おはようございます。今日はバーズの「ミスター・タンブリンマン」です。
Hey, Mr. Tambourine Man, play a song for me
I'm not sleepy and there ain't no place I'm goin' to
Hey, Mr. Tambourine Man, play a song for me
In the jingle jangle morning, I'll come followin' you
Take me for a trip upon your magic swirling ship
All my senses have been stripped
And my hands can't feel to grip
And my toes too numb to step
Wait only for my boot heels to be wanderin'
I'm ready to go anywhere, I'm ready for to fade
Unto my own parade
Cast your dancing spell my way
I promise to go under it
Hey, Mr. Tambourine Man, play a song for me
I'm not sleepy and there ain't no place I'm goin' to
Hey, Mr. Tambourine Man, play a song for me
In the jingle jangle morning, I'll come followin' you
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ねえ、タンバリン・マン、僕のために歌ってくれ
眠くないし、行くところもないんだ
ねえ、タンバリン・マン、僕のために歌ってくれ
ジングルジャングルと鳴る朝に、僕は君について行くよ
君の魔法の渦巻く船で旅に連れて行って
すべての感覚が奪われて
手は握ることができず
足の指も麻痺して踏み出せない
ただ僕のブーツのかかとが歩き出すのを待っている
僕はどこへでも行く準備ができている、
消えてしまう準備もできている
自分のパレードに向かって
君の踊る呪文をかけて僕の道に
それに従うことを約束するよ
ねえ、タンバリン・マン、僕のために歌ってくれ
眠くないし、行くところもないんだ
ねえ、タンバリン・マン、僕のために歌ってくれ
ジングル・ジャングルと鳴る朝に、僕は君について行くよ
(拙訳)
*”ジングル・ジャングル”はタンバリンの音を指すものだったようですが、この曲のヒット以降はバーズのサウンドを指す場合もあるようです
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ボブ・ディランとビートルズの融合
エルヴィス・プレスリーがあんなに大ブレイクしたのは、当時の黒人音楽と白人音楽を肉体的なレベルにまでブレンドできたということが大きかったようです。ポピュラー・ミュージック(大衆音楽)では、パイオニアよりもブレンダーの方がブレイクするようです。特に”新しい感性”が既存のジャンルを融合させることで新たなジャンル、スタイルが生まれることで、進化してきたんですね。
1960年代半ばのアメリカ西海岸の音楽シーンで、新たなゲーム・チェンジャーになったのがバーズでした。それまで若者たちはフォークに夢中でしたが、一気にロックへと流れを変えたんですね。いわばフォークとロックを融合させたブレンダーですね。
その火付け役になった曲がこの「ミスター・タンブリン・マン」でした。”フォーク・ロック”という新たなジャンルが生まれたわけです。
(イギリスではアニマルズが「朝日のあたる家」で同じようなインパクトを残しています)
バーズは、1964年にロサンゼルスでロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成され、その後すぐにベーシストのクリス・ヒルマンと、ドラマーのマイケル・クラークが加入しています。
中心メンバーはロジャー・マッギンです。プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」で音楽に目覚めたそうですが、その後カントリーにも興味を持ち、ソロとしてフォーク・ミュージックを演奏するようになっていました。ギターもかなりの腕前で他のアーティストのサポートやスタジオ・ミュージシャンもやっていたようです。
そんな彼に衝撃を与えたのがビートルズでした。映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』でジョージ・ハリソンが12弦のリッケンバッカーを演奏するのを見て、マクギンはすかさず買ったそうです。自身のレパートリーにビートルズの曲を入れて有名なライヴハウス”トゥルーバドール”で演奏していると、同じくビートルズ・ファンのジーン・クラークに声をかけられ、二人でピーター・アンド・ゴードンのようなデュオを結成します。
そこに、デヴィッド・クロスビーが加わりトリオになりジェット・セット(ロジャーは飛行機、航空学が好きだったようです)と名乗り始めました。
クロスビーの知り合いで、LAのブルーグラス(スコッチ・アイリッシュの伝承音楽をベースにしたアコースティックな音楽)のシーンでプロデュース業をやっていたジム・ディクソンが、彼らに可能性を感じてマネージャーになり、自分が仕事をしていたレコーディング・スタジオを無料で使わせるなど、中古のテープでデモを録音させるなどさまざまなサポートをするようになります。そうやって、スタジオでリハを重ねていくことで彼らのフォーク・ロックのスタイルが形作られていったわけです。
その後、ドラマーのマイケル・クラークが加わりましたが、彼はルックスの良さとブライアン・ジョーンズのようなヘアスタイルが良かったので採用されたらしく、コンガを演奏した経験しかなくドラムは初心者でした。
