のハーモニー」がルーサー・ヴァンドロスの代わりにエルトン・ジョンを起用したことでうまくいったという前例が、参考になっているように思います。

 歌がいいからヒットする、実はそんなことはないんですよね。誰が歌うか、どのようにアレンジするか、それが命運を握っています。例えば、このブログでご紹介しましたが、カーペンターズの名曲「遙かなる影(Close to You)」もリチャード・カーペンターがアレンジして、カレン・カーペンターが歌うまでは、複数の歌手が取り上げた<売れなかった曲>だったんです。(僕自身、20年以上いろんな作曲家のマネージメントをやってきたので、作曲家のデモがシンガーとアレンジでガラッと変わる(いい意味の場合も悪い意味の場合も両方あります)という経験をたくさんしてきました)

 この「オン・マイ・オウン」も<売れなかった曲>なる可能性はあったような気がします。例えばリチャード・ペリーが乗り気じゃないのに渋々制作しちゃた場合とか。でも、この曲を大切に思っていたバカラック本人がアレンジ、プロデュースし、パティ・ラベルが自分だけの歌に満足せずマイケル・マクドナルドとのデュエットを思いつき、マイケルもパティのヴォーカルに配慮しながら適切なヴォーカルを録音した、そういった”粘りつよい”積み重ねが勝因だったんじゃないかって思うんですよね。

 最後はこの曲の録音は”リモート”でしたが、その後二人は何度かステージで”対面”でパフォーマンスしています。そのうちの一つを。

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