はてなブログ、今週のお題は「いらないものは捨ててしまおう!」だそうです。
私は今朝、飲み干した日本酒の瓶を捨てるついでに、「旅先でもらったジュースの空き瓶(きれい)」「電球型のプリン容器(きれい)」「メロンジュースが入っていた瓶(きれい)」を捨てようとして、やめました。飾りました。
私にはこのお題は永久に分不相応です。
なにも捨てず、大好きな 5 月が行きました……。ばいばい。


5 月に見た映画は以下の通りです。★が映画館で見たもの。
『Fanfare / Born to Cry』は BS 松竹東急で『蒲田行進曲』をやっていたので大騒ぎしながら見て、「ああ、びっくりした」「ああ、たいへんな映画だった」と余韻から抜け出せずにいたら何のことわりもなく始まったのです。感情をコントロールできない人には行政から指導が入る社会が舞台で、主人公はすぐ泣いちゃうってことで、指導が入りました。気持ちが昂ぶるたびに吹奏楽団がかけつけて "Samba De Janeiro" を演奏されてしまうのです。からかわれてむかっとくると、すかさず "Samba De Janeiro"、好きな人と話して胸が高鳴ると"Samba De Janeiro"。演奏されたくなければ平常心を保て、的なことのようなのですが、主人公は一日に何度も"Samba De Janeiro" を演奏されて気が変になりそうです。そもそも、恋をしているのに……。
短編映画なので、すぐ終わってくれてよかったです。見ている間にこっちの気まで変になり、笑いが止まらなくなって大騒ぎでした。
『来し方行く末』はすっごくよかったです。物語が書けない脚本家が主人公で、物語化できないもんで脚本が仕上げられず、今は葬儀のときに読み上げられる弔辞の代筆で暮らしています。故人の来し方を聞いて回り、遺された人たちの話を聞いて、弔辞のかたちにして、未来に放つのです。この人は物語化するのがイヤなんですね。イヤというか、拒んでいる。ストーリーテラーになりたくないんです。ただ、ひとのことを書きたい。書けば手放すことになるし、未来に放てるから。
「散文詩のような」といえばいいでしょうか。見てよかったです。

『教皇選挙』については、見たあとすぐブログに感想文を書きました。
そこで「おもしろいけれど、好きではなかった」と書いたんですけど、逆だな、とさっき気づいたので訂正します。「好きだけど、おもしろくはなかった」です。この場合の「おもしろい」は「見事だ」とか「完成されている」とかなんですけど、ちょっとほつれている部分があるなあというのが私の感想です。Mastodon には次のように書いていました。
ホモソーシャルでは、他者に会うこと自体がすごく難しいので、その中でだれかとだれかが出会い、ある種の共犯関係を結ぶ話が重要というか、繰り返しつくられることになるのはしょうがないというか、これからもこういう話は延々語られると思いました。だって、あなた、目の前にいるけど、全然私と出会ってないじゃない! という飢えをみんな生きている。その手の話の中では、この映画は成功しているとは思えなかったけど、おもしろいことはおもしろかったです。
ホモソーシャルの内側からそれを壊していく話なので、大事な映画だし、好きな映画だと言っていいと思います。でも、ある人が直面している重大な現実が、すごろくの駒のように扱われていて、そこでこの映画がこらえきれずに骨組みをむきだしにしてしまったようで、「こういうのはちょっとどうかな」とひっかかっています。
読書の方はこんな感じでした。
- 『人権ってなんだろう?』アジア・太平洋人権情報センター編
- アガサ・クリスティ『チムニーズ館の秘密』山田順子訳
- 太田啓子『100 年先の憲法へ 『虎に翼』が教えてくれたこと』
- 信田さよ子『なぜ人は自分を責めてしまうのか』
- カレー沢薫『ひきこもりグルメ紀行』
- 紫式部『源氏物語 2』アーサー・ウェイリー英訳、佐復秀樹現代日本語訳
- 王谷晶『父の回数』
- 藤崎翔『お梅は呪いたい』
- 小林敦子『職場で使えるジェンダー・ハラスメント対策ブック アンコンシャス・バイアスに斬り込む戦略的研修プログラム』
第一次と第二次大戦の戦間期に書かれたものを読んでいると、のちに「自由主義陣営」と呼ばれ、ファシズムに抵抗したことになっているエリアでも人種主義と全体主義が覆っていたんだなあとひしひしわかることがあります。5 月は『チムニーズ館の秘密』がそれでした。「こんなこと、ふつうの顔して書いて、こんなこと、ふつうの顔して読んでたら、戦争に突入するし、戦争に突入したらもう倫理もへったくれもなくかたづかなくなってしまうよなあ」と。ぞっとしましたよ。
王谷晶『父の回数』は滋味溢れる短編集でした。
最近私は「自分を大事にする」ということを心がけているのですけれども、そこには「軽薄なふるまいをしない」とか「きちんとする」とかも含まれているのです。勢いでバカなことしないとか。ふぁ〜っとなって飲み過ぎない、言い過ぎない、と、そんなこと。会話で遊ばないといいましょうか。ゆっくり、じっくり、すすみたい。ま、必ずしもそうできないんですが。なるべく、ゆっくり、きちんとしたいです。王谷晶の近作にはそんな雰囲気を感じます。
藤崎翔『お梅は呪いたい』も意外とよかったです。失礼なことに、この表紙以上におもしろいことはないかもしれないな、なんて構えつつ読み始めました。そんなこと、なかったです。
500 年の眠りからひょっこり覚めた呪いの人形お梅が、「ようし! ニンゲンをのろいころすぞ!」とはりきるものの、500 年ぶりのことで調子が出ず、どんどんニンゲンを幸せにしてしまい困惑するハートフルオカルトコメディです。
これが意外にほんとにハートフルでした。
ヒトの心のあるりっぱな物語でねえ。ちゃんと、今日的で。ふむふむと読みました。
5 月の読書は正直お梅のことと、ウエイリー版源氏で玉鬘のくだりの源氏がいやすぎることで頭いっぱいなんですけど、自分の記憶の手前にお梅を置いて『チムニーズ館の秘密』のことを思い出そうとすると、もんのすごい大昔のことのように感じるの。不思議。去年くらいのことに感じる。でも『人権ってなんだろう?』はつい最近読んだ気がする。
ニンゲンって、不思議ですね。
あ、信田さよ子『なぜ人は自分を責めてしまうのか』はたいへんおすすめです。ひとり一冊。ひさしぶりにカード形式でメモを取ってしまうほど「ふむふむふむー」と思うことばかりだったのですが、お風呂が沸いたので今宵はここまでにいたします。
すごい。『チムニーズ館の秘密』を思い出そうとすると、まじで脳がいやがっている。こんな経験、みなさんはありますか?
ではでは、もう 6 月ですんでね。次に進みます。
📚 おしまい 🎥