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「ロンリー・フリーウェイ(Don't Talk)」 ラリー・リー(Larry Lee)(1982)

おはようございます。今日はラリー・リーの「ロンリー・フリーウェイ(Don't Talk)」 です。

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Sometimes it feels like
We lack communication
I know you feel like
You need a long vacation
When you've had enough
And you say this isn't love
You know it ain't true
(I've heard it all before)
I know it too
(Not worried anymore)

Don't talk - we can touch
Don't talk 'cause words never can say enough
Do what you want but
Don't talk - I'd rather we touch
Don't say anymore, we've already said enough
Do what you want but don't talk

I never mastered
The art of conversation
So you'll just have to
Use your imagination
I know you won't mind
When we make up one more time
We've been thru a lot
(We've shared it all together)
So we gotta stop
(It's better late than never)

Don't talk
We can touch
Don't talk 'cause words never can say enough
Do what you want but
Don't talk
We're staring at the ceiling
Conceal our thoughts, our feelings
Now all that's left to do is
Show my love for you so

Don't talk
We can touch
Don't talk 'cause words never can say enough
Do what you want but
Don't talk
I'd rather we touch
Don't say anymore, we've already said enough
Do what you want but
Don't talk,
We can touch
Don't talk 'cause words can never say enough
Don't talk

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時々感じるんだ
僕たちはコミュニケーション不足だって
君が長い休暇が必要だって感じてるのはわかってる

君が「もう限界」だって言って
「これは愛じゃない」って言うとき
それが本心じゃないことも君もわかってるね
(その言葉は何度も聞いた)
僕もわかってる
(もう心配してない)

話さないで 僕らは触れ合えるんだ
話さないで、言葉では十分に言い表せないから
好きなようにしていいよ、でも
話さないで ふれあう方がいい
もうこれ以上言わないで、もう十分話したから
君の好きにすればいいけど、話さないで

僕は決して身につけなかった
会話の技術ってやつを
だから君は
想像力を使うしかないんだ

君は気にしないだろう
僕たちがもう一度仲直りするときに
僕たちはいろいろ経験してきた
(すべて一緒に分かち合ってきた)
だからやめなきゃいけない
(遅くても、やらないよりはいい)

話さないで 触れればいい
話さないで、言葉では十分に言えないから
君の好きにすればいいけど
話さないで

僕たちは天井を見上げて
思考も気持ちも隠してる
今できることはただ一つ
君への愛を示すこと だから

話さないで 触れればいい
話さないで、言葉では十分に言えないから
好きにすればいいけど
話さないで 触れ合いたい
もう言わないで、もう十分話した
好きにすればいいけど
話さないで 触れればいい
話さないで、言葉では決して十分じゃない
話さないで         (拙訳)

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  ラリー・リーが今月11日に亡くなったことをSNSで知りました。AOR好きの僕からしても当時あまりにポップで爽やかすぎてためらいすら感じさせたこの「ロンリー・フリーウェイ(Don't Talk)」とそれが収録されたアルバムを知っているくらいだったのですが、ふと彼の歩みが気になって今回調べてみました。

  彼は1947年、ミズーリ州スプリングフィールドで有名なビッグバンドの歌手の一人息子よして生まれ、12歳からロックンロールバンドでドラムを叩き続け、大学を中退するとすぐに彼のバンドはUSO(米軍慰問団)のツアーに選ばれベトナムに派遣されたそうです。その経験のあと、彼は徴兵された際、生き残れる可能性が高いと考えて、陸軍に2年間行くよりも海軍に4年間入る方を選びます。そして、プエルトリコに駐留していた頃に基地内に礼拝堂があったことがきっかけで曲作りを始めたそうです。

「礼拝堂の前にピアノがあったんです。降りて行って蓋を開けて、指でいくつか音を弾いてみました。それまでピアノを弾いたことは一度もなかったんです。海軍にいた最後の2年半は、週に2回くらいピアノに行って、楽譜が読めなかったのでコードを練習していました。家に帰る頃には、20曲くらいは書いていたと思います。」(SPIN November 5, 2024)

  1970年に軍を離れた後音楽活動を開始した彼は、1972年に オザーク・マウンテン・デアデビルズ(Ozark Mountain Daredevils)に加入します。そして、バンドはビートルズストーンズ、レッドツェッペリンなどのエンジニアを務めたプロデューサー、グリン・ジョンズと出会い、彼のプロデュースのもと1974年にデビュー。1975年にはラリーが書いた「Jackie Blue」が全米3位の大ヒットになりました。

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 ラリーはこの曲のヒットはグリンのおかげだと語っています。

「彼は『ジャッキー・ブルー』を『ジャッキー・ブルー』にしてくれました。彼は歌詞を変えさせました。別のテーマだったからです。そして彼の言う通り、ずっと商業的な曲に仕上がったんです」(SPIN November 5, 2024)

