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伊勢物語 第六十段

六十

 昔、男がいた。

 宮仕えが忙しく、ともに家をとりしきっている女性に対して、誠実とはいえない状態が続いていた。その状況下、「自分なら誠実に愛するよ」という人がいて、彼女はその人について他国へ行ってしまった。

 男が、豊前国宇佐宮へ朝廷の勅使として行ったとき、以前の妻がその国の祇承(しぞう。勅使の接遇を担当する)の官人の妻になっていると知り、「女主人に杯をとらせよ。そうでなければ私は飲まない」と言ったので、彼女が杯を手にとり差し出したところ、男は酒菜に出されていた橘を取って、

  五月まつ花橘の香をかげばむかしの人の袖の香ぞする

(五月を待って咲く花橘の香りをかぐと

昔の妻の袖の香りがする

と言った。それで彼女は昔のことが思い出されて、尼になり、山にこもってそこで暮らしたということだ。

 訳文では都合で「彼女」と書いたのですが、原文ではこの人物を指す言葉は「家刀自(いへとじ)、(官人の)妻(め)、女あるじ、むかしの人、尼」です。出てくる度に、この人の立場が変わっていくところが興味深いところです。一見するとずっと「妻」なんですが、「家刀自」と「妻」、「女あるじ」とでは意味が違います。家刀自は基本的に尊称で、「妻」「女あるじ」より敬った言い方です。刀自自体がまず、尊称なので、呼称だけ見ると、この女性に対する敬意は冒頭が一番高いです。

 古代、刀自には、ある集団の統率者という役割があって、家の経営をする家刀自はもとより、家より大きな規模を統率する族刀自、里刀自のような形態も「刀自」と呼ばれていたようです。

 奈良時代から平安時代にかけて、女性の権限はどんどん削がれていくので、この『伊勢物語』が書かれて読まれた平安初期ではどんな立場だったでしょうか。皇后が独立した宮をもち、自分だけの使用人を抱えて宮を経営していた時代は遠くなりました。他の豪族、貴族間でも似たような変化は起きていたでしょう。だからここで言われている「家刀自」のニュアンス、軽重はわかりにくいのですが、少なくとも、「女」と呼ばれるだけの頼りない立場とは違うわけです。

 「男」が行きがかり上再会することになったこの女性に対して「この家の女あるじが差し出した酒でなければ飲まない」とかなり強権的な態度に出ているのは、彼女が恋人ではなく、家刀自だったからと読めばわからないでもない。勅使という立場を利用して、やらなくていいことをさせているわけですから、「男」はひどい。そもそも彼女が出ていってしまったのは彼が「心もまめならざりけるほど」のことですから、これが単に通う相手の一人であったなら、こんなこと、許されないはずです。しかし彼女はその家をとりしきる立場にあったところから逃げ出したわけで、「男」に「むかしの人の袖の香ぞする」と言われて、「昔」を「思ひ出でて」出家してしまいます。「男」との関係だけでなく、使用人たちや、その家族、係累の人たちのことなんかも、「思ひ出でて」しまったのかもしれません。

 「五月まつ……」は『古今和歌集』に詠み人知らずで収められている古歌。これに強気で言い返せる歌で、相聞として成立するようなのをもう一首ひねり出せれば、この女性は出家することもなく、ただ「人」と呼ばれ、自分に対して誠実でいてくれる相手とずっと幸せに暮らしたのに、「伊勢」の編著者も無念なのではと、想像してしまいます。

 六十段、おわり。

 突然ですが、こないだ「秋だ」と思われたような日に、ぬるり鳥が衣替えをしていました。

小さな白い鳥のぬいぐるみがセーターと帽子で厚着をしている

あったか

 しかしその後、また暑くなり、「これは夏と認めなければならない」という目にも遭いまして、ぬるり鳥は再び夏仕様になりました。

小さな白いくまのぬいぐるみと、小さな白い鳥のぬいぐるみ

すっきり

ぬいぐるみ用の白いセーターと帽子

脱いだ跡

 一筋縄でいかない秋ですね。

白い小さな花の中に蟻がいる

蟻がはいまわる

 ではまた〜。

📚 ちぇりおです〜 📚




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