おはようございます。
昨日このブログに登場したジャニス・イアン。彼女の曲の中で僕が一番好きなのがこの「哀しい妖精」です。
南沙織は沖縄生まれ沖縄育ち。転居が多かったようですが、どこも普天間飛行場の近くだったそうです。幼い頃からインターナショナル・スクールに通っていたこともあり、バイリンガルとして育ちました。
彼女は沖縄の琉球放送ののど自慢番組のアシスタントのバイトをしていたときに、ゲストで呼ばれていたアーティストの事務所の人間の目にとまり、彼女の写真がレコード会社に渡ったことがきかっけでデビューが決まります。
レコード会社で彼女を担当した酒井政利氏はこう語っています。
「彼女は一見素朴なんですけど、ちゃんと自分の主張を持っていて、しかも言葉が綺麗でした。そういう意味ではアイドルというよりアナウンサーに近い。作詞に有馬(三恵子)さんを起用したのは、知的で理屈っぽい詞が合うのではないかと考えたからですが、”南沙織”という芸名も有馬さんの提案でした。作曲の筒美京平さんとは英亜里(はなぶさあり)やフォーリーブスで仕事をしていましたが、京平さんと組めばポップス感覚に富んだ新しい音楽を作っていけると思ったんですね」
(濱口英樹著「ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛け人」)
そうして作られたデビュー曲が「17歳」。ジャニス・イアンとは”17歳つながり”なんですね、、。発売が1971年6月、オリコン2位の大ヒットになりました。
この曲には”元ネタ”があることが知られています。リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」。1969年に全米3位まであがった大ヒット曲です。
Lynn Anderson - (I Never Promised You A) Rose Garden (Audio) (Pseudo Video)
ちなみに、この曲のオリジナルは男性シンガー・ソングライター、ジョー・サウス。
キーとなるフレーズ”I never promised you a rose garden”(君にバラの園を約束したことはない)というのは、たとえば奥さんや恋人から”イメージしていた生活とは違う”と、責められた時に言い返す言葉のようです。
それを女性のリンが歌うという面白さも、この曲にはあったのかも知れません。
「17歳」の作曲は筒美京平、プロデューサーは山口百恵、郷ひろみなどで知られる酒井政利ですから、彼らが”仕組んだ”ものだと僕は思っていたのですが、違っていたようです。
彼女の現場ディレクターを務めた小栗俊雄氏は
「顔合わせをした後に彼女が歌える曲を京平さんのピアノ伴奏で歌ってもらったんですが、それが『ローズ・ガーデン』でした」
「その場に居合わせたスタッフはみんな『いいですね。こう言う感じの曲でいきたいですね』と言っていましたから」
(濱口英樹著「ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛け人」)
まだ16歳だった彼女が、唯一歌える曲が「ローズ・ガーデン」というのは驚きです。
生まれ育った環境の影響が大きかったのでしょうが、彼女はもともと洋楽が強く刷り込まれていた人だったわけです。
酒井氏はこうも語っています。
「曲のテーマに関しては、彼女のリアリティを引き出すために、少しでも時間があれば本人と話をして、たとえば『東京でまだ友達ができない』と聞けば「ともだち」という曲を作るとか、彼女がその時々で感じていることを歌にしていきました。」
現在のアイドル・ポップスのルーツの一人だと定義されることもある彼女ですが、その活動は大人たちから100%押し付けられたものではなく、スタート時点から彼女の意思や個性も尊重され反映されていたんですね。
そう考えると、彼女がジャニス・イアンの曲を歌った理由は、まず彼女自身が好きだったことが大きかったのではないかと推測します。両者とも同じレコード会社(CBSソニー)だったので、企画も進めやすかったはずです。
そして、この曲のリリースした3ヶ月後に彼女は、ジャニスの曲が6曲入った「ジャニスへの手紙」というアルバムをリリースしています。
オープニングは「哀しい妖精」の英語ヴァージョン「I LOVE YOU BEST」。ジャニスが彼女に曲を書いた時に歌詞もすでにつけられていて、それを歌ったものです。
「哀しい妖精」の歌詞を書いたのは松本隆です。当時のTV番組のクレジットは”訳詞”と表示されていましたが、ジャニスの原詞とはまったく別のものです。
「いくつの手紙出せば〜いくつの涙流せば〜」という歌詞を、ボブ・ディランの「風に吹かれて」(" How Many〜”)へのオマージュだと、指摘されている人がいて、それは深くうなづけます。
「ジャニスの手紙」にはその「風に吹かれて」も収録されていて、彼女の好きな歌だったと思われるからです。反戦歌とも解釈されることのある「風に吹かれて」ですが、日本に返還される以前の沖縄で、しかも基地の近くで育ち、バイリンガルでもあった彼女は、当時の日本の数多の反戦フォークシンガーとはまた違ったニュアンスでこの曲を受け取ったのかもしれません。
また、松本隆はこの「哀しい妖精」の少し前に、彼の出世作である「木綿のハンカチーフ」を書いていますが、歌詞の構成はボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」から着想を得たと言われています。
それを考え合わせると「哀しい妖精」の”いくつの〜”は「風に吹かれて」の”How Many〜”を意識したものだという確率は相当高いように僕には思えます。
とにかく、今あらためて「哀しい妖精」や「ジャニスへの手紙」を聴き直してみると、当時の他のアイドルや歌謡曲のシンガーと、彼女は明らかに”質が違う”ことに気づかされます。
(「哀しい妖精」と「ジャニスへの手紙」全曲を手がけた萩田光雄のアレンジも素晴らしい。「哀しい妖精」について萩田氏は自分は”ギター系のアレンジャー”なので、フォークのイメージが出ることがあって、この曲もそうだ、と語っています)
当時”ブラウン管”を通して見ているだけでは、それほど大きな差は感じなかったわけですが、、。
いま僕が思うことは、彼女は女性アイドルの先駆けというより、むしろ、竹内まりやの先駆け的存在(変な表現ですみません!)だったんじゃないかということです。
バイリンガルのシンガーとして洋楽ポップスの影響の強い日本のポップスを大衆に届けていったという。
そんなことを考えるのは僕だけかななどと思いながら、ネットをいろいろ見ていたら、竹内まりやが雑誌のインタビューで撮影を担当した篠山紀信に
「実は昔、篠山さんの奥さまの南 沙織さんと人違いされたこともあるんですよ!」と語っていたのを見つけました。お二人は雰囲気も似ていたんでしょうか。
この「哀しい妖精」は彼女自身、自分のレパートリーの中でも特に好きなものだったらしく、それを聞いた松本隆も非常に喜んでいたそうです。
名曲なのに意外にカバーされないなあと、内心ずっと不満に思っていたのですが、調べてみたら2018年にいきものがかりの吉岡聖恵がカバーアルバム「うたいろ」 でこの曲を取り上げていました。
この曲も良かったですね。「春の予感‐I've been mellow‐」
<追記>
ジャニス・イアンの「I LOVE YOU BEST」(哀しい妖精)のデモが2023年リリースの「Worktapes & Demos, Vol. 1」に収録されています。
「哀しい妖精」収録のアルバム
配信はこちらから
英語ヴァージョンの配信はこちら
<広告>

<PR>