ディクソンは自分のコネがあったエレクトラ・レコードからジェットセットのシングルをリリースする契約をとりましたが、その際、バンド名をザ・ビーフィーターズ(The Beefeaters)と改名します。お酒を飲む人はピンとくると思いますが、ビーフィーターはイギリスのジンの銘柄の名前ですよね。元々は”ロンドン塔を守る近衛兵”という意味ですから、僕の想像ですけどビートルズのようにビーから始まってイギリスっぽい名前ということでつけたんじゃないでしょうか?それくらい当時ビートルズの影響力はあったんですね
そのシングルの音源があります。
「Please Let Me Love You」
やっぱりビートルズ感はありますね。しかし、売れなかったため彼らはまたジェットセットに名前を戻します。
そして、ディクソンが彼らに歌わせようと持ってきた楽曲がボブ・ディランの「ミスター・タンバリン・マン」でした。彼が他のプロデューサーからその曲の評判を聞きつけ、ディランの出版社に手紙を書いて、デモを送ってもらったそうです。
その音源はアセテート盤(プロモーション用の非売品)かデモ・テープか不明ですが、まだ発売前で、1965年3月リリースのアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(Bringing It All Back Home)」に収録されるものでした。
これがディランのオリジナル。
また、この曲は最初ディランの前作「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」用にレコーディングされボツになっていたので、その音源をディクソンがゲットしたという説もあり、時系列的には信ぴょう性はありますね。そちらの音源はこれです。ディランが敬愛する・ランブリン・ジャック・エリオットとデュエットしています。
ジェット・セットのメンバーは当初この曲にあまり興味を示さなかったそうですが、ディクソンに説得され、バンド・アレンジでリハーサルを始めます。そして、ディクソンはディラン本人をスタジオに招き、バンドが「ミスター・タンバリン・マン」を演奏するのを聴いてもらったそうで、ディランは感銘を受け、「ワオ、すごい!この曲で踊れるじゃん!("Wow, man! You can dance to that!")」と言ったという話があります。これで、彼らも自信を持ったわけですね。その後、ディクソンはマンドリン奏者のクリス・ヒルマンをジェット・セットのベーシストとして招き、いよいよメンバーが揃いました。
そしてメジャーデビューが決まり、「ミスター・タンバリン・マン」を録音することになります。契約はシングル一枚だけで、彼らはいきなり結果を出さなければいけませんでした。
この録音でプロデューサーになったのがテリー・メルチャーです。歌手で女優のドリス・デイの息子で、ビーチ・ボーイズなど当時のサーフ・ミュージックを掘ってゆくと必ず出てくる名前で。ブルース・ジョンストンと”ブルース&テリー””リップコーズ”なんてバンドもやっていた人です。
彼はレコーディングに際して、ロジャー以外は力不足だと感じたようで、西海岸の音楽シーンの凄腕ミュージシャンいわゆる「レッキング・クルー」の面々を集めました。ハル・ブレイン(ドラム)、ラリー・ネクテル(ベース)、ジェリー・コール(ギター)、ビル・ピットマン(ギター)、レオン・ラッセル(エレクトリック・ピアノ)などがいたそうです。
そして発売するや否や全米、全英共にNO,1という大ヒットになったわけです。ディランのオリジナルがリリースされた約20日後のリリースという、カバー曲としては前代未聞の速さでした。リリース前の音源をゲットできたから可能だったわけですけど。
あらためて、バーズとディランを聴き比べると、まるっきり違う曲のように僕は感じます。本当に素晴らしいカバーです。
やはりロジャー・マッギンのアレンジが大きいでしょう。
彼はこう語っています。
「スタジオでデモを聴いて、クロスビー(註:メンバーのデヴィッド・クロスビー)が言ったんだ!俺は好きじゃないな。フォークっぽくて四分の二拍子だし、長すぎる!あんな曲、ラジオは絶対かけないよ!"って。
デヴィッドは的確なポイントをついていた。フォーク・ミュージックはしばらくトップ40から外れていた。チャートを賑わせていたのはイギリスの音楽だけで、曲は2分30秒ほどの短いものだった。
僕は 「ミスター・タンバリン・マン 」を救う方法を考えていた。12弦でバッハのフレーズを弾きながら、「イントロをこんな感じにして......ビートルズのビートに変えたらどうだろう?」と考えたんだ」 ( ibiblio.org)
まずロジャー・マッギンという才能があり、そこにメンバーが集まり、彼らのフォーク・ミュージックとビートルズを融合させようという試行錯誤の土台がまずあって、そこにジム・ディクソンの絶妙なサポートと目利き(ミスター・タンブリンマンを選曲したわけですから)が加わり、そして仕上げにポップスに強いテリー・メルチャーが凄腕ミュージシャンを連れてきた、という、本当に理想的な流れが生まれたわけですね。
それにしても、「ミスター・タンブリン・マン」って誰なんでしょう?調べてみると、ブルース・ラングホーンというフォーク・ミュージシャン/セッション・ギタリストの可能性が高いようです。ディランのレコーディングで、(プロデューサーの)トム・ウィルソンが彼にタンバリンを演奏するよう頼んだ時に、彼は巨大なタンバリン(トルコのフレームドラム)を持っていて、それを演奏している姿がディランの脳裏に焼き付いていたと言われています。

とはいえ、ブルースの本業はギターで「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(Bringing It All Back Home)」にも参加し、ギタリストとして重要な役割を担っていたそうですが、自分がミスター・タンブリン・マンダとはずいぶん後になって知らされたそうです。
