id:elatedさん主催夏休み企画「アルジャーノンに花束を」の読書感想文を書こう!にわたしも参加させていただきます。
「アルジャーノン」を読むのは小学生の時以来ですが当時と全く違った感想を持ちました。
小学生の時は主人公のチャーリィの知的障害が手術によって解消され知能が天才レベルに引き上げられたのに最終的には…と言う悲劇として読んだのですが、今回は愛についての物語として読みました。
作品を通して、チャーリィは愛を求めるのですが成就することはありません。幼少期は知的障害ゆえに母から虐待され、妹に疎まれ、一見チャーリィに理解を示す父も母の脅迫に屈しチャーリィを家庭から引き離します。
チャーリィを加護してくれたハーマン伯父さんも亡くなってしまうしチャーリィを生涯に渡ってめんどうを見ると覚悟していたはずのパン屋のドナーさんも結局他の従業員を取ります。
チャーリィは知的障害があろうが天才になろうが愛されない。
それは恋愛において顕著で、フェイとは利害関係が一致した間柄でしかないし、アリスとの恋はアリスが求めた知的水準でのみ成立するかりそめのものでしかありません。
かと言ってチャーリィが他者を愛したかと言うとそうとも言えません。ひたすら愛を求めますがチャーリィ自ら献身的な愛を示すことはなかったように思います。
ではチャーリィが悪いのか?他の人間が悪いのか?と言うとそうではなく、そもそも愛と言うのが容易には叶わないままならぬものなのでしょう。
しかしながら、チャーリィが最後、自らウォレンの学校に行くことを望んだことが愛の一端を示しているような気がします。チャーリィははじめ、何も知りませんでした。手術によって知りうる限りのことを知りました。ラストのチャーリィは再び知能は低下しているものの、以前何かを知っていたことは理解しています。そしてそのことに満足したのです。満足して、もう自分に手に入らないこと、自分が成し得ないことを望むことはなくなるのではないでしょうか。それは自己受容であり、愛の、ある一つの形とも言えるでしょう。
つらつらと書きましたがこんなに分かりやすい話でもなかったんだよなあ笑もっと余韻のある話だと思うのですがわたしの読解力ではこれぐらいしか書けません…