自分以外にあるじをもたないみなさま、おはようございます。

この一週間も毎日毎日大変でしたが、ついに日曜日さんがやってきてくれました。一日、日曜日さんをよろしくお願いいたします。

ざべすは先日、石見銀山をお散歩しました。今日はその記録を公開します。
出雲市駅から浜田方面行きの電車に乗りました。

車内は日よけのカーテンがひかれ、居心地のよいリビングのようです。


車内はみなさんマスクで、とても静かだったので、ざべすもきちんとしていました。でも、

海が見えたので、わくわくしてしまいました。
山陰本線は車窓から見える風景がとにかくきれいで、こんなにきれいなところを電車がうねうねと通っていくのかと不思議でした。鉄道を敷いたことにより栄えたというよりは、もともと人々がいてその営みと歴史と文化のあるところに、後から鉄道がやってきたということがよく目に見える風景で、ざべすはそれがおもしろいと思って眺めていました。

40 分ほどの山陰本線旅、ずっと乗っていられそうでした。

ここ、大田市駅から岩見交通のバスに乗り換えて大森代官所跡バス停を目指します。
大森代官所は、石見国邇摩郡や安濃郡、更には飛地である美濃・鹿足郡内の鉱山を含めた四万五千百万余石の天領、石見銀山附御料を支配する役所。諸国に数多存在する天領の中でも、この代官所は江戸幕府開闢以前からの銀の産出地である仙ノ山を擁し、日々、掘り出される銀の生産管理はもとより、その搬出や輸送にも目を光らせる重要な任務を担っていた。
澤田瞳子の小説『輝山』より
ふむ!
まずはその代官所に行くのですね。
と、ここで雨子より不確定情報。雨子はこの日、持ち前のそそっかしさを発揮して朝っぱらから「お手洗いでハンケチを落とす」という憂き目に遭っていました。それで、大田市につくや「ハンケチ買ってくる」と売店へいそいそと行きました。そのお店の人が観光案内もかねていて、旅行客に「石見銀山に行ったら食事もできる?」と聞かれて「それほどたくさんお店があるわけではないので、お店が目に入ったら、もう、そこで召し上がってしまった方が無難です。カフェもありますが、みなさんが『カフェ』で想像されるようなカフェではないかもしれません……」と心苦しそうに言っていたと言うのです。これは大変なことになりました。なぜならもう、お腹が空いていたからです。
それでも、知らない町で知らない路線のバスに乗って車窓を眺めているとどんどん期待が高まっていきました。

バス停のそばにおそば屋さんを発見しました。さきほどの不確定情報にしたがって、散策前にまず、おそばを食べようということになりました。


ざべすは割子そばを初めて食べました。写真向かって左の、薬味がのった丸いおわんの下におそばが二枚、入っていて、そこに薬味やつゆをかけて食べるのです。すっごくおいしかったです! おそばはおそばの味が濃厚だし、食べ方もおもしろいし、ざべすは満足しました。

いよいよ散策開始です。まず、自転車をレンタルします。自転車のほかに、「ぎんざんカート」という乗り物もあって、お店の人に運転してもらって散策する方法もあるようです。ざべすたちは、雨子と雨夫がこぐ自転車のカゴに乗ることにしました。

ところで、石見銀山が世界遺産に登録されたころ、一度ざべすたちの旅先として候補に挙がったことがあります。しかし、受け入れ可能な状況をこえて大勢のお客さんがいちどきにみえて、今、石見銀山は大変だというお話を伝え聞きでうかがいまして、「じゃ、もうちょっと落ち着いてからにしよう」ということになりました。今回来てみたら、町はすっかり落ち着いていて、静かで、みなさんごく当たり前に暮らしておいででした。その、町のみなさんが暮らして働いておられる町をぴゅーっと自転車でどこまでもどこまでも駆けていくのはなんだか不思議なことでした。


あっ、猫だ!




この辺りで、雨子が「暑い」とも言わなくなり、限界を感じたので、何か冷たいものを飲ませることにしました。

見つけたお店はきれいで涼しくて静かで、深呼吸いっぱいしました。




もちろん、いただくのはパフェです!

葡萄たっぷりで、アイスもゼリーもみんなみんなおいしくて、ひとくちひとくち「おいしいっ!」と言わずにいられませんでした。

すてきなカフェで緑を眺めながらパーフェクトなものをいただいて、元気いっぱいになりました。

あっ、猫だ!

ぎんざんカートの停車場で猫さんが休んでいます。

振り返ると、木陰で休んでおられる猫さんもいました。


石見銀山は戦国時代から江戸時代にかけて銀をほってほって掘り続けたので、「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道が 700 以上もあるそうです。なかでも龍源寺間歩は常時見学できる貴重な場所です。ざべすたちの気持ちもひきしまります。

言い忘れましたが、この入り口の前に立っただけでもう涼しかったです。入る前から涼しさに感動して「もう出たくない!」と思いました。
でも、中はちょっぴりこわいのです。

このとき、雨夫が、銀山に入って働いた人は三十代になると体をこわしてしまい、四十代を過ぎて生きていられる人はまれだったそうだよという話をしました。ざべすは、うんと辛いと思いました。

あっちこっちに、「ここをこんな風に掘って行ったんだ」と驚くような、小さな坑道跡がありました。


もう今は閉山になっている銀山。
……。

石見銀山のこと、城に帰ったらすこし勉強しようと思いました。


間歩の中と外とではまるで空気が違いました。あついけど、外に出るとほっとした部分もあります。

間歩までは登りだったので、帰りは下り。ぴゅ〜〜〜っと自転車で降りるとすっごく気持ちよかったです。

せっかくですから、あの階段を登ってみることにしました。

階段を登ると、すてきなところに出ました!



この、赤い瓦屋根の間を今、自転車で行ったり来たりしたのだなあと思うと、不思議な気持ちがしました。

ここが 1970 年ころには廃屋がならぶ、寂しいところになってしまっていたなんて。修復と整備をへて、今は丹念に維持されているようです。ここに流れた、銀の最盛期、だんだん減っていった時期、そして採れなくなっていった時期の複雑な時間。その間に、たくさんの人たちが堀子として働いて、斃れていったんですね。そして今は今の時間が流れています。

自転車、ちょっと時間が過ぎてしまったのですけど、お店の方々は笑顔で「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と見送ってくれました。ありがとうなの。
あっ、猫。



そして、ざべすたちは石見銀山にわかれを告げたのでした。
ばいばい、また来るからね。
山に囲まれた小さな町にぎっしりと赤い瓦屋根のおうちが並んでいて、その奥にぽこぽこと坑道が口を開けていたところを思い出します。ふう。
城にもどってからこれを読みました。
主人公が生きるために文字を学んで、それで働いて、そして子ども達にも学ぶ場所が必要だと気づいていくところがおもしろかったです。
知識が得られないのは、学ばせてもらえないのは、ほんとうにひどいことだと思うからです。
おわりです。
また来週お目にかかります。みなさん、お水飲んで、ごはん食べて、寝られるときには寝て、体に気をつけてくださいね。
🗻 ちぇりおですわ 🚴