七十三
原文
昔、そこにはありと聞けど消息(せうそこ)をだにいふべくもあらぬ女のあたりを思ひける、
目には見て手にはとられぬ月のうちの桂のごとき君にぞありける
逐語訳
昔、そこには居ると聞くが便りをさえすることができない女のことを思った男が、
目には見て手には取ることのできない月のうちの桂のような君であった
雨訳
昔のこと。そこに居るとわかっていながら、連絡を取ることすらできない相手のことを思って、こう詠んだ。
目には見えても、触れることはできない月の中の桂のようなあなたでしたよ
目には見て手には取らえぬ月のうちの桂のごとき妹をいかにせむ
参照:月には桂が生えているという伝説が古代中国にあり、日本でも『懐風藻』などにその趣向が見える。唐代の『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』に「月の桂高さ五百丈 下に一人有り 常之を斫(き)る 樹の創(きず)に随ひて合ふ 女人の姓は呉 名は剛」の記述がある。
七十四
原文
昔、男、女をいたう恨みて、
岩ねふみ重なる山にあらねども逢はぬ日おほく恋ひわたるかな
逐語訳
昔、男が女をひどく恨んで、
岩を踏んで重なる山ではないけれど逢わない日が多く恋い焦がれることです
雨訳
昔のこと。男は女のことがひどく心残りでこう詠んだ。
岩を踏みしめて重なりゆく山がそこにあるわけでもないのに、
逢わない日が積み重なり、私はあなたに恋い焦がれて生きています
類歌:『万葉集』2422
岩根ふみ重なる山はあらねどもあはぬ日まねみ恋ひわたるかも
短いので原文付きで書き起こしてみました。
万葉集から引いた歌が二首続きました。こちらからは見えるけれども、相手からは見えないくらい遠く隔たって、声も聞けない、触れることもできないと言うと、今ならアイドルスターでしょうか。最近のアイドルは「こっちからも見えてますよ!」と手を振ったり、動画でプライベート風の映像をあげたり、握手会をしたりしなくてはいけなくて大変だと思います。曲もすごく凝っていてハードだし、もっと悠然と、ファンに「月のうちの桂のごとき君にぞありける」と溜息をつかせるような表現を、なんて、望むのは無理なんでしょうか。七十四の「岩ねふみ……」の方は一応歌を送ることくらいは許される相手なんですね。私たちを隔てる高い山もないのに、会えない日が続き、つらいですという。ちなみに「岩ねふみ重なる山にあらねども」の「山に」は「山は」になっている写本もあるそうです。そっちの方が意味を解しやすいですね。自分の訳ではその辺は適当に訳してしまいましたが「山は」寄りで解釈しています。
久保田淳校注の『百人一首』が出ましたね。
イッツ・ハード・フォー・ミー、和歌を読むの。だから久保田先生の注で百人一首を読んでみようかな。今朝ちょうど、『古今和歌集』の序文を藤原俊成(定家の親)が書き写したものが出てきたというニュースが新聞に載っており、びっくりしました。天理大学の図書館って、なんなんだろう。天理大にしかない資料とか、いっぱいあるんですよね。
天理大はともかく、『伊勢物語』を読み終えたら『百人一首』を読もうっと。
📚 つづく……百二十五段+α を読み終えるその日まで 📚