 歌詞のテーマの変更とはどういうものだったのでしょう?実はこの歌は彼の知り合いだった男性の麻薬売人兼バーテンダーがモデルだったのですが、グリンの提案で主人公を女の子に変えたらしいんですね。そして、この曲はラジオ・ヒットになったわけでし。

 ちなみに、本国アメリカでは彼の訃報を”オーザック・マウンテン・デアデビルズ”のメンバーで「ジャッキー・ブルー」の作者”として伝えています。

 ラリーは10年所属した後オザーク・マウンテン・デアデビルズを離れ、1982年にソロ活動を始めます。そして製作されたのが、この「ロンリー・フリーウェイ」が収録されたアルバム「ロンリー・フリーウェイ(Marooned)」でした。作品はこの時代の”旬”であったAORサウンドで制作されています。ミュージシャンはデヴィッド・サンボーンTOTOデヴィッド・ハンゲイト、ニッキー・ホプキンス、レニー・カストロ、ビル・チャンプリン、リチャード・ペイジ、トム・ケリーなど錚々たるメンツが集まっています。

 この時代のAORというと、オリジナルのジャケットはだいたい地味めな風貌のアーティストのポートレイトだったわけですが、日本だけ独自に思いっきりリゾートな、もしくはアーバンなイラストか写真に変えるという手法が流行っていて、それがほぼ功を奏していました。この「ロンリー・フリーウェイ」も、同年発売の山下達郎の「FOR YOU」と同じ鈴木英人さんのイラストということもあり、”ジャケ替え”AORの代表作として必ず取り上げられるものです。

 この辺りの経緯を当時の日本のレコード会社の担当だった喜久野俊和さん(僕の上司でもありました)が記事を書いていますので、興味のある方はそちらもぜひ。インターネット以前、海外からの情報が乏しかった時代に、洋楽を日本独自のやり方でどうやって売ろうとしていたか、そんな恰好のサンプルかもしれません。側からは”遊び”にしか見えないような宣伝活動が、なんだか不思議な効果を生むような生まないような、、、それがエンタメ業界の面白さでもあったかもなあと今になってみると思います。

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 ちなみに「ロンリー・フリーウェイ」はこの曲の2年後1984年に大ヒットしたティナ・ターナーの「愛の魔力(What's Love Got to do with It)」を手がけたテリー・ブリテンが書いた曲です。全米81位、アダルト・コンテンポラリー・チャート19位という小ヒットになりましたが、レーベルが期待したほどではなかったのかもしれません、セカンドアルバムに取り掛かるくらいのタイミングで契約を切られてしまい(当時のデモ音源が日本だけでCD化されています)、その後彼はナッシュヴィルに移り、ソングライター、セッション・ミュージシャン、プロデューサーとしてジミー・バフェットやアラバマ、ジュース・ニュートンなどの仕事をしたようです。

 日本では1991年に「ロンリー・フリーウェイ」が再注目されるきっかけとなった映画がありました。中山美穂織田裕二が主演した波の数だけ抱きしめて。舞台は1982年、湘南にあるミニFM立ち上げにまつわる青春ドラマで、当時日本でAORがどんなイメージを持たれて、どんな風に聴かれていたかがわかります。劇中でもサントラでもこの曲は聴けます。

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 こういう映像を見ると、「ロンリー・フリーウェイ」は"日本人の好きなAOR"を見事に体現したような曲だったんだな、と気づかされます。雰囲気のある歌声とソングライティングの才能は持っていても、スター性やカリスマ性のない地味めなアーティストが、束の間でもスポットライトを浴びることができた、それがAORというジャンルの大きな特徴でもあったな、と思います。

 さて、その後のラリー・リーの活動を追っていくと最も興味深いのは、ビートルズ好きのアーティストが結集したバンド”Vinyl Kings(ヴィニール・キングス)”でしょう。1989年に結成した時は”The Del Beatles”という名前だったそうですが、2000年にビートルズに訴えられないようにとVinyl Kingsに変更したそうです。そこには1980年代、日本のAORファンに大変人気のあったジム・フォトグロも参加しているんです。彼らは『A Little Trip』、『Time Machine』、『Big New Life』の3枚のアルバムを残し、日本でも『A Little Trip』、『Time Machine』に2枚のアルバムをまとめたベスト盤がリリースされています。

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 日本にも杉真理松尾清憲上田雅利、伊豆田洋之らが結成した”ピカデリー・サーカス”というバンドがあってそれを思い出しました。”アメリカのピカデリー・サーカス”と呼ぶべきか。でも、ピカデリー・サーカスってロンドンの広場の名前ですから、混乱しますね(笑。

 その後彼は2006年に音楽シーンから身を引きます。理由は”私が長年親しんできた音楽業界が崩壊の淵にあるように思えたから”だと語っています。しかし、曲作りも続けており、「The HigLeeWils」というバンドで年に数回ライブも行っていたようです。

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