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ある晴れた日に映画館でサイコスリラーを

 ここ数年、パンデミックと、Netflix ほかストリーミング・メディア・サーヴィスの勢い拡大により、イーサン・ホークを映画館で見る機会が減ってしまいました。最後に見たのは『テスラ』(2020)です。イーサン・ホークがみょうちきりんでした。

 久しぶりの話題で恐縮ですが、私はイーサン・ホークが好きです。イーサン・ホークの出ている映画が大抵、私にとって「いい湯加減」だからです。

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 上記の鑑賞記録を見て思いだしました。私『フッテージ』(2013、スコット・デリクソン監督、イーサン・ホーク主演)を DVD でもっているのですね。驚きました。なんで……。『フッテージ』のことをみなさま、覚えていらっしゃいますか? 覚えてらっしゃらなくても何の問題もありません。別に空前の大ヒット作とかいうわけではないので。冴えない作家のイーサン・ホークが「俺は次の本でいっぱつぎゃくてん」と野心を抱いて事件現場になった家に引っ越してくるのです。みんな反対したのに。そこんちに残されたフッテージ。元事件現場の屋根裏部屋にそんなものを見つけたら警察に一応相談したうえで、さっさとまとめて不燃ゴミに出すべきなのに、見るイーサン。きゃー。見えないものを恐れるイーサン。きゃー。見えるものにはもっと怖がるイーサン。きゃーー。と、いちいち「きゃー!」と飛び上がって悲鳴をあげるイーサン。私も怖かったし「ひゃー」とか「やめて〜」とか言った。そんな、自分でも好きかどうかわからない映画の DVD(メーカー希望小売価格 1200 円)をどうして買ったのでしょう。

 好きなのかな? 

 それはさておいて、今見たい映画は『落下の王国』に『羅小黒戦記 2』、それと『悪魔払い株式会社』です。『落下の王国』と『羅小黒戦記 2』は公開してからちょっと経つので、急いで見に行くべきなのです。が、そんななか、久しぶりに劇場でイーサン・ホークを見られる機会があるのなら、別に「雨子、イーサン、好き〜!」とかいう種類の勢いではないが、年に一度くらいは見ておきたいという程度ではあるが、事実、見ないと気が収まらない。というわけで最優先で『ブラックフォン 2』を見てきました。

まだだれもいない映画館の客席を撮った写真

おひさしぶり〜!

 おもしろかった。

 おすすめです。

 四年前の連続誘拐事件で生きのこったフィニーと、その妹グウェン。同じ誘拐事件の被害者だったロビンの弟、アーネスト。この三人が、別の行方不明事件にたどりついてしまう。

 氷った湖、壊れた公衆電話、吹雪で封鎖された山小屋、三人の行方不明者。

 死者から電話がかかってくる。

 死者とつながるラインはふたつあって、ひとつは壊れた電話で、もうひとつは夢。兄が電話で死者と話しているとき、妹は夢を見ている。そこでフィニーが死者から仕掛けられているのは、「妹を守れず死なせてしまう」という呪い。フィニーはグウェンを守ろうとして必死になる。そして、逃げだそうとする。グウェンは、どこかにいる三人の行方不明者を見つけないかぎり、悪夢が続くと知っているので、逃げようとしない。そして、「俺はお前を守らなきゃいけない!」と無理矢理逃げようとする兄に言い放つ。「自分も守れないくせに!」。

 言い忘れましたが、前作『ブラック・フォン』もすごくおもしろいのです。おすすめです。冒頭の、だれが主人公かわからない感じが重いです。犯罪被害者になってしまうことの、意味のなさ。被害者の立場におかれてしまうことに、必然性があるわけじゃなく、トラブルは勝手に向こうからやってくる。だれがいつどこで標的になるかわからない。その理不尽さが丁寧に描かれています。なんて嫌な、丁寧な仕事。でも真実。「どうしてこの人がこんな目に」と思うような目に誰かが遭ったとき、原因は被害者の方に求められがちです。たまたまそこにいただけの人に降ってきたトラブルが、その人を対象として求めた理由があるはずだと、その予断をもって現実は勝手に組み替えられていく。被害者本人でさえも、「自分が悪かった」と思い込んでケリをつけようとする。でも、事実はそうじゃない。圧倒的な理不尽がそこにあるだけ。そういうことが、じっくりと、しかしさりげなく描かれ、かわりに、物語上ありがちなめんどうな言い訳や嘘や方便はなく、清潔さを保ったまま、ラストに至ります。

 フィニーは四年前、たままた連続誘拐殺人事件に巻き込まれ、監禁され、たまたま生きのこった。

 前作はきちっと終わりました。

 でも、「この子たち、このあとが大変……」と心配になりました。監禁生活で、事件で傷ついた身心をどうして癒していけるのか、立ち直っていけるのか、先がうまく想像できない終わり方でした。その兄に併走していた妹についても。また、この事件の遺族達も。

 今作は、前作で生じているこの「おわらなさ」からちゃんと始まっています。フィニーは恐怖から逃げるために、怒りをふりまき、大麻を吸います。理路としては、恐怖に向き合わない限りは怒りでごまかす人生を送ることになる、ということになり、それはそうなのですけど、フィニーはそのスタート地点にどうしても立てません。かれの主体性が迷子になったまま、フィニーは「妹を守れ」という命令にすらすがります。その題目を盾に逃げようとしたときに、グウェンが「自分を守れ!」と突いたのでした。

 この映画には、ちゃんと時間が流れていて、それも好きなところでした。

 フィニーの時間、グウェンの時間、アーネストの時間。行方不明になってしまった三人の時間、行方不明者を出してしまった山小屋の時間、毎日かれらを探し続けたマンドの時間。そのマンドの時間が見えたとき、私の胸のつかえがどん! と突かれて、そこからずっと涙がとまりませんでした。

 劇場から出て、駅の改札を通り、ホームに立ち、電車に乗り、乗り換えてまた乗って、そして最寄りの駅まで帰ってきたとき、まだ涙が止まっていなかったので、花を買いました。

花束の写真

もうすこし正確に言うと、ぼんやりしていて押し売られた

 その花は一週間以上経った今も元気です。

バラの写真

お花、ひらきました

 そうです。

 一週間前のことでしたが、私はまだふるえています。

 よかったなあ。

🎦 おわり 🎥




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